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2010.01.18
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カテゴリ:まきまき家の事情

こんばんわ。今日はかなりブルーなまきまきちゃんです。

先日は娘のスピードスケートの大会で車で1時間ほどの会場で500メートルに出場しました。ま、結果は予想どおり最下位…でも今回も1秒タイムを縮めることができて満足でした。でも、さすがにもっと娘に頑張って欲しいという気持ちが日々強くなり、大会が終わって地元でもさらに練習。

今日から学校も始まりスケートの授業も学校で始まり、学校の体育でもスケート。そして、今日はスケート少年団の練習は大会の翌日ということで休養日だったのですが、夜もちょっと疲れ気味の娘を、『練習しないと早くなれないよ!』とリンクへ連れていき一緒に滑っていました。

いつも遊び半分に滑るのですが、今日はフォームを指導したり、付きっきりで娘の滑りを指導しました。

でも、娘が疲れているせいもあって。『もう帰りたい。』『寒い。』といっていつもの練習のようにはすべってくれませんでした。

しまいには『ママ。うるさい。』『一緒にすべらないで!』

『ママ、嫌い!!!!』

と言われてしまい。私も少し、かっとして『じゃあ勝手にすべないさい!』といって、リンクから上がってしまいました。

と、娘は一人で何週がだらだら滑ったと思ったらすぐに練習をやめ靴を脱ぎ帰る用意をしました。しまいには車にも乗らず勝手に歩いて帰ろうとしました。

ショックでした。たしかにオーバーワークだったのかもしれません。

でも最近の娘ときたら反抗期?というか全く私の言うことをききません。

ある人が体罰も必要だよ。っていいます。

私は体罰は絶対に反対だと思ってます。みんなはどうなんだろう…

私は小さいときから、両親の喧嘩。祖父母の喧嘩。そして母と祖母の激しい家庭内の暴力をみて、そして受けて育ちました。祖母に関しては今考えると虐待といってもいいほどの仕打ちをされて育ちました。

結果、私は高校生の時に家に寄り付かなくなり、学校へもあまり行かなくなりました。姉はひきこもりになり、家の家計の事情もあり、適当な大学へ進学しました。

だから子供を自分で育てる立場になって絶対体罰はしたくないと考えています。
よく、体罰を推奨する人がいう一番の理由は


痛みを知らないから、いい気になって反抗する。だから痛みを教えるために体罰をする。


というのです。

果たして本当にそうでしょうか?私には理解できません。
たとえ私が間違っていたとしても子供に体罰はできません。

子供に手を上げるとき本当に痛みを知って欲しいと思って叩いたりするのでしょうか?
私はそうは思えません。ただの親の子供の反抗に対しての怒りや苛立ちがが暴力という形になっているようにしか思えないのです。それを『しつけ』と言って体罰を行うのは親の『エゴ』としか考えられません。

しかしながら、偉そうなことは言えないのは今の娘の私への態度です。
きつく言い聞かせているつもりでもまだ足りないのかもしれません。

でも、今日娘から『ママ。嫌い。』っていう言葉に私は深く傷つきました。

一番言われたくない言葉でした。

私は子宮頸管無力症という病気をもっています。
簡単にいうと、妊娠しても子宮が無意識に開いておなかの子供を子宮にとどめておくことができないのです。

だから娘を出産するまでに、1回の流産と2回の死産を繰り返しました。

死産の1回目は妊娠31週で胎動がなくなり原因不明で胎児が死亡した状態でした。2200グラムの女の子でした。
2回目は妊娠22週で、急に陣痛が始まってしまい、治めることができず、出産したものの生存はできなく死亡しました。285グラムの男の子でした。

そんな悲しい出産を乗り越えて、娘を妊娠した時は子宮を縛るシロッカー手術を妊娠15週で受けその後30週を迎えるまでずっと入院し、24時間点滴、ベット上安静でした。
そんな中、退院後2日で陣痛が起き2288グラムで娘が元気に誕生しました。
未熟児だった娘はそれでも保育器に入ることもなく元気に普通のこと同じように育ちました。

念願の出産でした。でも、そんな間に前の夫は複数の女性関係。仕事も季節労働ということもあり冬は働かなくなりパチンコ三昧、しまいには育児放棄。そして娘に手を上げるようになりました。夜泣きがうるさいと…
娘は異常に泣く子でした。そしてその暴力は私にも振るわれました。
でも私は娘がかわいくてたまりませんでした。

でも夫が許せませんでした。それに当時は夫の両親と弟との同居で小姑も毎日のようにご飯を食べにきたり私は家政婦のように家事をし、介護の仕事もし、夜はスナックで水商売のバイト…毎日疲れきっていました。

そんな中、夫は女子高生を妊娠させ、それを期に離婚に至りました。

離婚後、私はマンションを借り姉と同居をはじめ、小さな土建会社に就職し夜はスナックでバイト…睡眠時間は平均4時間ほどでした。
辛くなかったといえば嘘になるけど、娘が将来普通のこと同じように進学したりできるようにとせっせか働き続けました。幸い今は夜の水商売をしなくても安定して会社に就職できたので、やっと娘と一緒入れる時間が増えて安定してきたこことです。

しかし、小さいころから娘のそばに入れなくて寂しい思いをたくさんさせました。
そして、甘やかせて育ててしまいました。

その結果が娘の一言。
ママ。嫌い。

ショックでした。悲しくなりました。自分の今までの張り詰めていたものがぱーんと弾けたような気がしました。

帰宅してから、しかる気も起らず、娘が遠い存在にさえ思えました。

いつからこんな風になってしまったんだろう。

今日は自分の娘の育て方を間違っていたのだろうかと考え込んでしました。

時間とお金を引き換えに今に至った私たちの親子関係。

でも、少しずつ娘とちゃんと向き合って行きたいと思います。

こんなブログを書いてしまいましたが、少しでも今の気持ちを書き残しておきたかったのです。読んでくれた方々、読み流して下さいね。

まきまきちゃんは明日からもくじけそうだけどくじけられないもん。頑張ります!






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最終更新日  2010.01.18 23:26:00
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