特別編 5 『FGO』に登場するメリュジーヌとは何者か、
特別編 5 『FGO』に登場するメリュジーヌとは何者か、今回は特別編 5 『FGO』に登場するメリュジーヌとは何者かについてです。特別編は久しぶりで ゴルシファーの元ネタのルシファーについて(2022年02月24日)以来でした、ルシファーは特に有名な堕天使で日本でも『グラブル』や『モンスト』と言ったゲームでも大人気、ゴルシ×ルシファーでゴルシファー…安直やね。なお、何の縁なのか『モンスト』のルシファーと『ウマ娘』のオルフェーヴルは同じ声優の日笠さんでした。実はメリュジーヌは表紙にするための口実でもありますが、過去に2024年01月13日、2022年08月02日と紹介しています、その時は自力で取りましたが、今回は流石に召喚しました…。ぶっちゃけメリュジーヌとは、メリュジーヌ:フランス中西部ポアトゥー地方の町リュジニャンにあった古城の起源にまつわる伝説の中の半身蛇体の女性。伝承ではアルバニアの王と水の精ウンディーネの娘で、土曜日には下半身が蛇体となる。リュジニャンの領主レーモンと結婚し10人の息子を生み幸福に暮らしていたが、夫が禁を破って土曜に姿を見てしまったので窓から竜となって飛び去った。夜に幼子に乳を与えに来ていたとされる。リュジニャンの城主が替わる時やフランスに不幸が起こる際には3日前に叫び声で警告したという。(世界大百科事典 第2版より、)…との事、今回はこの事について詳しく書かせていただきます、と言うか、半身蛇体という事は、有名コーヒーチェーン店スターバックスのロゴマークですよね、正体は「船乗りを魅了して溺れさせる人魚・セイレーン」、個人的に『ちいかわ』で登場したセイレーンが鮮烈な印象があるのですが…太平洋の南には、多くの船員がセイレーンによって殺されたという逸話の残る「スターバックス」という島がありました。スターバックスは「人びとを魅了する」という意味で、セイレーンをロゴに使っているようです。他にも、 ロゴマークから「ダゴン神」を連想する人もいるそうです。ダゴン神は旧約聖書に登場する「豊穣の神」で、大地との結びつきが強いことで知られおり、近世では「上半身が人、下半身が魚である魚人」と考えられるようになりました、ミルトンの『失楽園』やクトゥルフ神話でその姿が描かれています。多分、メリュジーヌとはあまり関係ないとは思われますが、元ネタの姿形が近い、、、メリュジーヌは今まで3度ウエハースカードとして登場してますが、今回の第13弾は、他の掲載しているSNS等を見たら封入率が酷すぎ、例えば、ノーマルだからと言って常に出るとも限らないし、毎回集めている人も前回より酷いそうです、まじかよ、、、だから召喚がお勧めですね。ちなみに前回は第44回 龍神様についてついて紹介しました、龍神様は謎多き神様 龍神様、自然現象が元でしょうが、世界各地に龍は存在します、そのため幅広いため何処からどうすればよいか分かりませんが…基本的な事や、スピリチュアル的な事も混ざっていると思います。しかし、龍神様と言えばスピリチュアル的要素がが強すぎますが…8月のソダシカレンダーまじでカワイイ、キュンキュンだね、まるでヤギの様でも…今浪さんが可愛いのもある。馬術総合「初老ジャパン」が銅、競技メダルは92年ぶり 西竹一以来パリ・オリンピック(五輪)第4日の29日、馬術の総合団体で日本が銅メダルを獲得した。馬術での日本のメダルは、1932年ロサンゼルス大会の大障害で西竹一が優勝して以来、92年ぶりとなった。日本は大岩義明(nittoh)、北島隆三(乗馬クラブクレイン)、戸本一真(日本中央競馬会)と、リザーブで出場した田中利幸(乗馬クラブクレイン)。初日の馬場馬術で5位につけると、2日目のクロスカントリーで3位に浮上。最終種目の障害馬術を前に、北島の馬が馬体検査をクリアできず、5位に後退。最終日の障害馬術で順位を上げた。4人は2018年からチームを組み、18年世界選手権で総合団体の過去最高となる4位、21年東京五輪では総合個人で戸本が4位入賞など、着実に力をつけてきた。(朝日新聞社より、)馬術で日本唯一のメダリスト バロン西こと西竹一〔五輪〕五輪の馬術で日本勢のメダルはこれまで一つだけだった。1932年ロサンゼルス五輪の障害飛越で「バロン(男爵)西」こと西竹一中尉が獲得した金メダル。今回は実に92年ぶりのメダルとなった。西はウラヌス号とのコンビで多くの実績を残しロス五輪でも優勝。愛馬は非常に気難しいことで知られていたが、本番では難しい障害を次々にクリアするなど見事に乗りこなしたという。西は男爵の爵位を持ち国際性も豊かだった。そのため金メダルを獲得した際には、米国の地元新聞でも大々的に取り上げられたという。36年のベルリン五輪にも出場したが、成績は振るわなかった。第2次世界大戦中の45年3月に硫黄島で戦死した。(時報通信社より、)馬術競技92年ぶりメダル獲得、坂井瑠星騎手の師匠である戸本さんも参加されていたとか、おめでとうございます!しかし、バロン西こと西竹一中尉、その後の人生があまりにも壮絶すぎる…※余談ですが、※イメージ画像です、縄文人と弥生人の人骨が同じ墓に寄り添うように埋葬されているのはこの二人の関係はとても親密だったのでしょうか?