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2023年03月26日
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​第33回 大地に国をつくった国津神の代表神 大国主神について​
今回の第33回  大地に国をつくった国津神の代表神 大国主神について紹介します、第32回目は ​山の総元締め大山津見神について​紹介しました、第31回​天孫降臨神話と瓊瓊杵尊についての続きです、なお、だいぶ前に木花咲耶姫命は紹介​済みです。
なお、スサノオとクシナダヒメ子孫とされています、スサノオとクシナダに関しては紹介はしてませんが、八雲立つの概念としての和歌と​八雲について紹介しました​。なお、​小さな相棒 少彦名命​については前に紹介しました。もうすぐ桜の季節という事ですが、残りもう一つもう少しなのでよろしくお願いします。
​​​​​​やはり魚良いな、特に刺身、煮魚も好き、なお、もう一度京都へ行って鯖寿司食べたい、海のない京都の郷土料理ですが、冷凍技術が無い時代に若狭湾から塩漬けにして山を越えて運ばれてきたそうです。塩抜きも完璧にできるのでしょうね、鯖街道というのがその名残。今度京都へ行くときは四神をめぐる五社参りをしてみたい。

昨日、初音ミクさんを撮り行った時の桜ですね、
桜並木のトンネルが綺麗だ、
行った場所と反対側ですが…

(​​​​TVアニメ『お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件』【公式】@tenshisama_PR​)
『お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件』全12話ご視聴頂きありがとうございました❣️周と真昼の焦れったくも甘い、恋の物語はいかがでしたでしょうか⁉️最後に、新ビジュアル公開💓皆様『#お隣の天使様』を引き続き宜しくお願いします🙏

(​TVアニメ『お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件』【公式】@tenshisama_PR​)
最後までカワイイ、まさかの最終話に新ビジュアルが、

※余談ですが、
ウシュバテソーロが快勝 イクイノックスも圧勝―競馬ドバイ国際競走
競馬のドバイ国際競走は25日、アラブ首長国連邦(UAE)ドバイのメイダン競馬場で行われ、メインのワールドカップ(GI、ダート2000メートル)で川田将雅が騎乗したウシュバテソーロが快勝し、1着賞金696万ドル(約9億1000万円)を獲得した。日本馬の同レース優勝は2011年のヴィクトワールピサ以来2度目。強烈末脚、世界の頂点にダートで開花のウシュバテソーロ―競馬ドバイ国際競走。
シーマクラシック(GI、芝2410メートル)は、クリストフ・ルメールが騎乗した昨年の年度代表馬イクイノックスが逃げ切って圧勝し、海外GI初勝利を挙げた。1着賞金は348万ドル(約4億5000万円)。昨年優勝のシャフリヤールは5着だった。ターフ(GI、芝1800メートル)で、ジョアン・モレイラ騎乗のダノンベルーガが2着。ロードノース(英国)が同レース初の3連覇を果たした。 
ウシュバテソーロ
ウシュバテソーロ 牡6歳。父オルフェーヴル、母ミルフィアタッチの血統。生産牧場は北海道新ひだか町の千代田牧場。馬主は了徳寺健二ホールディングス。中央と地方のダート交流GIで2連勝。美浦・高木登厩舎(きゅうしゃ)。
イクイノックス
イクイノックス 牡4歳。父キタサンブラック、母シャトーブランシュの血統。生産牧場は北海道安平町のノーザンファーム。馬主は有限会社シルクレーシング。昨年に天皇賞・秋と有馬記念でGIを連勝し、中央競馬の年度代表馬に選出された。美浦・木村哲也厩舎(きゅうしゃ)。(時事)(時事ドットコムニュースより、)

強すぎワロタ イクイノックス!キタサン産駒らしい走りでぶっちぎった。個人的にはドウデュース見たかったな、ウシュバテソーロヤバすぎだろ、追い切りがまじでクソ過ぎる、流石オルフェ産駒やる時はやる、追い切りはロマンだ。この産駒は国際競争まじで強いな、今回残念ながら10着だったパンサラッサ、令和のツインターボは健在だった?!そこが面白い。でも、流れを作ったぞ。

【アニメ『うまゆる』完走!】 最終回をご視聴いただきありがとうございました! ウマ娘たちのゆる~い日常はいかがでしたか? これからもウマ娘たちの応援をよろしくお願いいたします! 全24話を「ぱかチューブっ!」ほかにて配信中!
タニノギムレットとシンボリクリスエス…記憶にところどころバクが…ツッコミ不在が正直こんなにキツいとは、これで終わるですね、二期ありそうですが…

【速報】 昨晩19:30ごろ 九州産馬 #ヨカヨカ の初仔が誕生🎉✨ ◇サンデーヒルズ中田さんコメント 「昨晩、19:30ごろ、ヨカヨカ、無事に分娩しました。(おそらく)青鹿毛のキズナの牡馬です。 ヨカヨカは初産なので、少し疲れた様子を見せていましたが、今のところ母子ともに元気です。」(ももスポ📺テレビ西日本  @momospo)
ヨカヨカの子、今か、今かと待ちわびてたよ、良かったね、そのために時々ネットサーフィンしていたし、キズナにそっくりだね。おめでとう!


