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カテゴリ:政治
先ず、現在の民主党の国会議員の中には、国家の大臣の職責が務まる人材が極めて少ないということは、これまで政権政党を担って以来の数々の外交、防衛、経済、復興対策・・どれをとっても国民のため、国益のため・・に殆ど進んでいない現実で明白であろうと思う。
それを踏まえた上でも、以前からずっと感じていたことだが、マスコミの政治家、特に与党議員への言葉狩りには余りにも目に余り、辟易するのだ・・。 如実にそれを感じたのは、最近の平野達男復興相の『私の高校の同級生のように、逃げなかったバカなやつがいる』・・という発言に対して、一部マスコミが例によって過剰に反応して報道したこと。 確かに、閣僚の立場になったからには、報道機関に対しても、国民に対しても相応の表現をし、言葉を適切に選ぶべきだ・・という事は大臣としての資質において、あるべきには違いない。しかし、前後の発言の脈絡を捉えていれば、当然取材する側も真意は読めるに違いないし、また読めなければ取材する側としての能力に欠け、不適格であるし、真意を読めていて揶揄、非難の対象として取り上げるのは、かなり低レベルの手法と言わざるを得ない。 一部にしろ、日本の政治分野のマスコミはそこまで低次元になってしまっているのだろうか・・・。 しかし、賤しくも長期政権を経験していた自民党議員には、この手の一部マスコミの論調に便乗して欲しくない。与党民主党を野党として攻めるなら、真っ向から政策論で攻めていって欲しい。そうでないと国家のあるべき本質を見失ってしまうではないか・・。 (以下は今朝の読売新聞『編集手帳』より) 10月20日付 編集手帳 戦時中、劇作家長田秀雄の戯曲『飢渇(きかつ)』が上演された。事前に台本を警視庁に提出したところ、以下のセリフが問題になった。〈奥さん、どうか一度だけ、接吻(せっぷん)させて下さい〉。「接吻」はけしからんと、その2文字が墨で消されて返ってきた◆検閲済みの台本で稽古をしたとき、俳優はグッと言葉に詰まり、「とても、これは言えません」と、演出家に泣きついたという。随筆家、車谷弘さんの『銀座の柳』(中公文庫)にある◆言葉は文脈のなかで生きている。一語を抜き出して「けしからん」と非難しても意味がない◆野党には“バカ”を問題視する向きもあるようだが、これを失言とみなすのはいささか気の毒だろう。「私の高校の同級生のように、逃げなかったバカなやつがいる」。津波の被害に触れて、平野達男復興相がそう発言したという。じかに聴いたわけではないが、どうして逃げてくれなかったんだ、ばかやろう…という気持ちならば、分かる◆向田邦子さんがある対談で語ったことがある。〈もし「バカ」が差別用語になったら、放送作家をやめるわ〉。暴言退治と言葉狩りの区別を忘れまい。 (2011年10月20日01時25分 読売新聞) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年04月12日 18時49分57秒
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