衝撃!大量の古代人骨が教える真実!古代の墓地「土井ヶ浜遺跡」の謎あり得ない弥生人骨の出現 山口(2014/10/10 07:00)土井ケ浜・人類学ミュージアム名誉館長 松下孝幸氏わが目を疑った。このような弥生人骨が「土井ケ浜遺跡」から出土するはずがない。昭和57年10月26日のことである。私は土井ケ浜遺跡の第7次調査に参加していた。憧れの遺跡であり、土井ケ浜遺跡の発掘調査に参加することができただけでも奇跡に近い。目の前に、2千年の眠りから覚め、まさに出土しようとしている人骨がある。はけやブロアーを使い、顔面を覆っていた砂を慎重に取り除いた。保存状態はきわめて良好である。ブロアーで鼻根部(鼻の付け根)の砂を吹き飛ばした瞬間、目がくぎ付けになり全身がフリーズした。鼻根部が深くくぼんでいる。これまでに見つかった土井ケ浜弥生人の特徴ではない。土井ケ浜遺跡の発掘調査は昭和28年から32年までの間、5次にわたる発掘調査がおこなわれ、約200体もの弥生人骨が出土した。当時、弥生人骨の出土は全国でも皆無に近かった。その後の研究の成果で、土井ケ浜弥生人は、顔が高く(長く)、顔面は扁平(へんぺい)で、高身長であることが判明した。ところが、私の目の前にある人骨は、これまで発掘されたものと、あまりに顔つきが違う。「この土坑墓は本当に弥生時代のものですか?」山口県教育委員会の担当者に思わず聞いてしまった。担当者は不可解な表情で「弥生時代の墓ですけど、どうしてですか」と問い返した。「実はこの人骨の顔面には土井ケ浜弥生人の特徴はみられず、どうみても縄文人の顔なんです」これが私が土井ケ浜遺跡で出会った初めての人骨(701号人骨)だった。この時の衝撃は鮮烈で、今も目を閉じると、そのときの光景が蘇る。701に寄り添うようにして埋葬されていた人骨(702号人骨)は、これまで知られている土井ケ浜弥生人そのものだった。どちらも男性だが、顔もプロポーションも対照的で、異質である。701は、顔の高さ(長さ)が短く、横幅が広い。「低・広顔」という。眉の上「眉上弓」が隆起し、鼻骨も隆起しているので、鼻の付け根(鼻根部)が陥凹(かんおう)している。いわゆる彫りの深い容貌だ。身長は158・8センチしかない。これらは縄文人の特徴なのである。一方、702は、顔が高く(長く)、横幅が狭い「高・狭顔」だった。鼻は低く、鼻根部は扁平で、彫りが浅い。身長は165・9センチもあった。これほど身体的特徴が違う弥生人が、なぜか寄り添うようにして、埋葬されている。一体、この2人はどのような関係にあったのであろうか。土井ケ浜弥生人のなかには701のような縄文人的形質をもった人骨は他にないのだろうか。もし、この1体だけとしたら、701とは一体何者なのであろうか。第7次調査を終え、土井ケ浜遺跡を後にしても、このような疑問が次から次へとわき上がった。土井ケ浜弥生人のルーツを探る、長い旅がこの瞬間、始まった。まさか、土井ケ浜弥生人が沖縄などの琉球列島や大陸と深い関係があろうとは、この時は予想もしなかった。九州・山口地方は長い歴史に彩られ、往時をしのばせる遺跡や遺物、伝承も多い。こうした歴史のささやきに、耳を傾けてきた専門家の話を聞く。(随時掲載)(産経新聞社より、)国指定史跡「土井ヶ浜遺跡」土井ヶ浜遺跡からは約300体の人骨が出土しました。それらの人骨の研究によって、土井ヶ浜の弥生時代の人々の顔や身体が、それまでの縄文時代の人々とは異なることが明らかとなりました。土井ヶ浜遺跡は弥生時代の埋葬跡で、国の指定史跡です。響灘に面する土井ヶ浜の海岸。そこは風によって運ばれた砂が厚く堆積し、砂丘が形成されています。その緩やかな砂丘上に、弥生時代の人々は死者を埋葬していました。遺体が海岸の砂丘に埋葬されたため、貝殻などのカルシュウムが人骨を守り、良好な状態で後世に残った稀有な遺跡です。(土井ケ浜遺跡・人類学ミュージアムより、)土井ヶ浜遺跡と言えばこの後の書きますが”弓が13本刺さった人骨”の方が有名で、教科書にも掲載されている程です。土井ケ浜遺跡の復元された弥生人の顔が某塩顔イケメンにそっくりでしたが…どの骨から復元したかは分かりませんが、弥生人と縄文人の男性同士が寄り添って…男色でしょ。最近観た動画の中で個人的に面白かった、男色は古代~明治時代まで各時代で書物に残っているし、文字の無い時代でもあっておかしくはないと思う。ギリシャ神話等にも書かれており、ゼウスやアポロンの恋多き神様でも美女にナンパする一方で実はそんなんだった、まあ、どちらも美少年やし、場合によっては少年の方が綺麗だ…とにかく、愛の形は色々ある。兵士や武士はお互い妻よりも過ごす時間が長いし、命を懸け任務に当たっているなら他ならなでしょう、宗教や倫理感が叫ばれる様になり平和になったからこそ、タブーになったのでしょうが、まあ、常識は常に変わっていくものだ。が、しかし、羂索(けんじゃく)が高羽と共に踊っているダンスは『しかのこのこのここしたんたん』のこしたんダンスにも似てるね……ブリーマグワイアダンスは意外と広く使われている余。日本で初めての男色の記録は『日本書紀』にあるという。