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2006/05/08
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カテゴリ:BATON & OPINION
(一つ前の記事に、ランキングアップのお礼とバトンの前書きを書きました。お時間の許す時にでも、併せてお読みいただけると嬉しいです。)

「鉄道と私」バトン、いきます!

■Q1.今までの経験による「鉄道と私」を書いてください

北海道生まれ、北海道育ちの私にとって、「鉄道」と言えば、「汽車」そして「国鉄」です。特に札幌で「市電通学」をしていた私にとって、「電車」は市電なのです。
なので、市電以外の「軌道(線路)」を走る乗り物で「鉄道」とくれば、いまだにうっかり「汽車」と言ってしまうほどで、大阪に住むようになってはじめて、通勤に使う「鉄道」を「電車」と呼べるようになっているものの、それでもいまだに「JR」のことは、うっかり「国鉄」と呼んでしまいます。(化石ですね。)


■Q2.今、妄想している「鉄道と私」を書いてください

他国の鉄道に乗っていて、「世界の車窓から」のロケ現場に偶然居合わせてしまった私。

もちろん、ブログでは、

「著作権上の問題に配慮し、放映以前の発表は
差し控えさせていただきますm(_ _)m」


とか、勿体をつけます ←↑ 妄想全開!(笑)



■Q3.最初に出会った「鉄道と私」を書いてください

釧路から、母の実家である十勝の「芽室」へ向う「汽車」。
当然♪シュッポ シュッポ シュッポッポ の蒸気機関車です。

記憶に無い頃のは書けないので、思い出の中の風景を書き連ねてみます。

少しだけ溶けかかった本物のアイスクリーム(紙カップに木匙)

駅弁売りのおじさん。駅弁と共に買ってもらった容器入りのお茶

煤煙の匂いと小さな紙に包まれた塩が添えられていたゆで卵

トンネルの汽笛が鳴ると、
   あちこちで窓を閉める、慌てふためいた大人たちの様子

窓から身を乗り出して外を見ていたら飛ばされて、
   流れる景色の中に舞って行った白い帽子...
(欲しくてたまらなくてやっと買ってもらった、つばのグルリにリボンのついた、姉のお下がりではない、私だけの女の子の帽子



■Q4.特別な思い入れのある「鉄道と私」を書いてください

思い入れのあるというよりも「衝撃!"幻の旅程表”」と言った方が良いかもしれません。

話はちょっと長いです(笑)

若い頃、私の1回目の「関西在住」の折、同郷ということで仲良くなって、それから今に至るまでの大切な親友(現在は北海道在住)と、
「せっかく本州にいるのだから、思い切り"汽車"旅行を楽しもうよ!」と計画して、
当時「おいでませ山口」で女性に人気のあった萩・津和野へ、2泊3日の旅行を計画しました。
ガイドブックも今ほど充実はしていなかったので、関西育ちの同僚に旅程の相談をしたところ、私の部署にマシンメンテナンスに通って来ている他社の技術者の男性が何やらやたら「旅行関係」に詳しいので、その人に尋ねてみたら?と助言をされました。

いつも通ってきては、その頃の私には珍しかった難しい機器(電算写植機のパルス単位での同期合わせや調節をする変調インバータ?など)を操るお二人の技術者の方は、口数は少なく、でもとても誠実な印象を受ける好青年たち。
立ち入った話などしたことはないものの、印象としては無下にされることはないだろうと思って、気軽にお聞きしてみました。
そして二日後。。。。。。。。

B5のレポトート用紙1枚を渡されました。

そこには、手書きで
ピッシリビーーーーーーーーッチリみ~っしりと、
2泊3日の旅程が書かれていました。
どうやって書いたの?と言いたくなるような、8ポイントくらいの小さな文字で書かれていたのは、1枚に収めた方が、旅行中に便利だからと言う配慮だったらしいのですが、受け取った瞬間にクラ~リと天地が歪むようなオーラを放っていました。

---親友は、「悪寒が走った」と表現(爆!)

そう、彼は、今でこそ少しだけ市民権を確保しているものの、当時としては決して近寄ってはならないとされた、

技術屋にして鉄道好きという、紛れもない「鉄」
だったのです。

(ちなみに、最近決して近寄ってはならないとされるのは、
「ソフト屋で、萌え系漫画の同人をやっている鉄ヲタ」
だそうです。)

その旅行、途中まではその「旅程」どおりにさせていただきましたよ、もちろん。
でも、若い女性は気まぐれなのです。
その旅程表に嵌まり込む私と、最初からドン引きの親友の二人旅でしたので、『乗車表要素はその旅程表どおりに』との私の主張をある程度通しましたが、『そのままでは観光部分が薄すぎる』という親友の主張も認めざるを得ませんでした。
おまけに当時の国鉄は、しょっちゅう「スト」をやっていました。

どこをどう調節したのかは覚えていないのですが、津和野で一泊し、その後何故か舞鶴にて(爆)関西方面の部分スト突入を知り、そのまま解除を待っていては休み明けの出勤ができないかもしれないという状況。
行ける所までローカル線で戻ってみようと、最低料金の区間切符で乗り継ぎ乗り継ぎ・・・
最終的にはスト解除になった関西圏へ辿り着き、気がついてみたら、私たちが持っている通勤定期券の乗車範囲!

はい、時効だと思うので、ここに初めて二人だけの秘密だったことを、告白します。
吹田の駅に夜遅く、ほとんど最終電車くらいの時間に降り立った私たちは、定期券で改札を出ました。
ごめんなさい。
国鉄はこんな乗客がいたからアカンようになったのかもしれません。

本当にごめんなさい。

それにしても、もうとっくに失くしてしまった幻のあの旅程表で、今度はあのとおりの旅をしてみたいものです。もう無くなった線もあったのではと思いますが。


■Q5.最後にバトンをまわす5人をどうぞ!「○○と私」バトン

melroseさんからは、

>ママンさん「音楽と私」だめ?

だったのですが、melroseさんへ申し入れをして「JRと私」に変更させていただきました。
それをさらに、「鉄道と私」に勝手に主題変更しました。

なので、何か、ご自分のこだわりを「○○と私」というふうに語ってみようかなぁと思われた方、どなたでもご自由に受け取っていただけたら・・と思います。




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*****************************

もう一度、末尾で恐縮ですが、
更新のたびにお知らせしてきました、先日、厳粛に事故後1年目を迎えた福知山線脱線事故に関する吉田恭一さんの手記

2005年4月25日 福地山線5418M、一両目の「真実」

「8章」の後半が追記され、さらに 「9章」がアップされています。
(上記標題でTOPへ、「8章」「9章」の文字をクリックでそれぞれの章へジャンプします)







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最終更新日  2006/05/09 02:11:36 PM
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