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カテゴリ:鍼灸の話
私は子供の頃かなりな虚弱体質でした。
今もあんまり体力はありません。ので時々さぼったりしています。 だいたい生まれたときに小さかったし、ご飯をあんまり食べない子供だったので、やせっぽちですぐに熱は出すし風邪はひくし、おまけに自家中毒をよく起こす子で、しょっちゅう下痢するやら吐くやら・・・・ 親は大変だったとおもいます。 身体を動かすことは好きなのでスポーツは好きですが、なにせ体力も根性もないので、中学も高校も運動部の部活にはついていけませんでした。 学校もよく休むし、まあ学校が好きじゃないというのも大きかったのですが、登校拒否ぎみでもありました。家で本を読んだり、教育テレビをみたりしているのが好きでした。 だからといって、おとなしいわけではないのでした。でしゃばりで、積極的、小学校ではいじめっこの男子をやっつけたりしてました。 子供時代、お肉が嫌い。甘いものも嫌い。チョコレートとか生クリームとか大嫌いな変な子供で、好きなものは梅干と漬物と果物。ほぼそれだけで生き延びていたような気がします。 主食が果物~~~て感じでした。 いつも風邪をひいているか、慢性鼻炎でぐずぐずしているか、喘息気味で朝は呼吸が苦しく慢性の気管支炎といわれていました。 小学校の5年生の時に、風邪をこじらせて肺炎を起こし2週間ぐらい入院したことがありました。 その頃、抗生物質といえばクロマイというものがあって、毎日朝と晩にお尻や太腿に大きな注射を打たれて、やっと治ったのです。 ところが、大変なのはその後でした。風邪はなおったはずなのに毎日微熱が下がらず、白血球の数も1万以上の状態が何ヶ月も続きました。 注射を打たれた太腿の知覚神経もその後何年も麻痺していました。 今は筋肉注射をすることはほとんどありませんが、当時抗生物質を筋肉注射し続け、筋肉の麻痺が後遺症として残るというようなことがあったのです。 ときどきは、知覚の麻痺に加えて、小さく痙攣を起こすこともありました。 今考えると、抗生物質の使いすぎで、身体の免疫系がおかしくなっていたのでしょうが、当時はそんなことも、どこの病院へ行ってもわかりませんでした。 大学病院もいくつか行きましたが、そのたびにレントゲンをとられ、結局わからずに状態は改善しませんでした。白血病じゃないか・・とか結核じゃないか・・とか。 私の両親もとほうにくれて、私には「身体さえ丈夫なら、何をしていてもいいのに・・」 と勉強しろとか言ったこともありませんでした。 ずいぶん心配をかけてしまったのですね。両親には・・・・ 結局、半年以上そんな状態が続き、微熱が当たり前みたいになっていましたが、知り合いの紹介で 、保険の利かない医者にかかることになり、体質改善をすることになりました。 その先生は糖尿病や甲状腺機能障害や心臓病など難病を扱っている先生で、私への処方は、クロレラと酵素を毎日飲むというものでした。 クロレラは今のように錠剤ではなく、原液に近いもので、青汁をもっとまずくしたようなものすごい味で、それをコップに半分ずつ朝と晩に飲みます。酵素はもっとまずくて、信じられない程甘いんです。 それを1年間のみ続け、私の身体はもとに戻ったのでした。 ここでクロレラの宣伝をしているわけではありませんが、わけのわからない、具合の悪さとか、いつも風邪をひいているとか・・そんな辛さを子供の頃はずうっとひきづっていたのですね。 その頃東洋医学にであっていたら、鍼灸や漢方薬のお世話になっていたかもしれません。 慢性の気管支炎や鼻炎を克服するのは、もう少し大きくなってからのことですが、今日はこの辺まで・・・・ お友達のまりな~♪さんのブログで 障害者自立支援法での施設使用料の使用者負担増に反対する署名を集めています。 今週末まで、 ご賛同いただければうれしいです。 詳しくはこちら まりな~♪さん よろしくお願いいたします! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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