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カテゴリ:MUSIC
せっかく治った風邪なのに、また余計なところから貰ってしまってやや低調気味で、漫画を読んでJAZZ聴いて、の週末になってしまいました。
気分が思い切り乗っているうちに、前回予告と違いますが、今の私の「旬」を外さないように、このアルバムについて先に書いてしまいたい思います。 ***************** ![]() (トゥー・フォー・ザ・ミューズ) 笹島明夫、待望のNEWアルバム、 M&Iから。 旧友ロン・カーターとの久しぶりのレコーディングです。 日本では5月17日のリリース! 数日前、なかなか書けなかった釧路レポートを書こうと腰を上げかけたちょうどその頃に、昨年から待ちに待った、ニュースが飛び込んできました。 標題の、ギタリスト笹島明夫とベースの大御所ロン・カーターによる双頭アルバム 「two for the muse」 の日本での、5月17日発売の知らせでした。 知らせてくれた友によると、評価はたいへん高くて、スィング・ジャーナル誌も四つ星をつけているとのことで、さっそくネットショップで取り寄せして届いたのが27日、もう1週間以上前なんですね。 楽天さんにも出ていましたが、JAZZに関しては買うところを決めているので、ちょっと浮気して、福岡の某ショップから、でも、レビューは楽天で(笑) 久々の笹島ギターに魅了されて、CDを回しっぱなしの数日間。 それから、最近少しの間 聴いていなかった、 1991年のJOE HENDERSON とのアルバム 「Humpty Dumpty」も聴きなおして、改めて、最初から完成されていた真の天才の演奏をタップリと味わっています。 札幌出身の笹島明夫、このブログを愛読してくださっている方はご存知の、JAZZベーシスト、故・伝法諭らと同時期に、活動場所は若干ズレながらも、JAZZ仲間と言っても間違いない範囲で活動をしていた人物です。 事実、高校も、Sasajima は、デンポーの後輩ですし。 Akio Sasajima の出自・経歴は、アルバムに詳しいので大幅に省きますが、彼もまた、小学生の約3年間を釧路で暮らしたことがあります。 何でもご都合主義に「偶然」にしてしまうと、失笑を買いそうなのですが、このアルバムの日本リリースの知らせを受けた時に、ちょうど、釧路のJAZZ喫茶「ジス・イズ」レポートも考えていただけに、本当にこれまたなんというタイミングかと驚きました。 釧路へ行く前に「世間の狭さ」の面白さを共有した北閑人コーさんなら、私にとってこれがどれほど面白いことか分かっていただけるでしょうか? 私が初めてギタリスト笹島明夫のJAZZ演奏を聴いたのは、今はもう無い、ススキノのJAZZクラブ「モンク」での、北大JAZZ研メンバーとの共演で、だったと思います。 当時、自分の将来やら、恐れ多くも「社会正義」やら(爆)、考えることは山ほどあり、19歳の頭と胸を痛めながら悶々鬱々と暮らしていた一人のJAZZ狂いの少女がいて、それが私だと ![]() 難しいでしょうがどうぞご想像くださいませ ![]() まぁ、今で言う「フリーター」ですが、どうせアルバイトをするなら一日中JAZZが聴けるところがいいと、当時の札幌としては斬新な、できたばかりのJAZZクラブでウェイトレスをした1年間がありました。 クラブですからお酒も出しますが、客層は、大抵がお金のない学生で、昼間はコーヒーだけでももちろん何時間でも居座れるというシステムの店で、何よりも素晴らしかったのは、生演奏をできる設備と、当時としてはかなり立派なサウンドシステムを備えていて、一応の録音も可能なスタジオまがいの設備迄備えていました。 ステージではたまにススキノのプロの方も演奏していましたが、ほとんどは、北大JAZZ研の方々の発表場所として機能していたという、JAZZを目指す若者にとっては素晴らしい場所提供をしていたクラブでした。 そのJAZZ研の部外者として、彗星のように現れた天才ギタリスト、それが私の知っている、Akio Sasajima です。 (同年齢なので、失礼承知で当時のままで呼ばせてもらいますが)笹島君の生演奏を聴くまで、正直、私は、ギターはJAZZの楽器ではないと思っていました。 もちろん、嫌いではなかったのですが、ギターは私たちの世代では、ロックかフォークの楽器。 