神功皇后摂政二年(西暦二〇二年?)、昼にも拘わらず真っ暗になった。古老によれば、これは「阿豆那比あづなひの罪」――二つの神社の神職を同じ墓に葬ったことが原因だという。追及すると、村人の一人が証言する――「小竹祝しのはふりと天野祝あまののはふりという仲のいい神職がいた。しかし、小竹祝しのはふりが病死したとき、天野祝あまののはふりが後を追って自殺してしまったので、共に葬った」。それゆえ、改めて二人を別々に葬ったところ、昼は再び明るくなるこの「あづなふ」は「からみつく」という意味であり、男色の罪だという説がある。しかし説得力は薄い。男色そのものが罪ならば、生前に祟りが起きているはずだ。「阿豆那比の罪」について、「二社の祝者はふり共に合葬あわせおさむるか」と日本書紀は説明している。「あづなふ」とは「相埋あひうづなふ」のことという説もあり、こちらの方が説得力が感じられる。神に奉仕すべき者が、その責務を放棄して死んだ、そして、他社の祝者はふりと共に埋葬された――これこそが神の怒りに触れたのだ。(カクヨムより、)日本書紀にもそういう記述が、発掘された骨は小竹祝と天野祝の逸話に似てると思うし、寄り添って埋葬されてるし。まあ、神功皇后が山口に寄っててもなんの間違えがないと思うし、記紀で書かれたものに近いのが現実の史跡として発見されるのは面白い事だ、正、小竹祝と天野祝のゆかりの地は大阪とされていますが、しかし、一緒に寄り添って埋葬されているからいって「阿豆那比の罪」なんて、、、本人達は満足しているだろうけれども、本当はどういう解釈???かは分かませんが。まあ、女装したり、男装したりがデフォだから。土井ヶ浜遺跡で発見された弥生人白骨遺体の傷跡に残る謎山口県下関市の土井ヶ浜遺跡から出土した人骨には14本もの矢が深く突き刺さり、頭部は鈍器で潰されていた。2000年前の弥生時代で、いったいどのような経緯があったのか、頭頂部から腹部に矢傷跡13か所が確認できる人骨そんな人骨の一つ「第124号人骨」は、特記するべきものでした頭頂部から腹部にかけて骨に残る矢傷跡が少なくとも13か所確認できる人骨です。そのうえ、頭部を完全に潰されているのです。人骨周辺からは石の鏃(やじり)12点、サメの歯の鏃2点、合計14点が出土していますので、骨に残る痕跡以上に多くの矢が撃ち込まれた可能性もあります。被害者は壮年の体格のいい男性。しかも右腕には当時大変貴重な「ゴホウラ貝の腕輪」をしていました。このゴホウラ貝は南西諸島にしか生息しない大型の巻貝で、その貝殻を丁寧に輪切りにして腕輪にしたものです。当然、弥生集落で特別な存在でなければ所持できない貴重な装飾品です。人骨の所見によると、矢は至近距離から撃ち込まれていることがわかっています。惨殺遺体といえるでしょう。(汗)(歴史人より、)有名なのはむしろ…歴史の教科書に掲載されてだし、理由は諸説語ってはいるけれども、まあ、今の常識と違うし、土地を争った村同士の対立で56された負けた方のリーダー各でしょうね、人間集団で盛り上がるとガチで何をしでかすか分からないからね、弓で射るだけでなく頭を潰したりして損傷している、いささかやりすぎでゾクッとするけれども、相手に反撃されなか恐れていたのかも、”黄泉がえり”という価値観でもあったのだろうか???それから、弥生時代に頭を損傷した頭蓋骨が多いのは、多分、古代の剣や槍など1~2度使えばダメになるレベルで、後は鈍器として撲〇していたと思う…現実の骨から物的証拠もあるし。ヌチュ…『逃げ若』みたいに鎌倉幕府滅亡~南北朝時代を取り上げたアニメ等を見てると、皆さま 一様に血気盛ん💦、人の命がいとも簡単に、南北朝時代でもそれだから、古代と今では常識が違うのは当然、ちょっとした揉め事で56される事はよくあったと思う。今回『逃げ若』のアニメでは生〇団子が一切遠慮なしに放送されたし…鎌倉武士に習ってどういう訳か戦闘狂が多い。なお、目玉おやじ👁️こと小笠原貞宗はクリーチャーな見た目してまともな方で常識人だったりします、ある種のおっさんずラブやし、それから、南北朝時代も古代も”弓”は最重要、特に諏訪地方は古代から黒曜石が取れるので加工のし易さ鋭さからそれを弓矢の鏃として使用されていましたし。↑↑は鳥取砂丘ですが(※画像はイメージです)、土井ケ浜遺跡よりも少し後の時代、200年程後の時代の鳥取の青谷寺上遺跡で出土した骨の多くは血縁関係が無いとしていますね、それは、他から奴婢を集めていたに違いなく、魏志倭人伝でも記載された事実も、土地争い等に負けた人間が奴婢として集められていたのでしょうが、、、こちらも顔を復元されてますが、まるで借金が返済が出来ず地下労働してるかの様、カ◯ジかよ、生活環境が顔に出るとは言いますが、1800年も経ってそんなのなら何だか悲しくなる。しかし、その弥生人の脳が残っていたというからトンデモない、どんな保存状態だったのだろう。調査はこれからだけど、どんな研究結果が出るのだが…※なお、今回、メリュジーヌの水着ver.が登場しましたが、12月に一番くじに出るてばよ、メリュ子はB賞だとか、可愛いが一番くじ…くじ運わるいからね。