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カテゴリ:家族
12月10日、母が他界しました。
夕方危篤の連絡が来て、電車に飛び乗り 病院へ。 間に合わないかと思いましたが、 母は待っていてくれました。 眠るようにスッと亡くなり 痛みを伴いながら苦しんでいる最後では なくて良かった。 父親や妹、親戚の方達に囲まれて 見送られ母は寂しくなく旅立てたのでは ないかと思います。 自宅へ帰り、M(息子)へ説明すると 最初はよく状況が分かっていないようで した。 まだ8歳だし、死についての実感は ないのかもしれないと思いましたが、 お通夜で母親の遺体と対面すると 号泣。 何で最後会えなかったのか、寂しいと 泣いていました。 肺炎で入院中は子供の見舞いは不可 だった為、母の痩せ細った身体にも ショックだったようです。 幼い体で参列し、大人達を見よう見まねで 読経、焼香している姿に成長を感じましたが 母親に大きくなったMと会わせたかった と思いました。 棺の中にみんなでお別れの手紙や写真を 入れてあげようと用意しました。 Mも1人で書いていました。 その手紙を読み、心優しい子に 育ってくれているなと感じて うれしいのと 1人っ子なので、先に私達が死んでしまったら孤独になってしまうのではないか… 手紙を読んで少し不安になりました。 生前の母は、本当に優しくて私達子供に 怒ったり怒鳴ることがない人でした。 私とMのやりとりを見て、(たまに喧嘩して いる姿) 心配していたそうです… その事を聞きハッとしました。 生まれたばかりの頃はただ健康にスクスクと 育って欲しいということだけを願っていたはずなのに、段々と要求することがエスカレートしてしまい、期待しすぎているのでは ないか? 自分の思い描いた理想像にMを 無理矢理当てはめようとしていないか? 個性を尊重していないのではないか 最近の自分を反省し、Mとも話し合い これからはおばあちゃんが天国で 見ているからお互い仲良くして喧嘩はなくそうと決めました。 今はまだ情緒不安定気味な私ですが 天国の母が心配しないようにこれから 生きていきたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.12.18 06:25:26
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