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カテゴリ:BATON & OPINION
皆さんに応援していただいている「人気ブログランキング」で、
一昨日の1日だけですが約24時間に渡って、11位という順位をいただきました。 ![]() 「生活趣味(全般)」というジャンル、分母は判然としませんが、数千人(少なく見積もっても2000人ほど?)の方が登録なさっていると思われます。 しかも10位以内に入っている方は、ある部分に特化した話題性のある方が多く、そんな中、話題がいつもあちらこちらと彷徨ってしまう、どちらかというとテーマが絞りきれていない、しかも「読む」部分が多い、このブログ、 11位というのは、「読む」方が多く訪れてくださっている証拠と、ひとり、自分に引き寄せた解釈をして喜んでいます。 書き甲斐を持たせていただいていること、大変嬉しく、深くお礼を申し上げます。 訪問してくださるみなさん、目を通してくださり、時には、またいつも、コメントを下さっている、お一人お一人にお礼を言ってまわりたい心境です。 ほんとうにありがとうございます。 お礼代わりになるか、ただの自己満足か・・・自分の「今」を振り返り、皆さんにも知っていただけたら嬉しいなということを書くのにちょうど良い「バトン」、 何ヶ月か前に受け取りながらペンディング状態だったものを、道東巡りの中休みとして、書かせて頂きます。 1月18日、melroseさんから頂きました、「○○と私」 私の場合は「鉄道と私」です。 (何故「鉄道」かという説明も聞いていただきたいので、バトン本体は、別途、本日の2本目にします。) 質問にはなかったことですが、体も心も、遠くの非日常へと運んでくれる乗り物、とりわけ、どこまでも続く線路と汽車は、小さな時からとにかく「好き」でした。 ソコへ持ってきて、仲の良かった弟が、その昔「国鉄職員」になって知ったのですが、当時は「家族は半額割引」という制度がありました。 弟の伴侶になった女性のお父上(故人)もまた、偶然ですが旧国鉄職員でした。 極めつけ、私のかつて結婚していた相手の父親(=義父・故人)もまた、旧国鉄職員だったのです。 石を投げれば国鉄関係者に当たる時代?としても、この偶然の確率は、かなりのものかと。 しかも義父は、実務の傍ら「苗穂」の職員向け研修で教鞭をとり、発明した保線用機械が「下山総裁賞」と「科学技術庁長官賞」のダブル受賞を果たしたという、保線一筋の技術屋でした。 自慢や苦労の鉄道話、家族中で唯一の聞き手だった私を失うと知った義父が、もしかしたら、私たちの離婚を一番残念がった人物かもしれません。私の「手入れされた線路」への目配りも、この義父に聞かされた話が根底にあります。 また、これはずっとあとの、しかも身内とは別ルートからの話ですが、私がソフト会社を興すきっかけになったのは、旧国鉄の「機関区」の職員さんが中心となったJR関連のソフト会社を手伝ったことでした。 母体が大きい会社だけに、個人営業のフリーランス集団では契約上の問題がクリアできず、先方からの強い勧めで、私がまとめていたフリーランス集団を法人化したのです。 たいへん質の高い仕事をさせていただきました。 話を戻して私の新婚旅行・・・(今は無きですが―笑―) 新婚旅行は皆が海外へ海外へと行っていた時代、私たちは10日間かけて、入籍を後回しにしての北海道めぐりをしました。 (入籍を後回しにしたのは、どちらも"家族割り引き"を利用できるからです) 札幌発で鉄道料金半額だったにもかかわらず、ハワイ組より経費がかかったのですから、かなり中身の濃い旅行でした。 また、そろそろ"きな臭く"なっていたのでしょうが、まだまだ国鉄解体民営化などは現実味も無く、赤字路線廃線などは、国民の足を奪う所業として非難ごうごうでしたので、いずれなくなるという悲壮感もなく、のんびりとした、たいへん良い旅ができました。 もちろん、私の原点である道東も周り、十勝へも行き、川湯温泉でお湯につかり。。。 釧路では「ちい兄さん」と呼んで私が慕っていた叔父(故人)と連れ合いさん(今回釧路で世話になった叔母)の夫婦に、焼き牡蠣を食べに厚岸に車で連れて行ってもらうなど、たくさんの思い出を作ってきたのです(と、その筈でしたが・・・) その際の標津線乗車の写真も探したのですが、冷たい私は、どうやら、思い出を、 新婚旅行のアルバムごと相手に押し付けてしまったようで(爆笑!) (イヤ、冗談抜きに皆さんどうなさっているのかと、離婚なさった方の新婚旅行写真の行方、興味は尽きません。喰いつきたい方、メールボックスへどうぞ―笑―) その新婚旅行が、私の「汽車旅行」の、ごく最近までの最後の大きな旅行となっていました。 結婚して子どもが生まれ、趣味のJAZZを聴く事も、本を買いあさって読みふけることも、漫画三昧も、汽車で旅行することも、もうできないのかなぁと思って夢中で生きてきたここ20~30年でしたが、最近やっと、この1年間ブログに書き続けてきたような生活ができるようになってきています。 フリーページに書いた死線ギリギリの病気を逃れて、足の手術を終えたこと、大袈裟ですが、改めて、「生きていて、そして動けるようになっていて、良かった!」と、心の底から思えます。 今回の旅行は、新婚旅行以来避けていた場所も含めて、母親孝行兼、自分回帰兼、北海道への全力応援兼、と、たくさんの「兼」がつく、欲張りな旅行になって、マイペースながらも、たいへん楽しくブログにも書けています。 読んでくださる皆さんがいるので、こうしてしっかりと記録に残せるのだと思っています。 ブログをはじめてから、まもなく(この5月25日で)1年を迎えます。 確実にブログ中心?とも言えるような生活になっています。 新しいブログ2年目は、すこしだけ「生活」中心に軌道修正しなくちゃなぁと、反省しつつ、さてさて、どうなることやら。。。 [生活・趣味]ランキングに登録しています ![]() どうぞ宜しくお願いしますm(_ _)m 末尾で恐縮です。 更新のたびにお知らせしてきました、先日、厳粛に事故後1年目を迎えた福知山線脱線事故に関する吉田恭一さんの手記、 2005年4月25日 福地山線5418M、一両目の「真実」 「8章」の後半が追記され、さらに 「9章」がアップされています。 (上記標題でTOPへ、「8章」「9章」の文字をクリックでそれぞれの章へジャンプします) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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