が、しかし、水着の概念は普通それだが…??????な ぜ こ う な っ た …えっ水着、水着ベルゼバブは水着の概念を吹き飛ばす、、、よう見たら島風のZ期パン様だが、一瞬 全裸の人かと思ったよ。『グラブル』何をトチ狂ったかと、しかし、これが『ウマ娘』と同じ会社とはよう、べルゼ兄さんの水着なんて見たくない余、、他にほぼ全裸で光(炎)で隠しているヤツがいるのでヘーキ、ヘーキ、水着カーマだよね、第三再臨以降の、、先にやったのは『FGO』の方だし、元ネタ♂…なお、その元ネタも『FGO』内に登場している。並べるとエグッ…しかし、『FGO』8月14日(水)から水着イベント「水着イベント2024」が開催されるがな、カルナとか、パールシヴァルとかインド鯖多いな…CMにカルストンライトオじゃない、メリュジーヌいたし、あれは京都の伏見稲荷大社やん、、※それよりも水着イベントなにやら炎上してる様、水着シエル、なんか地味なキャラだと思っていたら『月姫』キャラだっただね、、まあ、私個人はちょっと知っていたから思い出したけれども、よく事情知らないユーザーには「はあ???」思うだけ、様は内輪ネタだからね。『東方Project』初期キャラと言えば分かりやすいかな、初期 靈夢や魔理沙だったら分かるものの、小兎姫の様に旧作でしか登場しないキャラがいきなり水着で登場したら混乱するよね、魅魔様だったらまだ分かるかも???内輪ネタは学生時代のノリの様で楽しいけれども、限度というものがあるよね、今や、押しも押されもせぬ有名作なら尚更、先にせめてストーリー上に登場したら分かるけれども、内輪ネタも良いのと悪いのとがある。水着シエルはエレシュキガルビースト(遠坂凛)の前座だったのか、それでも前もって説明がないとヤバいね、『月姫』の遠坂凛と『Fate/stay night』『FGO』遠坂凛と同じでも微妙に違うもんな、それは『鬼滅の刃』の原点『過狩り狩り』の愈史郎 珠世の様なものだと思う、そもそも『月姫』と『Fate/stay night』『FGO』は繋がっているし。メリュジーヌメリュジーヌ(別名:メリュジーナ、仏: Melusine)は、フランスの伝承に登場する水の精霊で、一種の異類婚姻譚の主人公。上半身は中世の衣装をまとった美女の姿だが、下半身は蛇の姿で、背中にはドラゴンの翼が付いている事から竜の妖精でもあるとも言われている。マーメイドの伝承とも結び付けられて考えられることもある。伝説の概要メリュジーヌの伝説は、フランスでは14世紀より前からメリサンドという名でも知られ、民話にも登場していた。その原型は、ずっと以前から知られているヴイーヴルやセイレーンといった怪物であろうとも考えられている。1397年にフランスのジャン・ダラス(英語版)が『メリュジーヌ物語』を散文で著し、その後クードレット(フランス語版)という人物が1401年以降にパルトゥネの領主に命じられ『メリュジーヌ物語、あるいはリュジニャン一族の物語 (Le roman de Mélusine ou histoire de Lusignan )』を韻文で書き上げたことで広く知られるようになった。その物語とは次のようなものである。メリュジーヌは、泉の妖精プレッシナとスコットランドのオルバニー(アールバニー)王エリナスの子である。母親の出産時に、禁忌とされていた妖精の出産を父親である領主が見てしまったために、メリュジーヌと2人の妹、メリオールとプラティナは妖精の国に戻されてしまった。成長したメリュジーヌと妹達は復讐心を募らせ、結託して父親をイングランドのノーサンブリアのある洞窟に幽閉した。ところが母親は夫を愛するがゆえに、メリュジーヌと妹達に、週に1日だけ腰から下が蛇の姿となるという呪いをかけた。さらに、もし変身した姿を誰かに見られた場合には、永久に下半身が蛇で翼を持った姿のままとなってしまう。従って、メリュジーヌが誰かと愛を育むには、その1日に彼女の姿を見ないという約束を果たせる者と出会わねばならなかった。ポワトゥー伯のレイモン(またはフォレ伯の子レモンダン)は、おじを誤って殺したことから家族の元を離れていたが、ある日メリュジーヌと会って恋に落ち、メリュジーヌも「土曜日に自分の姿を決して見ないこと」という誓約を交わした上で結婚する。彼女は夫に富をもたらし、10人の子供を儲けた。また、彼女の助力もあってレイモン(レモンダン)はリュジニャン城を建て、町も築くことができた。ところが夫は悪意のこもった噂を耳にすると、つい誓約を破り、沐浴中のメリュジーヌの正体を見てしまった。部屋に1人閉じこもっていた彼女の姿は上半身こそ人間だったが、下半身は巨大な蛇(あるいは魚)になっていたのだった。誓約を破られたため、メリュジーヌは竜の姿になって城を飛び出していった。しかしまだ小さい子供がいたことから、授乳のために一時城に戻ったほか、城の城主や子孫の誰かが亡くなる直前にも戻ったという。そのため、城主らの死が近づくと、城壁の上に幽霊のようにメリュジーヌが姿を現しては泣き悲しむ様子が見られたという。メリュジーヌの子供達の多くは化け物の性質を持っていたものの、問題なく生まれた2人の子供の血統からは、後のフランス君主が立ったという。