第33回 大地に国をつくった国津神の代表神 大国主神について、

(出雲大社「大しめ縄」)

TRADITION 大地に国をつくった出雲大社のご祭神
大国主神
日本人なら知っておきたいニッポンの神様名鑑 2020.12.2


大国主神(オオクニヌシ)
出雲に大国をつくった国づくりの神であるオオクニヌシ。スサノオの子孫で、因幡の白兎を助けた心優しき神様である。スサノオが与えた数々の試練を見事に切り抜け、葦原中国の支配者になった。また各地に恋愛伝説も残しており、多くのご縁に恵まれたことから良縁祈願の神様としても信仰されている。
古事記:大国主神
日本書紀:大国主神
基本属性:地の神
出雲の国づくりをしたことから地の神といわれている。このとき造化の三神のひとつであるカミムスビの子であるスクナビコナも一緒に国をつくっている。
代表的ご利益:良縁祈願
縁結びの神として有名だが、その他に子授の神、夫婦和合、五穀豊穣、養蚕守護、医薬、病気平癒、産業開発、交通・航海守護、商売繁盛とご利益満載。
代表的神社:出雲大社
神在月(神無月)に全国の神様が集結する社。御本殿は日本最古の神社建築様式とされる大社造で、国宝に指定される。また、神楽殿の入口にあり、日本一の大きさを誇る注連縄は圧巻。2013年には、60年ぶりに「平成の大遷宮」が行われた。
出雲大社 島根県出雲市大社町杵築東

大国主命(おおくにぬしのみこと)
(中世以降の呼称。古くは「おおくにぬしのかみ」) 「古事記」が設定した国つ神の首魁。須佐之男神(すさのおのかみ)の六世の孫(「日本書紀」は子とする)。伊邪那美神の死によって未完のまま放置されていた国土を、天つ神の命で少名毘古那神(すくなびこなのかみ)とともに完成。天孫降臨に際し、国を譲って隠退。「日本書紀」では、農業・畜産を興して医療・禁厭(まじない)の法を定めたとされる。民間では大黒天と結びついた福の神、縁結びの神として信仰され、また因幡の白兎の話で知られる。出雲大社、大神神社などに祭られる。大己貴神(おおあなむちのかみ)、大物主神、大国玉神、現国魂神(うつしくにたまのかみ)、葦原醜男神(あしはらしこおのかみ)、八千矛神(やちほこのかみ)など、多くの別名がある。(精選版 日本国語大辞典より、)

大国主命(おおくにぬしのみこと)
出雲国造(いずものくにのみやつこ)の祖神。出雲(いずも)大社の祭神。大穴牟遅神(おおなむちのかみ)(大己貴神)、葦原色許男神(あしはらのしこおのかみ)、八千矛神(やちほこのかみ)、宇都志国玉神(うつしくにだまのかみ)などの別名がある。根(ね)の堅州国(かたすくに)(死者の国)の須勢理毘売(すせりひめ)ほか、八上比売(やがみひめ)、沼河比売(ぬなかわひめ)など多くの女性を妻とした。記紀神話のなかでもっとも親しまれている神で、その代表的な話が「因幡(いなば)の白兎(うさぎ)」である。兄の八十神(やそがみ)たちが、八上比売に求婚するため旅立ったとき、一行の従者として従った大国主命は、だました鰐(わに)に皮をはがれて苦しんでいた白兎に、真水で体を洗い、ガマ(蒲)の花粉の上に転がっているよう教えて治してやる。その白兎が大国主命に、あなたは八上比売の心をつかむだろうと予言したため、八十神たちは大いに怒って、大国主命を手間(てま)の山の麓(ふもと)で焼き殺してしまう。しかし、貝の粉を汁(しる)で溶いたものを塗って復活した。母の教えにより根の堅州国へいった大国主命は、須勢理毘売と結婚して蛇の比礼(ひれ)などをもらう。さらに生大刀(いくたち)、生弓矢(いくゆみや)、天詔琴(あめののりごと)の三つの宝を手に入れ、地上の国へ帰って八十神たちを滅ぼしたのち、少名毘古那神(すくなびこなのかみ)の協力を得て国造りを始める。少名毘古那神が中途で去ってからは、大物主神(おおものぬしのかみ)の助けを借りて国造りを完成した。そののち、天照大神(あまてらすおおみかみ)の命令で、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)が葦原中国(あしはらのなかつくに)(葦原の国)を治めるために高天原(たかまがはら)から降(くだ)ったとき、大国主命は子供の事代主神(ことしろぬしのかみ)や建御名方神(たけみなかたのかみ)と相談して、自分の御殿を天つ神の御子のものと同じようにつくってもらうということを条件に国譲りをした(古事記)。『日本書紀』には、国造りや国譲りの話はあるが、因幡の白兎などの話は欠いている。さて、高天原が大和(やまと)朝廷を意味するのであれば、それに国譲りをした大国主命は、出雲の支配者であったことになる。したがって、大国主命が八十神たちを滅ぼして国造りをしたということは、つまり諸豪族を征討して出雲の支配者に納まったと同義に解釈できるであろう。古代においては、王は神の体現者でもあった。国を造った大国主命を、神の側からみれば、まさに創造神である。『出雲国風土記(ふどき)』などをみると、鉏(すき)で土を掘り起こすようにして国をつくったとある。『播磨(はりま)国風土記』などでは農業神ともされている。また、因幡の白兎や根の堅州国訪問の話にみられるように、彼は単に政治的な王であるばかりでなく、巫医(ふい)的な要素をもあわせもっていた。なお、因幡の白兎に似た話はインドネシアなどにもあるため、南方から伝播(でんぱ)し、大国主命の神話に結び付いて定着したともいわれる。[守屋俊彦](日本大百科全書(ニッポニカ)より、)


