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2024年09月21日
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カテゴリ:風景・旅行など


​9月15日 久留米 田主丸町 月読神社​
です。
田主丸町田主丸 月読神社、うきは市浮羽町 浮羽稲荷神社、久留米宗社 日吉神社 月讀宮へ行ってまいりましたのでご報告いたします。
守護神河童
この河童は豪商であった”てつや”の東北の角にあり、俗に鬼門と云う位置にいます。いかにも豪商の守護神の様にも見えます。

素戔嗚神社(祇園神社・天王宮)
久留米市の田主丸駅付近の祇園神社と地域の神々
小倉の牛頭天王信仰のように、城主に庇護されて発展したのが久留米の牛頭天王信仰であり祇園社。久留米には境内をもつ祇園社が3あります。ひとつは、須佐能袁神社(すさのおじんじゃ)と現在は名前を変え素戔鳴尊(すさのおのみこと)を祀っていますが、地元の人たちが今でも「祇園神社」と言っている久大本線筑後草野駅付近の神社。そして、久大本線田主丸駅から歩いて7,8分。筑後街道をわたって来光寺隣の祇園神社。他に久留米市役所近くの祇園神社。田主丸駅付近の祇園神社を訪問。本殿の「天王宮」と大きく描かれた額が印象的でした。境内社として蛭子神社もあり「恵比寿像」が安置されていました。手足のない「蛭のような子」だったためにイザナキノカミ・イザナミノカミに捨てられたひるこは後世の人たちの手によって「恵比寿(蛭子)えびす」様として復活することができました。ここの神社は「ひるこ神社」とは言わず「えびす神社」と言います。ひるこについてのここの由緒書の内容は『古事記』とは大きく異なっていました。(『日本書紀』 の「一書」の説明に基づくため)それはとにかくも、(牛頭天王(ごずてんのう)信仰とそれに関係する信仰や情報を紹介するブログ より、)

結構昔は各地で牛頭天王信仰があったようですね、代表で気なのが今日との祇園祭、何よりも疫病は恐ろしかったのでしょうから。
祈り河童
田主丸には干ばつの憂いはありません。この河童が一生懸命に祈りつづけているからではないでしょうか。あなたの願いもかなうかも。

田主丸にはなぜカッパがいるのか?
田主丸の河童の由来には二説あり、一つは、中国大陸出身の九千坊が家来を率いて、熊本県八代市の球磨川に移り住んだが、肥後藩主の加藤清正の討伐に遭い、筑後川に逃げ込んだとする説。 もう一つは、壇ノ浦の合戦に敗れた平家一族が筑後川流域に逃れ、その怨念が化けたとする説で、平清盛の化身は巨瀬入道としてまつられています。

田主丸は河童で有名な町です、いたるところに河童の像が置かれています。この前、この伝説を見たら加藤清正は河童に対してえらいエグい事しよるなと思った。どう考えてもこれは海外からの宣教師??としか思えないし、そこから離れる事で事なきを得ましたが…
月読神社 
月読神社は、目の神様や先が見えるという開運の神様といわれ人々に親しまれています。 毎年1月23日~25日に開催されるお祭り「三夜さま」では、縁日や植木市もあり、商売繁盛や家運の盛隆を願う大勢の参詣者で賑わいます。(久留米の観光スポットより、)
月読神社にはわずか10分足らずの間に私以外に2組ほど人が来られていました、眼病治癒に後利益があってその為に来られる方もいらしゃいます様で…
【九州:福岡県】『福岡県・月読神社 伊弉諾尊の目から生まれた月読尊を祀る神社』
月読神社について

月読神社は、天文3(1534)年に林次郎兵衛が二田村(現在の田主丸町東町)の自宅に月読尊(ツクヨミノミコト)を安置したことが始まりといわれ、明治13(1880)年に現在の地に社が勧請されました。
ご祭神に月読尊がおまつりされています。日本神話によると父尊である伊弉諾尊(イザナギノミコト)が左目を洗った時に天照大御神(アマテラスノオオミカミ)が誕生し、右目からは月読尊が誕生したといわれています。天照大御神は太陽の神として称えられ、月読尊は「月神」として、夜の世界を照らし、月の引力によって潮の干満が起こることから、安産、海岸安全、漁業、海難、そして五穀豊穣にもご利益があるといわれています。また、昔から月にはうさぎが住んでいたということから、境内にはうさぎの像がいくつかあります。