リュジニャン城は後に取り壊され、現在は存在しない。別の異本では、メリュジーヌはブルターニュ伯(あるいはポワトゥー伯)の下に美女の姿で現れて求婚し、妻となって後は彼を助けたが、「日曜日に必ず沐浴するので、決して覗かないこと」という誓約を夫に破られ、正体を明かされる。夫は、メリュジーヌが人間でないことを知ってからも妻とし続けたが、2人の間に生まれた気性の荒い異形の息子達が町で殺人を犯したと聞いて激昂し、息子達の性格上の欠陥の原因を彼女の正体のせいだとして、「化け物女」と罵倒したため、自尊心を傷つけられた彼女は正体を現し、教会の塔を打ち壊して川に飛び込んで行方をくらましたという。その後、彼女は水妖の一員となった。紋章などに用いられている尾が2つあるマーメイドは彼女の姿であるとされている。息子たちクードレットの記述による。ユリアン(後にキプロスの王になったという)、ウード(外見と顔が炎のように燃えて見える)、ギイ(後にアルメニアの王になったという)、アントワーヌ(片頬に獅子の足が生えている)、ルノー(一つ目)、ジョフロワ(大牙が一本あり)、フロモン(鼻の上に毛で覆われたアザがある)、オリブル(三つ目)象徴エリアーデによれば、メリュジーヌを構成する「女性」と「蛇」、そして伝承によっては加えられる「魚」といった要素は、いずれも豊穣のシンボルである。従って、メリュジーヌは豊穣、さらには再生を生み出す存在だと考えることができる。お菓子ブルターニュ地域圏では近代まで、メリュジーヌが町を去ったとされる日に祭りが開かれ、屋台で人魚のような姿をした女性を木型で浮き彫りにした素朴な焼き菓子が売られていたという。この素朴な焼き菓子の名も「メリュジーヌ」と言った。現代では、祭りが廃れこの「メリュジーヌ」も僅かな木型だけを残して姿を消している。(ウィキペディアより、)『FGO』メリュジーヌで大人気ですが、イラストレータCHOCO氏のメリュジーヌが秀逸なんでしょうね、CHOCO氏はきのこ氏の古くからの知り合い様でしたし、何時か何かを頼むつもりでいたとか。しかし、この様な逸話だったのですね、豊玉姫命や大物主の逸話に似てますが…豊玉姫(とよたまひめ)記紀神話における海神(わたつみ)の娘。海神国に赴いた山幸彦(火遠理命(ほおりのみこと))と結婚し、御子(みこ)を生むために山幸彦を追って海辺に至った豊玉姫は、鵜(う)の羽を葺(ふ)いて産屋(うぶや)をつくる。しかし出産が迫って葺き終えぬままに産屋に入り、山幸彦に、他界の者は出産のおり生まれた世界の姿で子を生むので見てはいけないと頼む。ところがこの禁を不思議に思って山幸彦がのぞくと、姫は大鰐(おおわに)となってはいくねっていた。辱めを受けた姫は、生んだ御子(鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと))を海辺に置き、海への通路を閉じて去る。この神話は世界に広く分布する、始祖誕生を含む異類女房譚であろう。なお、こののち姫は妹の玉依姫(たまよりひめ)を御子の養育のために遣わし、玉依姫はこの御子と結婚して神武(じんむ)天皇以下の母となる。[吉井 巖]『関敬吾著『海神の乙女』(『昔話の歴史』所収・1966・至文堂)』(日本大百科全書(ニッポニカ)より、)大物主神日本神話に登場する神。「もの」は,畏怖すべき霊威を有する意の語。「ぬし」は総領,支配者の意。大神神社(桜井市の三輪山)に祭られる。『日本書紀』の諸伝承の中には,オオモノヌシを大国主神(オオクニヌシノカミ),大己貴命の別名とするものもある。この神をめぐる所伝は特に神の結婚に関するものが多く,『古事記』によれば,大物主神は丹塗矢に変身して溝を流れ下り,勢夜陀多良比売という娘の陰部を突いた。この娘がその矢を持ち帰って床の辺に置いたところ,矢は美形の男になった。この男と娘との間に生まれた子が,神武天皇の皇后となった比売多多良伊須気余理比売だ,という。また,崇神天皇の代に疫病が大流行したとき,祟りをなしていたオオモノヌシが天皇の夢に現れ,意富多多泥古という名の大物主の娘に自分を祭らせることを要求したので,その娘を神主として意富美和の大神を祭った,という。一方,オオモノヌシの妻となった倭迹迹日百襲姫が夫の顔を見たいといったので,オオモノヌシは小さい蛇となって櫛笥の中に入っていたが,これを見て妻が驚いたのでオオモノヌシはひどく怒り,男の姿になって御諸山(三輪山)に登っていった。妻はそのことを後悔してどすんとその場に座り,そこにあった箸で陰部を突いて死んだ,という話も『日本書紀』にみえる。オオモノヌシは,もともと大和地方で圧倒的な影響力を持つ,三輪山に祭られる神であったものが,朝廷によって神話がまとめられていく過程でその体系の中に繰り込まれたものだろうし,この神をオオクニヌシと同神とする伝承は,両神の名称が類似していることにも影響されたものだろう。参考文献 松村武雄『日本神話の研究4巻(佐佐木隆)出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版まあ、他にも似たような話は幾つもあります、ちなみに大物主神は男神で男女逆転、いろいろな逸話が多いですね、とても、大国主命の別人格とは思えず、完全な別の神様ですわ、まあ、大和政権に抵抗し取り込まれたからこそ、同一視されているのかも。