因幡の白兔、あれは勿論ワニでもなく、サメでもなく、やっぱりイルカでは?サメなら木端微塵にバラバラに食い56されてそうだ。イルカは可愛く見えてイジメが執拗で酷い、知能が高い生き物だからな、ブチ切れて仲間とタヒなない程度にいたぶったかも、遠くから見ればサメもイルカも同じに見える。
大国主神も決して心優しき神様だけではない、 大国主は大黒天と同一視されています、大黒天は七福神とは別に恵比寿とよく一緒いますが恵比寿のモデルの1つが息子の事代主神、親族関係者でした、なお、大黒天の元ネタはシヴァ神…表裏がある。王になってから兄弟達を滅ぼしている。一応、大国主=大黒と、七福神の大黒様とは全然違うらしい。「大国」はダイコクとも読めることから同じ音である大黒天(大黒様)と習合していったとか。
前から考えていた事ですが、大国主神と須佐之男命は記紀で書かれている様に子孫でもなければ親族でもないのでは?何故なら『出雲風土記』では親とも子孫ともさていない様だ。時代がだいぶ違う様でも、どちらが先か後かは言えませんが、言うなら、大国主神と須佐之男命は、坂本龍馬の前で間寛平氏が「アメマ~」(※ABEMA(アベマ)とは違うので悪しからず。)と言っている様なもので、それ位違う(他に思いつかない…)。なお、間寛平氏は高知出身、特に有名なのは女優の広末涼子さん。
たぶん、朝ドラ『らんまん』のモデルである「日本の植物学の父」牧野 富太郎氏も会っては無いだでしょう。1862年(文久2年)生まれではあるものの、ドラマの小さい頃に会ったのは出来すぎ、まあ、亡くなる数カ月前に高知に一度帰郷しているので、多分、お金の無心に彼の両親や親族らなくないが、なお、朝ドラ主役は造り酒屋の長男。牧野富太郎氏も十分ヤバいので書籍等で影響は受けているのかもしれない、30回引っ越しって葛飾北斎かよ、家賃が払えなかったらしい。94歳まで生きたから好きな事をしていると長生が出来るかもしれない、なお、植物を調べに行くときは正装したとか。自分は南方熊楠氏というもっと頭がおかしいハジケリストの植物学者なら知ってましたが…半裸で野山を駆け回ったというから、なお、昭和天皇に御進講を行った際に、ウッキウッキでキャラメルの大箱に入れて植物の標本を献上している、変形菌標本もあったのでお付きの方々が慌てふためたとも、昭和天皇はお喜びなられましたが…​なお、牧野富太郎氏も南方熊楠氏もタイプが違うが若い時はかなりのイケメン、なぜ植物学者はイケメンが多いの。
話は戻りますが、とても大国主神は1人とは思えない、実は複数いて、先代の大国主神から、次の大国主へ候補へ、試練も1人でなく時には複数、これって…鬼殺隊最終選別試験か風雲たけし城、たけし城は素人相手に本当に酷かったよな、なお、芸人であるたけし軍団はなお酷い。今はどちらも過激すぎて放送できないが…でも、たけし城は海外ではいまだに人気。話を戻すと、多分、姫や配下に気に入れられないとタヒ亡不可避…まあ、誰であれ人を動かすのは王様として必要な能力だ。
三貴神が関わっているので扱い易神様ではあるのだけど、月読命は関わってない様だ、そもそも、記載が少ない…神産巣日が代わりだろうか。月読命は以前紹介いたしました、世間では人気がある神様ですが。
韓国の歴史ドラマ脚色はともかくとして、王座後に月と太陽の絵が書かれおり、下には山が書かれています。韓国ドラマ等はちょっとしか見ないので理由については分かりませんが、何故でしょうか?アジアの歴史に全く疎いですが、儒教の考えに準ずるかもしれませんね、皇帝はそれと同等に尊いのでしょう。そもそも、韓国ドラマ自体が歴史ものや現代劇含めて月や太陽、あるいはその両方のタイトルも多いような…特に月と付くタイトルが多い気がします。最近も”月”が付くタイトルを見ました、本当に好きですね。
それから、大国主神初め出雲の人々は大陸の新羅、当時の朝鮮半島から来た人が多いとされています。少彦名命は大陸、中国から来たとも。まあ、かなり交易が進んでいたので新羅をはじめ大陸の人々がいて商売の為に国があってもおかしくはないでしょう、だからこその国譲り神話がある訳だか…

(稲佐の浜)

