政府は、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更について、閣議決定の原案作成に着手したようだ。
一歩ずつ着実に進んで行って欲しい。
集団的自衛権の行使容認云々より、真っ向から憲法改正に取り組むべきだ、という意見も多い。安倍首相だって、即座に出来うるものならそうしたいに違いない。
しかし、一般的に今問題視されている、憲法九条改正と言っても、手続き云々、改正の詳細内容云々・・有識者、賛同する国会議員で懇切丁寧な説明を世論を巻き込んで実現化していくには、いったい何年、いや何十年かかるだろうか?
その間にも、第二次列島線、東シナ海を着々と狙って現実に自国の船を動かしている某国からの脅威に日本並びにアセアン諸国は脅かされていっているのだ。現実的に、憲法九条改正実現を悠長に待っていられない状況にあるのは国を司る立場の国会議員なら普通に把握してると思う。なので、国家国民を守るべくせめてもの手段として、独立国家として権利でもあるところの集団的自衛権の行使は、必要最低条件である。
そのことを踏まえた上で、憲法改正についても次のステップとして絶対進めていかなければならない。
先日、讀賣新聞に前防衛大学校長で現在は熊本県立大理事長の五百旗頭真氏の、憲法に対する考察の記事が載っていた。憲法改正の意義が、大変分かりやすく説かれていた。
その中の「米抑止力日本には必須」の項目のところで、
―――日本はどう変わるべきか。
「いまや、軍事面で強大化した中国と、対等に向き合える国はアジアにはありません。米国の巨大な抑止力を
借りないと、日本の安全はない。
だが、米国は世論の国です。
攻撃されている米艦を日本が見捨てるようなことがあれば、『なぜ日本を守らなければいけないのか』と
米国の世論は一気に冷める。同盟関係はいったん結べば安心ではなく、常に手入れを要する生き物なのです。
(中略)
日米が緊密な連携を維持し、中国の粗暴な要求を抑えなければいけません。そのために、日本は
自らの安全にかかわる場合には集団的自衛権を行使し、米軍と共にあるという意思表示が必要です。
漁民を装った武装集団が尖閣諸島に上陸するようなグレーゾーン事態でも、法的な穴をなくし、自助能力を
高めて日本は侮りがたいと思わせることも大切です。
今日の環境に適合した穏当な憲法に変えることが望ましいが、難しいでしょう。戦前に続いて、戦後も
『憲法を抱いて滅びる』ことがないように、力を行使する意思のある周辺の国から我が国を守るため、
憲法解釈の見直しも含めてあらゆる努力をなすべきです」
(2014.6.5 讀賣新聞朝刊より)
このように、讀賣新聞の朝刊で連載中の「憲法考」の考察は、憲法改正や集団的自衛権の行使容認の必要性を、より現実的に述べてあって、大変興味深い。
やはり、こうして考えてみると、先日維新の会で分党した、石原代表が言う「自主憲法設立」は理想論ではあるかもしれないけれど、より困難で現実離れになってしまう気がする。