うちゅう旅行 会津若松から大内宿へ
会津若松の奥座敷、東山温泉に一泊したわたしたちは翌朝、河鹿荘のばあちゃん二人に見送られて会津若松城に向かいました。ばあちゃん女将さんから幹事が受け取った袋にはお土産に、と、羊羹が入っていました。バスの中でみんなで分けていただきました。直径1cm位、長さ10cm位の細い羊羹は、程よい甘さで小豆の味がしてなかなかおいしかったです。その河鹿荘のロビーで記念写真。なかなか立派に写っていてよかったです。みんな睡眠たっぷり、朝ご飯もたっぷり食べて(美味しかったです!!)余裕の笑顔。男子連は「今日も飲むぞ~~」の気迫たっぷり。まずは会津若松城、別名鶴ヶ城を目指します。本当は、武家屋敷も見たりしたかったのですが、特に後ろ3列に陣取った男子連はト〇〇休憩以外はバスから降りたくないらしく、リクエストも聞こえないふり。で、その鶴ヶ城。じゃなくて、これはお城ボくん。お城型のロボットだそうです。何に使うのか、動くらしいです。本物の鶴ヶ城。江戸から明治へと時代が変遷する中、明治7年(確か)に政府によって跡形なく取り壊されたそうですが、今では立派に復元されています。火縄銃や日本刀に触れられたり、mamatamのように打掛に袖を通せたり悲劇のイケメン藩主松平容保(かたもり)さんの実物大の写真が見られたり、30年以上前に一度mamatamが訪ねた時とは見違えるほど立派になった展示を、天守閣内部で見ることができました。そして鶴ヶ城の紅葉。暑がり屋さんに教えていただいた「苧(カラムシ)織の里 昭和村」も時間がなく、訪れることができませんでしたが、城内の物産館にその苧織の実物が展示されていました。麻のような風合いの、オフホワイトよりはやや茶色のかかった、薄いベージュの透かし織の反物2点と、大判のストールがありましたが、もちろん手織りの品、お値段はストールで2万数千円、反物(着物着分)は安い方が二十数万円、総柄の反物に至っては八十数万円の値札がついていました。和服には縁のない生活ですが、反物にはとても魅せられました。ストールでもいいから欲しいと思いましたが、その価格、とても手が出ませんでした。数日前にご紹介した会津絵ろうそくもこの物産館で購入しました。悠々愛々さんにご紹介いただいた和菓子の太郎庵に至っては前を通ることもできず、本当に心残りです。お気に入りブロガーAnne66さんの昨夜の日記によればスウィーツ・セラピーというものがあるそうで、わたしも太郎庵のお菓子を購入してくることが出来たらその後の産業フェアへ向けてのてんやわんやももっとゆったり乗り切ることができたかもしれないのに、返す返すも残念なことでした。それでも絵ろうそくをゲットしてホクホク顔のmamatamを乗せてバスは一路大内宿を目指します。大内宿は江戸時代の会津西海道(下野街道)の宿場で、この会津西街道がさびれたために半農半宿の村となり、昭和に至るまで開発に取り残されて江戸時代の街並みが保存されることになったようです。大内宿の入り口から眺めた街並みです。まるで映画のセットのようですが、ここで住民の方達の暮らしが営まれています。この入口のところに「大内宿を守る住民憲章」が記されていました。この宿場の保存を決定するのに10年の歳月が必要だったそうです。そして、こんなことを住民全員で決めたと言います。●保存優先の原則 ・保存をすべてに優先させるため、大内宿と旧街道沿いの 観光資源について、「売らない」「貸さない」「壊さない」 の三原則を貫く。●外部資本から大内宿を守る ・大内宿と旧街道沿いは、地域住民の大切な財産である。 ・外部資本が入れば、文化財の観光利用による収益の大半が 還元されることなく、外部に流失してしまう。 ●自分の生活を守るために・・・ ・大内宿の保存を決定するまでには、十余年の歳月を必要とした。 この経験を忘れることなく保存を継続するために、次に掲げる 事項に該当する場合は、保存会に申し出なければならない。申し出が必要なのは土地建物の売買、貸借、建て替えや復元など、商店は9時までに閉店など細かい規則も決められているようでした。街並みだけでなく、周囲の景観を含めて、先祖から受け継いだこの宿場を守って行こうとする姿勢に強い感銘を受けました。街道沿いに並ぶお土産屋さんなどいろいろなお店を見て周りましたが、雨がひどくなり、例の高遠蕎麦のお店に全員駆け込みました。このお蕎麦屋さんの向かい側で、ここでしか買えないという特別純米酒「雪中百姫(せっちゅうももひめ)」の試飲をさせて戴きました。1年物は4合瓶が2,500円、2年物は3,000円でした。1年物はあっさりした飲み口の辛口ですが、2年物は同じお酒かと疑うほど芳醇な濃厚な香りのお酒に変身していました。2年物を買って帰ろうと思っていたのに雨に追い立てられて忘れてしまいました。たくさんの買い忘れ、買いそこないの中でこれが一番残念なミスでした。インターネットで注文ができるようなのでお正月用に注文してみようかと思っています。雨に追い立てられ、おそばを食べ終わると早々にバスに戻り、折角だからと五色沼まで行きましたが、やはり雨で見学は毘沙門沼のみであとは断念、結局帰りの東北道も、後ろ3列軍団の要請で〇〇〇休憩のために頻繁にループを描きながら賑やかに上野まで戻ることになりました。往きとは打って変わって平日夜の首都高速は混んでいて、上野着PM10時でした。PS今日は、また月例の友人のお墓参りに深川に行きました。前に書いた「しか野」さんでお食事をするつもりで今回はカメラも用意していったのに、全店貸切と入り口のガラス戸に無情の掲示。来月は別のお店で忘年会の予定なので、ご紹介できるのは年が変わった後になりそうです。もし覚えていてくださったら、ああ、あの。。。と言って読んでくださいね。