月読神社は、月読尊が伊弉諾尊の右目から誕生したため、古来より眼病平癒にご利益があるといわれています。そのため、眼病平癒にまつわるお話がいくつか残されています。
今から280年ほど前のこと、古賀又左衛門という両目を患った者がいました。
ある夜のこと、夢の中で月読尊から「両目の病を治したければ、月読の神が鎮座する二田村を訪れよ」とお告げがありました。失意の中にいた又左衛門は、夢のお告げの通り、林次郎兵衛宅を毎日訪れ「目の病が治りますように」と、祈願しました。すると、わずか17日で目の病が治ったのだとか。
その後、眼病平癒で訪れる人々が絶えず参拝に訪れるようになったと伝えられています。

そして、月日は流れ、寛延2(1479)年のこと。柳川藩(現在の福岡県柳川市)藩主は、娘が目を患っていることを気の毒に思っていました。月読神社が眼病平癒にご利益があることを知った藩主は、代参者を林次郎兵衛宅へ赴かせ、娘の眼病平癒を祈願しました。37日後、娘の目が良くなったのだとか。大変喜んだ藩主は、林次郎兵衛宅を二田村から現在の地に移し、そこに立派な社を建てたといわれています。
ここの神社は彫刻が凄い、
その社が、現在の「月読神社」といわれています。月読神社には、今日も目の病気平癒や目の手術成功を願う人々が訪れます。毎年1月23日から25日に行われる「月読神社大祭」では、他に露店や植木市なども行われるため、多くの人で賑わいます。
神主さんから聞いたご利益の話 自身や家族が白内障や緑内障などといった手術が必要な目の病気にかかり、いざ手術となった際、月読神社を参拝した人々は、無事に手術が成功し、元気になった目で再度月読神社の景色を見に訪れるのだとか。久留米方面にお越しの際は、月読神社を訪れてみてはいかがでしょうか。(メノコトより、)
眼病治癒に人が絶えないですね、他にも目が良く見えるという事で先を見通す力も付くとか、前回、向かいの家を訪ねると御朱印とお札をいただいていましたが、今回はそこが改装中で本殿横に置かれていました…防犯どうなってるのよ、、横の賽銭箱に入れるようになっておりましたが…
前回は気が付かなかったですが、
ウサギの灯篭が幾つかございました。
月読神社参道入り口、太陽の周りで渦を巻いている様な何か不思議な雲ですね…
こちらでも灯篭にウサギさんが、
少しづつポーズが違います、
馬場瀬神社(罔象女命、応神天皇)
月讀神社の南側境内に「馬場瀬神社」があり、月讀神社と対面する形で鎮座している。この馬場瀬神社が田主丸河童の起源を持つ神社とされる。寛永10年(1633年)田主丸町の開祖・菊池丹後入道(森田長芳)が水神の罔象女命(みずはのめのみこと)を自宅・田主丸町馬場に祀ったのがはじまり。その後、寛永16年(1639年)田主丸大庄屋 森田大蔵が馬場瀬神社を建立。その後、明和3年(1766年)菊池嘉平により東町の開作がおこなわれ、この東町の地に移され「馬場瀬神社」として遷座。この後、二田村の月讀神社を、明治13年(1880年)6月に勧請して、現在の月讀神社境内となる。人々は親しみをこめて「ばばんせどん」と呼んでいる。また、この馬場瀬神社の社殿の中には、五体の木像(罔象女命・二位尼・九千坊・沙悟浄・平清盛)が納められており、その内の二体の木像の「九千坊」「沙悟浄」は田主丸の人々から『川ん殿』と呼ばれている河童さんである。
​​月読命様がお祀りした神社あれば、河童さんがお祀りされた神社も、沙悟浄(仮)も祀られているというのは面白いですね、ちなみに沙悟浄さん、今の説では河童ではない様、例えば、揚子江河イルカ等(それも何年も前)、諸説あるけれども一体何者なのでしょうね。
こちらを訪ねた時、雨がパラパラと降り、更に風が吹きました、それは一般的に歓迎されているサインだとか、
…十五日は自分で書いた為に歪ん見えますね、すいません、また行く機会があったらお参りに行きたいと思います。
​↑↑↑の方は家に帰ってからのものです、
↓↓↓は十五夜の月です、今年の十五夜の月は17日で、翌日が満月でしたが、写真は撮れずにいました。こちらは撮影出来たのでよしとしましょう。
9月15日 久留米 田主丸町 月読神社 その1でした。





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最終更新日  2024年09月26日 21時37分52秒
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