国津神の英雄「大国主」
大国主の名称・ご利益・関連神
名称 古事記:大国主神(おおくにぬしのかみ)
別称:大己貴命(おおなむちのみこと)、大物主神(おおものぬしのかみ)、葦原醜男(あしはらしこを)、八千矛神(やちほこのかみ)、幽冥主宰大神 (かくりごとしろしめすおおかみ)、所造天下大神(あめのしたつくらししおほかみ)、杵築大神(きづきのおおかみ)、大名持命(おおなもちのみこと)、伊和大神(いわおおがみ)、大汝命(おおなむちのみこと)、葦原志許乎命(あしはらしこおのみこと)
神格:国造りの神、農業神、商業神、医療神、縁結びの神、国津神
ご利益:縁結び、子授、夫婦和合、金運、病気平癒、産業開発、交通、航海守護、商売繁昌、五穀豊穣、厄除け
関連神 父神:天之冬衣神(あめのふゆきぬのかみ)※古事記、素戔鳴尊(すさのおのみこと)※日本書紀、母神:刺国若比売(古事記)、妻神と御子神:妻 須勢理毘売命 記載なし、 多紀理毘売命 阿遅鉏高日子根神 下照比売、 神屋楯比売命 事代主神 高照光姫命、 八上比売 木俣神、 沼河比売 建御名方神、 鳥取神 鳥鳴海神
※大国主は様々な女神との間に多くの子供をもうけており、古事記・日本書紀・先代旧事本紀・出雲国風土記に記載されている他にも、各地の神社社伝にも名がある。
大国主を祀る神社:出雲大社 島根県出雲市大社町杵築東、恵比寿神社(物部神社境内)島根県大田市川合町川合、日吉神社 島根県出雲市今市町(※追記 全国に数多くある為、島根県限定で割愛させてもらいます…)
大国主(オオクニヌシ)とは?
国津神。様々な日本神話や風土記に記される英雄。複数の名を持ち、多くの妻と子を持つことから多彩な力と性格を持ち合わせる偉大な神さまで、出雲大社の主祭神として祀られます。国造り国譲りなど日本の礎を築いたとされます。
多彩な力と性格を持ち合わせる強力な神さま
『古事記』によると、根の国へ行きスサノオ尊から課される多くの試練を経て、スサノオ尊の娘スセリヒメ命と結婚。葦原中国の支配権を義父から譲り受けて以降、天津神への国譲りまで地上の王として君臨した神です。オオクニヌシ神には多くの称があり、八百万の神々の中でもこれほど多くの呼び方をされる神さまはいません。しかし、どうしてそんなに多くの名前を持つのでしょう?その理由は名前が示す意味に秘められています。大国主とは、大いなる国土の王。出雲国を治める「王」を意味します。大穴牟遅の(チ)は、自然神的霊威にあてられる音で地を意味し「大地の神」を表し、大物主の(モノ)は、霊威・霊格のことで「強力な霊格」を称える名称、醜男の(シコ)は葦原のような「野性的で力強い男」の意味します。さらに八千矛は文字通り「武力や軍事力」を象徴しています。別名の多さや、妻子の多さは大国主が広い地域で信仰されていた事を示します。それだけ多彩な力と性格を持ち合わせる強力な神であることがわかります。
神さまの中でも群を抜く美男子。そして艶福家
大国主が縁結びの神として人気があるのは、美男で大変な艶福家(多くの女性に愛され慕われる男性。 女にもてる男)であるということでしょう。大国主が結婚した女性は、自分の兄神達と争って得たヤガミヒメ命、スサノオの娘のスセリヒメ命、ヒスイの精霊ヌナカワヒメ命、宗像三女神のタギリヒメ命、コトシロヌシ命を生んだカムヤタテヒメ命、ヤジマムジノ命の娘のトリミミ命など多く、子供は古事記に180柱、日本書紀では181柱と記されています。いってみれば多淫な愛欲神といってもいいほどの神さまですが、艶福は豊穣神としての霊力の象徴です。この出会いの多さが縁結びの神として祀られている理由なのでしょう。
大国主の神話(因幡の白兎・八十神たちの迫害・スサノオの試練)
因幡の白兎の話、根の国訪問の話、妻問いの話や、国作り、国譲りなど、オオクニヌシ神にまつわる物語は数多くあります。
因幡の白兎
はるか昔、出雲の国に大国主という神様がいました。大国主には多くの兄神(八十神)がいましたが、彼らはとても乱暴者で大国主はいつも酷い目に合わされていました。ある日、「因幡に八上比賣という、美しい姫がいる」という噂が流れ、それを聞きつけた兄神たちは、結婚を申し込むために因幡へ旅立ちます。重い荷物を大国主に押し付けると、兄神たちは意気揚々と旅立ちます。重い荷物を背に、兄神たちの後を追っていた大国主は、海岸でサメに皮をはがされ泣いている兎うさぎを見つけます。「なぜ泣いているの?」と大国主が聞くと、ウサギは「隠岐の島からこの地に渡ろうとしましたが、渡る手段がありませんでした。そこで、ワニザメ(和邇)を騙して、『私達ウサギとあなた方一族とを比べて、どちらの数が多いか数えよう。できるだけ同族を集めてきて、この島から気多の前まで並んでおくれ。私がその上を踏んで走りながら数えて渡ろう』と誘いました。すると、ワニザメは列をなしたので、私はその上を踏んで数えるふりをしながら渡りました。地上に下りようとしたときに『お前たちは騙されたのさ』つぶやくと、それを聞いた最後のワニザメに捕まり毛を剥がされてしまいました。それを泣き憂いていたところに、八十神たちがやってきて『海で塩水を浴びて、風に当たって伏していなさい』と教えられたので、そうしたところ、この身はたちまち傷ついてしまったのです。それを聞いた大国主は「今すぐ水門へ行き、真水で体を洗い、その水門の蒲(がま)の穂をとって敷き散らし、その上を転がって花粉をつければ、膚はもとのように戻り、必ず癒えるだろう」と教えます。ウサギは言われたとおりにすると、キズも治り元気になりました。喜んだ兎は「ヤガミヒメは、心優しいあなたを結婚相手に選ぶでしょう」と予言します。
嫉妬に狂った八十神(兄神)たちからの迫害
