|
カテゴリ:カテゴリ未分類
会場一杯に漂う菊の香り。決して豪華ではないが、寺社仏閣の塀を模られたような美しさと、凛とした雰囲気の祭壇の中央に、元気だった頃の故人の遺影が飾られていた。
知人のお通夜が先日、しめやかに執り行われた。仕事に従事しながらも20年もの長期間、癌と闘った末快気することが出来ず、無念にも生涯を閉じてしまわれた。その長年ずっと寄り添われて甲斐甲斐しく看病されていた、奥様の悲しみは如何ばかりであろうと、胸が痛む思いだ。 その喪主である奥様の、ご挨拶の言葉にもまた、胸を打たれた。 それは、当たり障りのない常套句ではなく、美辞麗句でもなく、内容が故人がお元気だった頃のご夫婦仲の睦まじさ,微笑ましさが伝わってくるものであった。そして、なおかつ参列者にも故人が、元気な姿で再会出来えなかった無念さを代弁し、さらに感謝の意を伝える言葉だったのだ。会場では方々ですすり泣きが聞こえた。わたしも堪え切れず、ハンカチで目を押さえた。故人と無二の親友であったわたしの夫はそれ以上に辛そうに涙を拭っていた。 人の人生は重い。更に故人を愛する家族や親族、親しい知人同士なら、大往生とは言えない途上で、絶たれてしまった人生への悲しみはとてつもなく大きい。 昨今、自らの欲望だけのために、尊い他人の命を奪ってしまう極悪非道な殺人事件が報道されている。 わたしは思う、死刑廃止論者に声を大にして言いたい! 人の命、人の人生は尊く重い。それだけにその尊い他人の人生を非道に奪ってしまった人間は、自らの命を絶って償うべきだと。人の人生を奪ってしまって、極刑より軽い罪状で刑に服した後の加害者の更生など、被害者や被害者の遺族にとって、余りにも看過できないことではないだろうか。 わたしのその知人は、非道な他人に命を奪われたのではないが、苦しい闘病の末、病気を克服して、充実した残りの人生を送りたかっただろう故人の無念さを思い、TVや新聞をみていてシリアスな思いになってしまったのであった・・。 南無阿弥陀仏🙏 どうぞやすらかに、あの世からでも、奥様を見守ってあげてください お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年08月04日 19時09分07秒
コメント(0) | コメントを書く |
|