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カテゴリ:TRIP & TRAVEL
私が関西を発つ前に、別海(べつかい)の友と交わしたメールでおよその「観光予定(鉄道記念館-奥行臼駅逓-風連湖-酪農家見学)」は伝えてあったのですが、その返事に
「 うーん、まだまだ冬なんで、なーんにもありません(もともとなーんにも無いのですが・・・・) 冬の風連湖、特に何もありません。変わりにこんなところはどうでしょうか?」 と、別海町の公式サイトと野付半島ネイチャーセンターを紹介してくれました。 ネイチャーセンターは確かに魅力があるものの、友のいうとおり、「冬なんで」、花も見所も、すべて時期的にハズレです。 が、一番したかったことは 「別海を訪れて、奥行臼駅逓を含む別海町の開拓の歴史を肌で感じること」 だったのです。ましてや懐かしい友達夫婦に会えるのだし、 「観光」的にはハズレでOK! 友にもそう伝えてありました。 それにしても・・・うっ・・・(大阪へ)戻ってみると、なんと、山小屋に模した標茶駅の正面からの写真がありません・・・ 私が尊敬するnotoshunさんが尊敬する横見大先生(爆)に言わせると、「グレードはそれなり」らしい(「新しい駅舎」は鉄ヲタ:横見大先生的には”あんまり興味ないし”―笑―)ので、 まっ、いいか ということで、その隣にあった、立派なバスターミナルでお茶を濁させていただきます。 国鉄民営化当時、北海道の赤字路線のいわゆる長大四線と言われていたうちの二つが、先日の「ふるさと銀河線」に移行した池北線と、ここ標茶からが二股の一方だった標津線で、平成元年当時の赤字は池北線約9億、標津線約6億(どちらも年間)だったそうです。 で、廃線にした場合、足の確保ということで代替輸送が当然必要になりますよね。 廃線→代替輸送に際しては、転換交付金という予算がつきます。 ちょっと調べましたが、1Km当たり3000万なので、この標津線には約36億円が国からの予算として出ているはずです。 あくまでも当時の予算レベルの話で、誤差はあると思いますのでご容赦ください。 その他に、当初5年間は補助金が合計で16億、他にも売り上げ税など運用費として、あとからの上乗せも相当あったようです。(一説には四線5年間あわせて600億以上とか) 鉄路を残すか否か、地元は議論白熱だったことと想像がつきます。 池北線は三セクで鉄道を続けることを選び、池北線より赤字の少なかった標津線がバスを選んだということなのですね。 池北線のその後が、たったの17~8年間だったことを考えると、地元民でない私には何とも言葉がありません。 なんだか、答弁書みたいになってきました... さて、もう少し、今度は教科書チックに、サラリと。 みなさん言葉だけでも良くご存知かと思いますが、一時、国は「パイロット・ファーム」構想の下に、別海町への入植者を募って、酪農経営の確立を目指しましたね。 死ぬほどの苦労をして開墾して、別海に広大な牧草地を作った人たちは殆んどが冷害などにやられて離農してしまったわけですが・・・ とにかく、そんなこんなで、バスターミナルを始めとして、旧標津線あとの道路は、それはそれは見事です。 下は、鉄道記念館を出た後、お世話になった河崎牧場へ向う243号線(別名パイロット国道)ですが、 なんと直線10Km! パイロットマラソンのコースにもなっていると、ネットで拾いました。 北海道一周旅行を企てて、疲れた体でこの道をバイクで走るのはたいへんキケン! 絶対に寝ちゃダメですよ~!! うーん、これももしかして、通称ムムム・・・ロード??? 迎えてくれる前に私のこの拙いブログを読んでいた友は、私の「見習い鉄」の部分をちゃんとかぎつけてくれて、第一目的地の「鉄道記念館」に着くまでの間、できるだけ旧標津線に沿った道を、解説入りで走ってくれました。 現地からもレポートしましたが、泉川橋からの、標津線の線路跡です。 また、ちょっと前後しますが、旧道と交わる部分かなぁ...243号線ではないかも。 文字が読めるよう、ほぼ原寸をトリミングしてみましたのでざらついた画像ですが、 標識、「泉川」の後ろの1文字分塗りつぶしが見えますか? ↑泉川駅 とあった「駅」の文字を塗りつぶしてあります。 うん、コレも、地元の方としてはちょっと悲しい絵かもしれません。 はっきりとどの駅か私が覚えていないのが残念です。多分、別海(旧西別)駅がこの右手にあった場所で、この付近がホームの外れあたり。 廃車然とした働く車に添う形で(←→)後ろ側が線路だったとのこと。 友が何年も通学に使った駅だった(はず)。 案内者に甘えて、また久しぶりで話も弾み、メモどころか覚えていることさえおぼつかなくて、道案内レポートにはなっていません(恥 次のところはハッキリしています(笑)。 旧西春別駅の場所に建てられた、これが「鉄道記念館」です。 ◆年末年始以外は通年、午前9時~午後3時の間、自由に入れます。(入館料無料) 月曜日(祝日の時はその翌日)は休館です。 正面写真はすでに掲載しましたが、ここはちょっとした公園にもなっているので、季節の良い時期に来るところかもしれません。 右の方、グリーンの覆いがしてあるものは、日本から戦後補償として差し出したD51で、旧サハリン鉄道で走っていたものを買い戻してここへ保存してあるものです。 サハリン鉄道の軌間(線路の幅)は、二規格あって、日本と同じ軌間の路線がたいへん多いのだそうです。 ◆覆いが外されて公園としての開園期間は5月1日から10月31日で、営利目的以外は、入園料は無料です。 おー!もうやっているではないですか! 雪は?花は? どうなのでしょうね、別海。 D51、ちょっと変わったカラーリングだったと思うので、やはりもう一度、良い季節に行きたいですね。 そうそう。短い区間とはいえ、私は数年前、念願だったアメリカのアムトラック乗車を果たして、そのとき以来、サハリン鉄道に乗車してみたくてたまらなかったのだと、余計なことを思い出してしまいました。 読書会の皆さん、特にJ○BのAさん、もしコレをお読みになっていらしたら、 サハリン鉄道のレトロ列車での読書会 なんて、いずれ、どんなものでしょうねぇ(本気!) 20名程度で貸切ツアーとか、数年前の実績があるようです。 と、脱線。。。と書いて、話が鉄道の時に不謹慎かと、ハッとしますね。。。 ブログの脱線はお許しいただけるでしょう。 このまま記念館内部に突入したい思いは山々なのですが、ちょいと読む部分が多すぎますね。 日付が変わってからになるかもしれませんが、記念館内部は後ほど。 でも、1枚だけ。 これは内部のライトが写り込んでいるのでボツにしようかと思ったのですがどうしてもボツにできないのです。 涙チョチョギレの「燕」です。 あとで、もう少しマシなものを出します。(出し惜しみデス。嫌な奴wwwwww。) [生活・趣味]ランキングに登録しています ここをクリックで1票です どうぞ宜しくお願いしますm(_ _)m 大事なことを忘れていました! 他でもさんざんやってきた、別海町の名前の由来。 面白話も含めて、後ほど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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