ウサギの予言通りヤガミヒメノとオオクニヌシは恋に落ち結ばれますが、それを知った兄神たちは怒り嫉妬し、オオクニヌシの殺害を企てます。兄神たちは、オオクニヌシを伯耆の国にある手間の山のふもとへ連れて行き、「珍しい赤い猪を山の上から追い立てるので下で捕まえろ」と言いつけます。兄神たちは、オオクニヌシを殺すために、火で真っ赤に焼いた大岩を上から転がし落とします。落ちてくる真っ赤な大岩を猪だと信じて疑わないオオクニヌシは、大岩を正面から受け止め、無残にも焼き潰され絶命します。これを知ったオオクニヌシの母刺国若姫命(サシクニワカヒメ)は嘆き悲しみ、神産巣日命(カミムスビノミコト)に助けを求めます。母の願いを聞いたカミムスビは、赤貝の神蚶貝比売(キサガイヒメ)と、ハマグリの神蛤貝比売ウムギヒメを地上に遣わします。キサガイヒメが貝殻で大国主の体を岩からはがし、ウムギヒメが母乳と清水井の水で練った薬を大国主の体に塗りつけると、大国主は息を吹き返します。しかし、これを見た兄神たちは直ぐに次の策を考えます。 今度はオオクニヌシを山中深くに誘い、大きな木に挟み殺してしまいました。このときも母神が生き返らせますが、このままだと本当に殺されてしまうと心配し、 紀伊国の大家毘古之神(オオヤビコノカミ)の元へ逃がします。しかし、兄神たちは紀伊国まで追いかけ執拗にオオクニヌシを殺そうとします。 ここまでする兄神を見た母神は素戔嗚命(スサノオノミコト)が治める「根の堅州国(ねのかたすくに)」へ逃げる様にと伝えます。根の国に渡ったオオクニヌシは、ある女神と運命的な出会います。
根の国訪問。スセリビメとの出会いとスサノオの試練
根の国に渡ったオオクニヌシは、スサノオの娘神「須勢理毘売命(スセリビメノミコト)」に出会い恋に落ち、父神であるスサノオに結婚の許しを請います。しかし、スサノオは簡単には応じず、オオクニヌシに様々な試練を与えます。最初の試練は「無数の蛇が蠢めく寝室で寝る」でした。オオクニヌシが心配なスセリビメは「蛇が襲ってきたら、この領巾ひれを三回降ってください」と言い、呪力を持った領巾を渡します。これでオオクニヌシノカミは無事に一つ目の試練をクリアします。2つ目の試練は「ムカデとハチがたくさんいる寝室で寝る」というものでしたが、これにもスセリビメは呉公蜂の比礼を授けてオオクニヌシを助けます。3つ目の試練は、スサノオが広い野原に向かって矢を放ち「あの矢を拾ってこい」と命じます。これまでの試練に比べると簡単に思えますが、オオクニヌシが矢を拾いに野原に入ると、なんとスサノオはその野原に火を放ちます。さすがのオオクニヌシも「もはやこれまで」と諦めかけると突然ネズミが現れ、地面の下に空洞があることを教えてくれます。オオクニヌシは思い切り足元を踏みつけると空洞があり、その中で炎をやり過ごします。 さらにそのネズミはスサノオが放った矢を探してきてくれました。それを知らないスセリビメは、オオクニヌシが死んだと思い泣き崩れていましたが、矢を手に無事な姿を表します。オオクニヌシを見直し始めたスサノオは、最後の試練として自らの寝室に招き入れ「我が頭のシラミを取れ」と命じます。しかし、スサノオの頭にはシラミではなくムカデでした。この時すでにスセリビメより「椋の実」と赤土を受け取っていたオオクニヌシは、これを口に含んで吐き出しを繰り返します。これを見たスサノオはムカデを口の中で噛み潰していると思い感心。心を許したのかそのまま眠ってしまいました。眠るスサノオを見たオオクニヌシは、スサノオの長い髪を大きな柱に結びつけ大きな岩で入口を塞ぎます。そしてスセリビメを背負い、生太刀、生弓矢、天詔琴の宝物を持って逃げます。「なんとか逃げ出せた」そう安心したその時、持っていた琴が木にあたり、大きな音が鳴り響きます。 この音を聞いたスサノオは目を覚まし、慌てて飛び起きましたが柱に結びつけられた髪が邪魔で追いかけられません。その間にどんどん逃げるオオクニヌシ、髪を解いて追いかけるスサノオ。地上との境である黄泉平坂ふよもつひらさかまで追いかけたスサノオは足を止め、オオクニヌシ向かって叫びます。「お前が奪った太刀と弓矢で八十神を倒せ!そして大国主と名乗り、スセリビメと結婚し大きな宮殿を建てて住め!」と。それまでスサノオはオオクニヌシを葦原色許男(あしはらのしこお)と呼んでいましたが、ここから大国主と名乗るようになります。神話の中でオオクニヌシ神は幾度となく理不尽な迫害を受け命を落としますが、そのたびに救いの手が差し伸べられ生き返ります。そして受け身一方だったオオクニヌシが、スサノオの試練ではじめて主体的な行動を起こしました。もしかしたらスサノオは、オオクニヌシが娘を奪い、生太刀・生弓矢を奪っていくのを、期待していたのかもしれません。「我が娘を、我が国の宝物を、自らの力で奪ってゆく『強き者』でなけなければ、我が後継者たり得ないのだ」と。
大国主の正妻を諦め、身を引くヤガミヒメ
オオクニヌシはスセリビメを正妻とし、出雲の国造りを始めます。しかし、それはヤガミヒメは正妻にはなれない事を決定づけました。ヤガミヒメはその事を知るわけもありません。オオクニヌシの子を身ごもったヤガミヒメノは出産が近いため、オオクニヌシに会うために出雲国を訪れます。そして、出雲国で知った悲しい現実。「この子が大国主の子だとお伝えをしても、はたして出雲国の王家の子として扱ってもらえるのか?しかし因幡国で生んだとしても、誰の子だと伝えたらよいのか」と悩んだでしょう。また、嫉妬深い性格とされるスセリビメを恐れ、泣く泣くオオクニヌシを諦め因幡国へ帰ります。 しかし既に臨月を迎えていたため、出雲国で出産します。産まれた御子は出雲にも因幡にも行く場所がなく、ヤガミヒメは泣く泣く子供をこの地に残します。早く誰かに見つけてもらえるようにと木の枝の間にそっと御子を置かれると、因幡の国へ帰ります。木の間に置かれていたことから、御子の名は木俣神(きまたのかみ)と名付けられます。愛するオオクニヌシを諦め、最愛の我が子を手放し、身も心も疲れ果てたヤガミヒメ。帰り際に湯の川温泉の湯に浸かり、傷ついた心と身体を癒します。そこで「火の山の ふもとの湯こそ恋しけれ 身を焦がしても妻とならめや」と歌を詠んだとされます。
大国主の神話(国造り・国譲り)
国造りのパートナー少彦名命との出会い