妖精データベース メリュジーヌ(Melusine)名称:メリュジーヌ(Melusine)分類:蛇女の妖精、竜の妖精生息地:町、森、泉や湖のほとり特徴:蛇の尾を持ち、竜の翼で飛翔する体長:人の女性と同程度だが、長い尾と両翼を持つ1.メリュジーヌとは―竜の翼を持つ半蛇の妖精―2.悲恋の物語3.残酷な呪いに込められたかすかな希望4.「見るなのタブー」の典型例メリュジーヌとは―竜の翼を持つ半蛇の妖精―メリュジーヌの印象を一言で表現するならば、儚げな美女。透き通るような歌声を奏で、見事なダンスを舞うこともできるが、人前で自慢げに披露したりはしない。そんな彼女の本当の姿は、下半身が蛇の形をしており、背中には竜の翼を生やしているというものだ。普段は人間と変わらない姿のメリュジーヌだが、毎週土曜日だけは半人半蛇の姿になってしまう。この姿は、忌まわしい呪いによるものであった。彼女にかけられた呪いとは、蛇の下半身や竜の翼を人に見られてしまうと、永久に竜の姿で生きなければならないというものだ。古くから「メリサンド」という呼び名でも語り継がれてきたメリュジーヌ。フランスにおいてこの名前は、「人間と結婚できる女妖精」の総称として、または、「半人半蛇の女妖精」の種族名として使われることも少なくない。しかしここでは、哀しい運命を辿ったひとりの妖精「メリュジーヌ」として紹介しよう。そのためメリュジーヌは、土曜日になると部屋に閉じこもり、誰とも会うことはなかったという。メリュジーヌはこの呪いをたいへん恐れていたため、土曜日以外の日でも、裾の長い服を選んで着ていたようだ。古くから「メリサンド」という呼び名でも語り継がれてきたメリュジーヌ。フランスにおいてこの名前は、「人間と結婚できる女妖精」の総称として、または、「半人半蛇の女妖精」の種族名として使われることも少なくない。しかしここでは、哀しい運命を辿ったひとりの妖精「メリュジーヌ」として紹介しよう。悲恋の物語メリュジーヌの恋の物語は、とても切ないものである。フランス中西部のポワトゥー地方に、「レイモン」 という貴族の青年がいた。彼は狩りの最中に、おじを誤って殺してしまったことにより、家族の元から離れて暮らしていた。自責の念に駆られながらクロンビエの森を彷徨っていたレイモンは、泉のほとりで戯れるメリュジーヌと出逢う。やがて恋に落ちたふたりは結婚を決意する。メリュジーヌは結婚にあたり、次のような条件をレイモンに課した。 「土曜日だけは、私の姿を絶対に見たり、探したりしないでください。これさえ誓ってくだされば、貴方に幸福と繁栄を約束しましょう」結婚生活は幸せそのものだった。献身的なメリュジーヌに支えられながら、レイモンはたくさんの財産を手に入れ、妻のためにリュジニャン城を築き上げる。さらにふたりは、10人の子供にも恵まれた。 しかし、レイモンはひとつの疑問を抱き続けていた。「なぜ土曜日には、メリュジーヌに会うことが出来ないのだろうか?」やがて、メリュジーヌが姿を隠す理由について良くない噂を聞いたレイモンは、ついに土曜日に隠れて沐浴していたメリュジーヌの姿を目撃してしまう。レイモンが見てしまったメリュジーヌは、下半身には大蛇の尾が、背中には竜の翼が生えた異様な姿をしていた。「本当の姿を見られると竜になってしまう」という呪いをかけられていたメリュジーヌの体は、たちまち竜へと変わる。彼女は嘆き悲しみながらレイモンに別れを告げて、住んでいた城から飛び立ち、どこか遠くへ行ってしまったという。このように、空へと飛び去って行ったメリュジーヌであったが、リュジニャン城には育児のために密かに戻ることがあった。また、城主や子孫が亡くなるときにも、追悼のために城に戻っていたらしい。ちなみに、メリュジーヌの子孫がフランス国王となったという伝承も存在する。子孫が治めた国を守るためだろうか、メリュジーヌは今でも、フランスの危機の際には人々の前に現れて警告を与えるという。残酷な呪いに込められたかすかな希望メリュジーヌにかけられた呪いは、実の母の手によるものだった。 メリュジーヌの母は、「泉の妖精プレッシナ(プレシーヌ)」だ。彼女は人間の夫である「エリナス王」と、「出産に臨む自分の姿を絶対に見ない」という約束を交わすことで、メリュジーヌと同じように人間と結ばれた。しかし、王は約束を違えてしまった。誓いを破られたプレッシナは最愛の夫と別れ、生まれたばかりのメリュジーヌら3人の娘を連れて、妖精の世界へと戻らなければならなかった。15歳になったメリュジーヌは、母を悲しませた父を懲らしめたいと望むようになる。彼女はふたりの妹と協力して、父エリナス王を 洞窟に幽閉することに成功した。「これで母様の恨みが晴らせた」と安堵したメリュジーヌだったが、別れてもなお、王を深く愛していたプレッシナは激怒。3人の娘たちに呪いをかけたのだ。中でも、王の幽閉を扇動したメリュジーヌには、特に残酷な呪いがかけられた。しかしこの呪いには、かすかな希望も込められていた。