ジャンジャラとかき鳴らして回りを唱和させる楽器と思っていて、あくまでも私の好みの中でですが、JAZZの楽器の中ではもっとも退屈なストリングス系の楽器という位置づけでした。 でも、でも! だったのですよ、これが。 笹島君の演奏、残念なことに、最初に聴いたのが何だったのか、全く覚えていないのですが、戦慄したというか・・・背筋がゾクゾクした感覚は、今でも思い出せるほど。 学生の演奏、決してレベルがそう低いものでもなく、みなさん燃えていたし(萌えではなく―笑―)、何よりも「生演奏」の強みで、そこそこ聴かせてくれていました。 でも、笹島君の演奏は、全く次元の違うものでした。 周りの学生の方にはたいへん失礼ながら、「こんなところで演奏しているどころではない」と、感じたものです。 全国の学生なかでも取り分けレベルが高いといわれていたのが(今でもそうなのかな?)W大学のJAZZ研で、どのような経緯か、そのW大学JAZZ研が「モンク」へ遠征してきたことがあり、あの時は、多分、先方からの誘いだったと思うのですが、笹島君が飛び入り参加をしたことがありました。 ご本人はどう考えていたか分かりませんが、私たち、札幌のSasajimaファンが、たいへん緊張して、どうか飲み込まれない様にと祈る思いの中演奏が始まったのですが、程なくして、色をなくして行ったのは誘ったW大のみなさん。 ギター1台が、他の全ての楽器をリードし、他の演奏者は、セッションを楽しむというよりは聞き惚れて手が止まっているのでは、という場面まであり、まさに圧巻で、あの演奏に立ち会えて聴けたことは今でも私の宝です。 あれはモンクでも録音していたはずなのですが・・・もう、テープはないのでしょうか? こんなことを書いていると、NEWアルバムのレビューになかなか進めませんね(笑) でも、もうひとつ、どうしても。 周りが持て余すほどの天才Sasajimaは、札幌でチンタラやっているべきではないと、私が強く思ったことがあります。 笹島明夫、まだ素人プレーヤーとしてその才能の吐き出し場所がないまま、札幌で弾き出したばかりのちょうどその頃、今、ギタリストとしてゆるぎない地位を築いている渡辺香津美氏が「高校生の天才ギタリスト」の冠の元、「インフィニット」で華々しくデビューしたのです。 渡辺香津美氏のファンの方にはたいへん申し訳ありませんが、あくまでも私個人のつぶやきとして聞いて下さいね・・・ 私はその「天才高校生のデビューアルバム」を聴き、 これが天才ならSasajimaは神だ と。 今なら、埋もれている天才の為の、見出された天才への、私の嫉妬だったのだと分かります。 渡辺香津美氏は、私ごときが生意気なことを今更言うまでも無く、素晴らしい技巧を持った、天才と言われるにふさわしい方です。 Akio Sasajimaが、JAZZギタリストとして産声をあげたばかりの頃の札幌での話です。 結局、笹島君は、御大:渡辺貞夫氏の強い勧めで活動拠点を東京に移して私たちの前から姿を消し、数年後、日本での大きな活躍を聞かぬまま、 「シカゴへ行ったらしいよ」 という噂が耳に入り、大阪から札幌へ戻ったばかりで、その間の事情を知らない私は、「日本のJAZZ界は、なんて耳のない人ばかりなんだ!」と一人憤慨したものです。 その笹島君が、次に札幌の私の前に現れたのは、ご本人が札幌を出てから約20年後、シカゴへ拠点を移してからおよそ十年ちょっとの頃(?)ですが、なんと、ジョー・ヘンダースンとの共演作、 「Humpty Dumpty AKIO and JOE HENDERSON」 という鮮烈なアルバムを掲げての、凱旋ともいえる帰国演奏でした。 その後の多方面にわたる活躍ぶりは、今回のアルバムにたいへん詳しくあるので、そちらを見ていただくとして、今回、M&I から出ているこのNEWアルバム トゥー・フォー・ザ・ミューズ 素晴らしいです。 本人は、もっといいものにできたのにと言っているとかいないとか(笑) 他の演奏者には失礼ですが、同じ曲で、私が主観的に較べたくなる奏者のものと、聴ける限りで較べてもみました。文句なく!! 聴いていただけばわかることなので、理論の裏づけもない私の、耳だけが頼りの各曲レビューは次回。 [生活・趣味]ランキングに登録しています ![]() どうぞ宜しくお願いしますm(_ _)m お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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