年輪
私の場合、誕生日がほぼ年末なので、自分にとっての1年を振り返るというのにややこしいことが無くてよい。今年はどんな年だったろう?表面的に特に何か大きな出来事があった、ということは無かった。極めて平凡な一年。でも、自分自身の中身については、随分色々なものが変わって来た一年だったようにも思う。そういう「変わり目」の年。表面的な大きな出来事が無かった故かもしれないし、そういう時期であったからかもしれない。いろいろ経験してきたこと、考えてきたことなど、今までに積み重ねてきたものが、自分自身の殻を少し破っているような感触がある。というか、一つのまとまったものとして自分を形作る方向へ向かっている気がする。木の年輪というのは、同じことを季節の変わり目ごとに繰り返してただ“大きく”なってきた証でしかなく、人間の“成長”とは随分違うような気がする。人間の場合の成長は、質的な転換が大きな意味を持つから。とはいえ、後からある人間の一生を見たときには、一つの個性の形に向かって少しずつ近づいているに過ぎず、そういう意味では木の年輪と変わらないようなものなのかもしれない。今年は自分にとって、この年輪がわりあい「くっきり」と見えた年だったのかもしれない。なんとなく、そんな気がする今日なのである。この日記を読んでくださっている方々へ。私は明日より正月3日まで、沖縄県の宮古郡にある水納島というところで年越しをしてきます。そんなわけで日記はしばしお休み。今年一年お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。それでは良いお年を。