もしも、「土曜日のメリュジーヌの姿を見ない」という誓いを生涯守り続け、添い遂げてくれる男性と出会えたのならば、彼女は「平凡な人間の女性」として幸せに生き、人間と同じ長さの寿命を全うすることができたのだ……。怒りにまかせてメリュジーヌをひどく呪った母プレッシナだが、心の片隅には娘への愛情が残っていたのかもしれない。「見るなのタブー」の典型例「見るなのタブー」とは、女性が男性に対して見られることを拒み、それを男性が破った結果、悲しい結末を迎えるという物語の類型のことである。これは、世界各地の神話や民話などでよくみられるモチーフだ。 メリュジーヌの伝承も、メリュジーヌが「土曜日に一切の姿を見てはいけない」とレイモンと約束したことや、レイモンがそれを破ったため、メリュジーヌが竜となり去ってしまったことなどが、この「見るなのタブー」に当てはまる。さらに、メリュジーヌの伝説は、それ自体がメリュジーヌ・モチーフ(メルシナ型)と呼ばれ、異類婚姻譚の一つのパターンとして認識されている。日本であれば、「機(はた)織り部屋を覗いてはならないタブー」を破り、鶴が去ってしまった『鶴の恩返し』、「雪女と出会った過去を他言してはならないタブー」を破り、妻が出ていってしまった『雪女』、「玉手箱を開けてはならないタブー」を破り、老人になってしまった『浦島太郎』など、メリュジーヌの伝承に共通する物語を思い出すことだろう。母プレッシナは、メリュジーヌの妹たちにも呪いをかけた。妹の「パレスチーヌ」は山に幽閉、父の財宝を一生守らなければならなかった。もう一人の妹「メリオール」は、城の中でハイタカの世話係を一生強いられた。― 関連書籍 ―キャロル・ローズ著/松村一男監訳(2014)『世界の妖精・妖怪事典』― 原書房蔵持不三也監修/松平俊久著(2005)『図説 ヨーロッパ怪物文化誌事典』― 原書房ジャン・マルカル著/中村栄子・末永京子訳(1997)『メリュジーヌ―蛇女=両性具有の神話―』― 大修館書店水木しげる(1985)『水木しげるの世界妖怪事典』― 東京堂出版(妖精の森の道標より、)さっきも書いた通りで同じよなパターンの逸話も多く、昔ばなしではド定番といえるのではないのでしょうか、覗いてはいけないというのはガチで覗いてはいけない、しかし、人間好奇心には耐えられないし、押すな押すなというセリフと同じでは?????母親のプレッシナは夫を愛する普通の女性だった、別れても夫婦仲でしかわからない事があるからね、それが子供達に伝わらなかった事は今でも多々ある、世間や子供には酷い事をしたように見えるから、サスペンスなんかでもよくあるパターンの一つだったりしますが。メリュジーヌは素材は沢山ありますが、十二単メリュジーヌを探していたら、彼が…西川霊夢……ちなみに、ご本人がフリー素材の様なものと仰っておりましたが……メリュジーヌの遺産『メリュジーヌ物語』ポアチエ近郊の領主、レモンダンは妖精(はっきりした素性はレモンダンにも最後まで明かされない)メリュジーヌと出会い、毎週土曜日に何をしているか詮索せぬこと、知ったとしてもそれを人に話さぬことを条件に結婚する。結婚直後からメリュジーヌはリュジニャンに居城となる城を築いたのを最初にポアトゥー全体に町や城、教会を建てていった。10人の子供たちは体のどこかに一カ所欠陥があった(牙のような歯、三つ目など)が何れも素質に恵まれ、エルサレム、アルメニア、キプロス王となった。一族が絶頂のなか、ある日レモンダンはついに禁を破ってしまう。土曜日に水浴中のメリュジーヌの姿を見てしまうのである。メリュジーヌは上半身が女性の体、下半身は蛇の妖精であった。姿を見られたメリュジーヌは一族の繁栄と衰退を予言し、リュジニャンの領主が代わる三日前に告知することを約束し永遠にレモンダンの前から姿を消す。物語後半は子供たちの活躍と末裔の現在が述べられる。史実リュジニャン一族は実在した一族で本家は1308年に断絶するが分家は『物語』にあるように繁栄し、エルサレム王、アルメニア王、キプロス王となった。しかし急速に衰退し15世紀にはパルトネィに細々と命脈を保つのみであった。『物語』中の記事は当時作者が知り得た史実が織り込まれている。から存在していたと思われる。メリュジーヌには水のイメージがつきまとっている。その点ウンディーネやメリザンドと同系列にある。『物語』の特徴は実在した一族の起源が妖精と結びつけられたこと、メリュジーヌの「蛇」という悪魔的イメージ伝承物語は1398年にジャン・ダラスがベリー候ジャンのため、1401年にクードレッドがパルトネーの領主のために書かれた。ランブール兄弟が製作した『ベリー候の豪華な時祷書』の「3月」は当時ベリー候が所有していたリュジニャンの城塞が描かれている。12世紀にシトー会修道士により言及されたのが記録上最古であるが伝説そのものは口伝によりずっと以前にも関わらずむしろキリスト教に肯定的(むしろ信仰に篤い)であることが挙げられる。「蛇」のイメージはキリスト教により呪われた、邪悪な存在とされる一方、豊穣、知恵(ツァラトゥストラにも登場する)、治癒力、永遠性(尾をくわえた蛇)を意味する。中世の伝説では女性と蛇が結びついたが、ずっと後にルドンにおいて蛇はついにキリストと合体するようになる。