大国主が出雲の美保岬にいたとき、蛾の衣をを着た小さな神が、海の彼方から天の羅摩船(あめのかがみのふね)がに乗って現れます。大国主はその小さな神に名を尋ねますが答えてくれません。そこにヒキガエルの多邇具久タニグクが現れて、「これは久延毘古(クエビコ)なら知っているでしょう」と言います。久延毘古は山田のかかしで、歩くことはできないが、世の中のことは何でも知っている神さまです。久延毘古は「その神は神産巣日神の御子の少名毘古那神である」と答えました。神産巣日の元を訪れ問うと、「これは間違いなくの我が御子神(スクナビコナ)です」と答えます。あまりに小さき神のため、神産巣日の指の隙間から落ちてしまった子だということが判明しました。続けて神産巣日は、「我が子の少彦名命と共に、国作りを続けるよう」と命じます。こうして、オオクニヌシとスクナビコナは兄弟となり、国作りに励むことになります。『古事記』ではスクナビコナの親神は神産巣日ですが、『日本書紀』では高皇産霊尊タカミムスビの子と記されます。大国主と少彦名命は日本の発展に大きた恩恵をもたらしたと、日本書紀や各地の風土記にその活躍が記されています。人々や家畜のために病を治す方法、農耕における害虫駆除の方法を教えるなど、医療・農耕の技術を向上させました。風土記では「温泉の術(ゆあみのみち)」を定め、これが箱根の元湯になったとも伝えられます。また、四国伊予(愛媛県)で少彦名命が倒れた時に、大国主命は海中に樋を通して速見の湯(別府温泉)から湯をを引き、少彦名命に注いだところ元気になります。これが道後温泉の由来とされています。大国主と少彦名命の全国行脚の旅は、葦原中国、つまり日本に数々の生活の知恵・知識を広め、多くの恩恵をもたらし、国作りとして国家の礎を築いていきました。しかし、国造り半ばにして、少彦名命は自分の役割は終わったとして、粟の茎にのぼり、その弾力を使って常世の世界に帰ってしまいます。大国主はこの先1人でどう国作りを進めればいいのか、その方向性を見失い途方に暮れ海を眺めていると、海面を照らしながらやってくる神が現れました。
二人目の国造りパートナー大物主神
海の向こうから現れた神は、大物主神(オオモノヌシノカミ)でした。大物主神は「私は、幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)である。私を祀り、共に国作りをしましょう」と大国主に告げます。大国主はどう祀ればよいのか?と尋ねると「大和国の東の山の頂きに祀りなさい」と言われたので、大物主神を大和の御諸山(現在の三輪山)に祀ります。そして、大国主はついに国造りを成し遂げます。大物主神の正体は大国主の和魂(にぎみたま)。いわゆるひとつの人格における安らぎの面と言われています。少彦名命というパートナーを失った大国主は、その絶望から立ち直るため、自らの半身を別人格化することで、目的を達成したのかもしれません。少彦名命は経済活動という実利的な役割を、大物主神は祭祀活動という観念的な役割を担い国造り成したと見れるでしょう。
天照大御神の国譲り(葦原中国平定)
国造りを成した大国主は、出雲、伯耆と因幡の2国に加え、山陰から北陸、信濃までを統治しました。この大国主に対し、高天原を治めていた天照大神は「葦原中国は我が子が統治すべき」と考え、高天原の神々と相談し、次々に使者を送ります。何人もの使者を送りますが、大国主は使者を懐柔し国譲りを拒みます。天照大神は最後に高天原の武の象徴とされる武甕槌命(タケミカヅチノミコト)と、副官として天鳥船神(アメノトリフネ)を遣わします。出雲の国の伊耶佐の小浜に降り立った武甕槌命は、剣を抜き逆さまにして柄を下にして突き立て、その剣の切っ先の上にあぐらを組んで大国主と対峙。そして大国主に「私たちは天照大神様の命令できた。葦原中国は我が子が統治すべきだと天照大神様はおっしゃっているが、あなたはどう思うか?」と威圧的に話します。大国主は「私の一存ではお答えできません。息子の事代主神(コトシロヌシ)がお答えいたしましょう。ですがあいにく美保の岬へ漁に出かけております」と答えました。そこで天鳥船神が事代主神を連れて帰り国譲りを迫ると、事代主神は「恐れ多いことです。言葉通りこの国を差し上げましょう」と答えると、船をひっくり返し、逆手を打ち船の上に青柴垣を作りその中に隠れます。武甕槌命は「事代主神は承知した。他に意見を言う者はいるか」と大国主に訊ねると、大国主は「もう一人の息子の建御名方神(タケミナカタノカミ)にも訊いてほしい」と言います。そこへ建御名方神が千引石を手の先で持ち上げながらやって来て、「ここでひそひそ話すのは誰だ。それならば力競べをしようではないか」と武甕槌命の手を掴みます。しかし、武甕槌命は手をつららに変え、さらに剣に変化させます。それに怯んだ建御名方神の腕をつかむと、若い葦を摘むように握りつぶし放り投げます。武甕槌命の力を恐れた建御名方神は科野国の州羽の海まで逃げ出しますが、逃げ切れず「恐れ入りました。どうか殺さないでください。この土地以外のほかの場所には行きません。私の父・大国主神や、事代主神の言葉には背きません。天津神の御子の仰せの通りに、この葦原中国を譲ります」と言い建御雷命に降参します。武甕槌命は出雲に戻り大国主神に再度訊ねます。大国主は「二人の息子が天津神に従うのなら、私もこの国を天津神に差し上げましょう。その代わり、私の住む所として、天津神の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿をお建て下さい。そうすれば私も従いましょう。私の180柱の子神たちは、長男の事代主神に従い天津神に背かないでしょう」と言います。これにより国譲りが成立しました。
忘れられた神の怒りを鎮める強力な神
大国主の国譲りは、話し合いによってなされたことになっていますが、天照大神との間で激しい争いがあり、激しい怨念を抱いたまま隠れたのではないかとも考えられます。激しい怨念を抱いたまま死んだ大国主は、怨霊、祟り神としてみることができます。小さな集落などで時には氏子が断絶し、廃社に至る神社では本来の祭神が不明になることが多く、復興する際に本来祀られていた神の祟を鎮める意味合いから、その強大な力を持つ大国主を勧誘することが多いようです。
大黒天と習合し財福の神さまに
大国主は神仏習合の際、仏教の守護神の大黒天と習合されました。以降「ダイコクさま」と呼ばれるようになり、大きな袋を担いで打出の小槌を持ちながら、米俵に乗っている七福神の「大黒さま」と同一視されるようなります。江戸時代には同一視され、民間信仰の中で大黒様として親しまれるようになりました。大国主は天皇家につらなる国づくりの神様、大黒天はヒンドゥー教に由来するインド密教として伝来し、仏教の流れとして広まります。その大黒さまの神使はネズミ(十二支の子)とされています。これは大国主が根の国でスサノオから試練を与えられた際に、ネズミに助けられた神話と、ネズミが屋敷を守る霊獣とする民俗信仰が結びついたものと考えられます。大国主を祀る子神社(根神社)が多く分布するのも、霊獣のネズミとの結びつきからきたものとされます。ただし、出雲大社では七福神の「大黒天」と「大国主」は別の神様としています(日本の神様と神社より、)。


