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カテゴリ:スポーツ
わたしはここで敢えて一言言いたい。
日本で特に、安保闘争が活発だった70年代の後、特に日教組の歪められた教育により、歪められた人権教育(義務を果たさないで、自己の人権ばかりを主張するような)とともに、競争を悪であるかのような、例えばゆとり教育のような、教育を子供たちは、押し付けられた。 彼ら(日教組)たちは、左翼的な思想により、資本主義経済を否定し、競争原理を日本国から排除しようとしていたのだろう。 国にとって教育は根幹の一つであり、国、及び国民生活の成り立ちとして重要な要項である。自国を愛し、守っていこうとする心は国民として至極当然の心理であるはずなのに、戦後勢いづいた偏った左翼思想者たちは、愛国心=軍国主義で、日章旗、日の丸も、まるで軍国主義の象徴のように国民を煽り、自虐思想を展開した。 しかし、世界で開催されるオリンピックを始め、国対国の競技大会で、自国の旗を掲げない国はないのはもとより、過去の戦争に加わった国、勝利した国、敗戦した国、全て誇りを持って国旗を掲揚し、国家を斉唱する。極々自然で、当たり前のことなのである。 今回、オリンピックに参加している世界中の選手たちも、自国の代表として誇りを持って自国の旗の元でベストを尽くして頑張っているのだ。競争原理を排除していては、競技も成り立たないし、オリンピックの出場が可能になるまで、選手たちは、血が滲むような努力を重ね、多くの人たちと、熾烈な競争を展開し、勝利を得てきているのだ。 競争原理があるからこそ、お互いに切磋琢磨して、自己最高点が生まれ、世界最高点も生まれる。それは経済が発展していく上でも同じことが言えるだろう。 ただ、それはメダル数獲得だけの目的のために、ルールを守ることは勿論、卑劣な戦術は許されない。世界が見つめているのだ。卑劣なことをすれば、失格するし、外交でも経済でも、スポーツでも国際社会から倫理を問われ、非難を受ける。 正々堂々とスポーツマンシップに則って、戦って貰いたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年08月05日 22時05分49秒
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