メリュジーヌとアリエノール・ダキテーヌクードレッド(後出)の記述するメリュジーヌはアキテーヌ女侯アリエノール・ダキテーヌ(1120ー1204)の面影が色濃く残っている。アリエノール・ダキテーヌはアキテーヌ候の一人娘として生まれ祖父はトルバドールの始祖、父親は幼い頃に巡礼の途中亡くなった。父親の没後すぐにフランス王子(間もなくフランス王となる)と結婚し、第二次十字軍に夫妻共々参加した後離婚、すぐにイングランド王妃となった。リチャード獅子心王やジョン欠地王の母親でもある。リュジニャン一族は彼女の臣下であった。アリエノールはポアチエ伯・ガスコーニュ伯を兼ねていたが父祖伝来のポアチエの宮廷を最も愛し、ポアトゥー地方が繁栄するよう絶えず配慮していた。この地方の数多くの聖堂を新築・改築の援助したのもアリエノールであり、一漁村だったラ・ロシェルを港として開発を行い後の軍港都市の基礎を作った。これらの事跡はメリュジーヌの事業として物語に盛り込まれている。後にはこの事実が逆転してしまい、アリエノールがメリュジーヌの再来と言われたこともある。アリエノール・ダキテーヌは、しばしばメサリーヌやメリュジーヌと比較されてきた。メサリーヌの方はあえて反論するつもりもないが、メリュジーヌと同一視するのは少々酷ではないだろうか(現代的な考え)。メリュジーヌはポワチエ地方の伝説に歌われた妖女である。ルドンとメリュジーヌオディロン・ルドンの出身地ボルドーはポアトゥー地方のすぐ南でアキタニアの中心都市である。アリエノール・ダキテーヌがフランス王ルイ七世と結婚式を挙げた所でもある。ルドンはタルモンとロワイアンのちょうど中間にある避暑地サン・ジョルジュ・シュル・ディドンヌで毎夏を過ごしていた。この地方の聖堂は怪物彫刻の宝庫である。ルドンの作品に登場する多くの怪物についてこれまで想像=創造として見られ、ルドン自身もそのように述べているがこうした彫刻群(ボルドー地方にもある)を含めた上で見直す必要があるのではないかと思っている。メリュジーヌをテーマにした作品はレゾネを見る限りないようである。近い作品として版画集『ギュスタフ・フローベルに』(『聖アントワーヌの誘惑』第二集、1889年)の『死-わが皮肉は他の一切を超越する』(pl.3)はこの作品をもとにした油彩画『緑の死』と共にメリュジーヌのイメージがある。死と豊穣という相反するメリュジーヌ伝説において通奏低音のように潜在していたのがこの『死』によって「絶対的なイメージ」(マラルメ)で描かれた。メリュジーヌ関係の資料妖精メリュジーヌ伝説:クードレッド作、森本英夫・傳田久仁子訳、現代教養文庫、社会思想社、1995年(絶版)ISBN:4-390-11584-7 クードレッドのたぶん最初の訳で、訳文は散文に直されている。文中に15世紀の挿画が多数おさめられ、巻末にランブール兄弟の「リュジニャン城」も掲載されている。カバーイラストが素晴らしい。メリュジーヌ物語:クードレッド作、松村剛訳、西洋中世綺譚集成、青土社、1996年→後に講談社学術文庫から再刊 ISBN:4-7917-9132-0(青土社) こちらは韻文で訳されている。後半にアナール派の中世史家ジャック・ルゴフらによる「母と開拓者としてのメリュジーヌ」を収録する。メリュジーヌ 蛇女=両性具有の神話:ジャン・マルカル著、中村栄子・末水京子訳、大修館書店、1997年 ISBN:4-469-21208-3メリュジーヌ伝説の「元型」がケルト起源であること、物語構造が世界中に、日本でさえも、普遍的に存在していること、などを明らかにする。以下の引用はクードレッド作、松村剛訳『メリュジーヌ物語』(青土社、1996年)による。( )内は行番号。(フランスのロマネスクより、)↑↑↑はだいぶ前のものですね、両性具有とは聞き捨てならないですが…『メリュジーヌ 蛇女=両性具有の神話 』ジャン・マルカル 著を読んだらわかるそうです、やはりセイレーンやダゴン神も似ているし、大きく広げるとあのメドゥーサにも、清姫とタイプは近いかも…だが、そこはどうなのでしょうか???清姫はずっとしっとりしてるからね、、、まあ、取り上げたキリがない。どれが先でどれが後か、卵が先か鶏が先かという理論になるし、昔からのド定番の民話と言えるのでしょう。どれも水や蛇等に関連しますね、だから龍神なんでしょうが。あと、アーサー王伝説との関係は、松平の説明によれば、妖精のモルガンの妹・プリジーヌ(プレッシナ)(アーサー王とは父親の異なる兄妹の関係となる)の子で、のアルバニア王エリナスとの間に生まれた姫。だからアーサー王と関係がある。なお、スコットランドのエリナス王と妖精プレッシーナの子がメリュジーヌだとされていて、 メリュジーヌはアヴァロン島(アーサー王伝説がある島)で育つんですが。 史実ではフランス王子と結婚→離婚、その後イングランド王と結婚して王妃に、、これがアーサー王と繋がっているという元ネタでしょう。しかし、これだけの違う伝説が?まあ、伝説なんて辻褄が合わなくて整合性つかないものだよ。特別編 5 『FGO』に登場するメリュジーヌとは何者かでした。