大国主神の物語は長い、長すぎだよ、なお、大国主神を含めた出雲神話は全体の古事記の全体の1/4されるし、ぼぼ大国主神の物語。まるで 、なろう系の主役か、ジョジョの歴代主人公一人、多分、第4部の東方仗助…かな??個人的に岸辺露伴が1番好きだが。歴代の主役達もゲストとして登場、天照大神もラスボス???真のラスボスは建御雷神、なお、今年の​天照大神は正月にも​紹介しました。今回もしかしてパラレルワールド、その為か日本書紀では記述がほとんどない。​
大国主神は数々の異名を持つ神様で、大国主の他にオオナムジ、アシハラシコオ、ヤチホコ、ウツシクニタマ、オオクニタマ、オオナムチ、オオモノヌシなどこれだけでない、『出雲国風土記』には、オオナモチとして登場し、「天の下造らしし大神」と称されているとか。大国主神は前に書いた通り1人とは思えない、個人的に歴代の徳川将軍の様に何人もいただろう、国づくりなんてとても一人では出来ないし、その伝承も範囲もかなり広い。少なくとも6代~8代はいたのかもしれません、もしかしたら、徳川家康は大国主の転生…?!まあ、そんな訳ないですが。
しかし、ヤガミヒメも息子も可哀想だ。そう言えば徳川家康の最初の妻、正妻の瀬名と息子の信康にも後に悲劇が…ドラマで女城主の悲劇が後に繋がりそうである、瀬名の悲劇は武田と内通していた事ではなく、今川義元が討たれた事が後に回り回った事や、息子 信康の嫁の徳姫との確執あったとも、なお、徳姫は信長の娘。そう思うと、大国主神の最初妻であるヤガミヒメと息子にも本当は何かしらの悲劇が…家康の場合も、大国主命の場合も場が混乱して一緒に長く居られなかったのが原因かもしれない。なお、大国主命の正妻のスセリビメには子供の記載が無い。そーえば、徳川将軍15代の中で正妻に子供が要るのは僅か1人だけだった、これって…ほとんどは側室、大奥の制度が良いのか悪いのか。なお、大国主の時代は恐らく通い婚が主、それでも、正妻に子供がいない…通い婚はどこの家が長男か次男なんて分かりませんしねぇ、覚えていれば別ですが。ましてや、本人の子供かどうかも…だから熾烈な跡目争いが起こる、大国主が若い頃がそうだったでしょう。しかし、180柱の子供…っておめぇ、種馬種かよ。昔だから正室や側室を含めた沢山の奥様が居たでしょう、なお、徳川家康にはわかっているだけで12名の奥様がいたとか…まあ、昔はそのんなものだ。家康は決して”鳴くまで待とう”なんて慎重でも、ビビりでも、穏やかでなく、怖い時は怖いし、やる時は残酷な事もやる。なお、三河一向一揆の後始末ではソレが発揮されていた。やはり、大国主神の転生では??大国主神が兄弟が沢山いて迫害受けたのはイケメンキャラなのが原因だが、乱世だね、、、、それが、アイドルの容姿か、色々な意味でマッチョなのか、当時の時代背景もあるので分かりませんが、一度、二度死にかけてプチ整形も施されていたらしい…(武田鉄矢談)まじで、本人なのか?『どうすうる大国』。
「俺はマッチョの黒豚ではない。」
出雲神話は特により人間くさい、人間が神様か?と思うくらい。「ただの白豚だ。」実にウイットに富んでいる。(飛べない豚はただの豚…)

