ラララ無人君有難う
大丈夫!お母さんでも読めるから」・・・残虐な映画は席を立ってしまう私を知っている娘が是非と言うので東京に行っている間についに読みました泣いては一休み、泣いては一休み時間は掛かりましたが、終わった今こんなにも重い本を読んだ筈なのにさわやかな後味に放心しています十四歳の少年が書いたとは思えないウイットもユーモアも有る読み応えの有る一冊でしたこんなにも頭が良く、性格も良い少年が訴える事貴女のすぐそばのいつも手を振って通り過ぎる子が、スポーツの出来る明るい子が成績優秀で張り出されている子がまさかと思う家庭で虐待は起きている決して特別な家庭ではないのだと言っているのです(条件が悪かったら誰にも起こりうることですね)この少年は五歳の時から自分の身は自分で守らないと生きてはいけないのだと悟ります寒いNYの冬にコートも与えられずベッドに寝ることも許されず固い床にじかに寝て慢性的に飢えています家で安らげない彼はあの危険なNYの地下鉄が一番安らげる場所なのです彼を理解するたった一人の友達が見守る中、眠るのです暴力と性的虐待を誰にも言えずに悟られないように明るく振舞っています自分が最悪の生活をしているのに弱いものへの愛に満ち溢れていますしかしついにもう死にたいと思うぎりぎりの日が来ました最後に自分がこの世に生きていたんだと言う証をいのちの電話に託しましたどうせ死ぬんだったら最後に三十分で良いから一緒にお茶を飲もうというボランティアの誘いにのりますそこでついに救われる事になるのですがもうこの少年の身体はぼろぼろでしたそのまま病院に入院します抱きしめてキスをしてもらえる事それだけが望みだった彼がいのちの電話を受けてくれた人と連携プレイで三十分あってくれた人が少年を救う事を通して結婚して養父と養母になり愛を充分に与えられるようになったのですところがやっと幸せを掴んだと思った矢先エイズに感染している事が分かりましたそれでも最後まで生きる事に勇気を持って立ち向かうこの少年の素晴らしさに私はただ感動をしましたこの少年の感性は素晴らしいものです是非本当に読んでいただきたい本です今生かされている素晴らしさを大事にしたいと思いましたまたこの本を紹介してくれた我が娘に感謝を!(昨日の日記参照・ラララ無人君は下の娘でした)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~今日は私の二十八歳の誕生日です私は永遠に二十八歳と決めています何故なら自分の思いが形になるという原則の中に私達は生きているからですこんな話しがありますあるお婆さんの気が狂ってしまいましたそのお婆さんは苦しい事が有り頭が真っ白になっていました気が狂って自分は二十歳と思い込んだらどうなったかと思いますか頭が真っ黒になり、皮膚のしわが消えてきたのです自分の心が全てを作っているのです「私はおばさん」とよく自分から言ってしまう人がいますがそういう人はおばさんの道をまっしぐら何歳で有っても自分で認めない人は若々しくいられます大体の人がもう何歳だからと言う習慣的な考え方をしていますでもそれをやめてしまえば良いのです何歳であろうと拘らなければどんな生き方も出来るのです私は主婦だから私は子供がいるからだから何も新しい事を始められないと思っている人は一生始めないでしょう自分が常識と思っている事の中にそうではない事が世の中には沢山有ります常識って人によって皆違うのです国により、地域により、家庭によりビックリするぐらいに・・・だから余り常識に捉われて自分を律してしまうのはつまらないやり方かもしれません自分の常識で律すると人のこともそれで計り当てはまらない人を認められなくなります結局自分自身も窮屈な生き方になってしまいます一生を自由に生き生きと楽しむためには人も自分も枠にはめない生き方をお勧めします死ぬ時に「あれがやりたかったな」と思い残さないように!追伸 前日の日記も是非お読みください(NEW)娘達夫婦と家族全員でお誕生日を祝ってくれるそうです幸せなお母さんです