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カテゴリ:社会
ここ数日、新聞やテレビで報道されているある大阪市立高校のバスケットボール部のキャプテンだった部員が自殺をした事件で、以前より顧問の体育教師から度重なる体罰があったという。
確かに、〇〇の学校の〇〇部は試合が強くて名門クラブである・・と言うのは昔からどこでもあることだし、例外なくその所属クラブの顧問の練習の指導は、とてつもなく厳しいというのが常である。が、それでも指導する側の教師は、(至極当然のことながら・・)根底には教育の域を超えてはいけないとうい認識が必要だ。 昔の軍隊じゃあるまいし、(経験したわけではないけれど・・) あくまでも学校において指導する相手は学校の(場合によって小学校、中学校、高校など)児童であり、生徒である。今回のバスケットボール部の顧問は、その基本中の基本の立場を全く忘れ、名門のクラブの名声いや、18年間携わったという顧問個人の名声を何よりも優先したかもしれない。 必死に頑張っているクラブ部員の一人一人の気持ちになって考えてみたことなど、おそらく無いに違いない。 そんな中の名門のクラブのキャプテンに選ばれるような男子生徒だから、きっとバスケットも上手く、真面目な生徒であったのだろう。その有望な将来を伸ばしてやるどころか、追い詰めて結果的に、その生真面目さが裏目に出て、自殺という形で命を奪ってしまうことになるなんて余りにも、むごくて悲しい。 男子生徒の両親の気持ちを思うと、今回の事件は子を持つ親としても堪らない思いだ。 強豪の他の学校のクラブに勝ち抜いて行くという目的を顧問、部員で共通することは決して悪いことではない。が、顧問教師はその目的も根底に、教育の一環として捉えていることを決して忘れてはいけない。勿論、その手段も怪我をさせるとか、心を傷つけるような体罰は論外で教育の範疇を逸脱した行為である。 18年もの間、大阪市の教職員として移動していなかったと言うことは、今回の厳しい体罰などの指導のことは、歴代の校長を始め各教職員にも耳に入っていた筈だ。 事勿れ主義の体質は、結果的に悪の横行を黙殺してしまうことにも繋がる。 ましてや、学校現場の主体は児童、生徒である。今回の顧問教師は勿論、周囲の教師、校長、猛反省して改善して欲しいし、他の学校関係者も、じっくり見直しを試みて欲しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年01月15日 22時35分37秒
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