(​kiwa/きわ@kanokiwa​)
「出陣じゃああああ!」はギリ堪えたけど「岡田園長(おかだそのなが)」からの「訓読みじゃー!」コンボはもうダメだった 織田家みんなでひらパーで遊んで

大国主命に試練を与えたのが須佐之男命なら、こちらは家康に試練を与えたのは織田信長??。信長=スサノオ、織田家のルーツは織田劔神社の神主、ご祭神が素盞嗚大神、…”大神”と言うところは古くからある所を表している。なお、『どうする家康』では​魔王様は俺の白兔と言ってな​、ツンデレ過ぎないか?白兔も関わっているしな、本人も第六天魔王と名乗っているしな、これは信長が1573年に、甲斐の大名・武田信玄から挑戦状を受け取り、その返書を送る際に「第六天魔王」と署名した、という記録があることに起因しているとか。あと、スサノオは武田信玄の方も思ったが、あの厳ついローマ人はどちらか言えば神皇産霊尊???、なお、神皇産霊尊は天地開闢神話に名だけと出雲神話にちょろりと登場します、出雲の地神様とも、ちなみに、信玄は温泉開発していた、テルマエロかよ、大国主神も少彦名命共に温泉開発してるしな、例えば、道後温泉もそう、なお、温泉開発は戦国武将にとって傷を癒すために重要だしな、多くの武将が開発に携わっているし、何よりも公衆衛生にもなる。しかし、武田軍をローマ軍とは面白い言いよう、確かにどちらも最強だが、最大の敵にして最大強キャラだが、家康はしっかりと交渉している。
しかし、今川義元、タヒ後もちょくちょく顔出すねぇ、今川義元が良い奴になってとる、『戦国BASARA』ではおじゃる丸だったのにな…今回は今川氏真が主役の様なものだ、瀬名さんが好きだったなんて今後の事がますます不穏で悲しすぎる、氏真はタイミングが不運だっただけた、今川に始まって今川に終わるこんな大河なかなか無いのでは?​​​

(出雲大社 御慈愛の御神像)

なお、出雲大社には蛇神や龍神がお祀りされているらしい、神在月では龍蛇礼拝されるらしい。神在月には強い風が吹いて大荒れなる時がある様で、海蛇が流れつく、それが黒色の蛇でセグロ海蛇で、背中が黒で腹が黄色い海蛇で神社で丁重にお祀りするとか、それに、出雲地方では海蛇の事を龍と呼ぶらしい、神々の先導役として伝承されており龍蛇様と呼ばれているとか、かのヤマタノオロチ伝説そうか、なお、メドゥーサ退治の神話も似ようなものか、メドゥーサの元はその地域の巫女こ国譲りの真実?の様に迫害を受けているとされています、国譲りは恐らく勝者が都合よく改変されているでしょう、本当はとんでもないジェノサイドが行われていたのかもしれませんし。大国主神側としては悔しいでしょう、海蛇をお祀りする信仰にそう言った意味も含まれていたのかも。​

第33回 大地に国をつくった国津神の代表神 大国主神についてでした。





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最終更新日  2024年01月20日 20時58分31秒
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