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今朝の新聞の読者投稿欄にのっていた
中学三年生の書いたおたよりから・・・ 3年間学園祭の舞台で演劇をやった。 みんなの前で大きな声で演技をするのは はずかしいけど、やってよかった。 それはなんでかっていうと、 たくさんの人に私の存在を知ってもらえたから。 大勢の人に自分の存在を知ってもらうこと それは私の「小さなしあわせ」 そんな風に書いてあった。 なんてシンプルな理由! そう、私もきっとそうなんだ。 「私はここにいるよ」 「こんな風に生きているよ」 それを知ってほしくて舞台に上がる。 自分が幸せになるために。 歌ったり踊ったり、演技をしたり演奏したり 絵を描いたり物を作ったり 何かを成し遂げたり、成績を残したり 「人に見せる」ための舞台の上で 自分を表現する方法を見つけた人は幸せだ。 そして、表現するということは 自分を知ってもらうだけでなく その手段となる歌や演劇を作った人のことも伝えることになる。 それは作った人が死んでしまった後も それを表す人がいる限り ずっと消えずに残っていく。 その思いは永遠に生き続ける。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・死んだ男が残したものは・・・・ 死んだ男の残したものは 一人の妻と一人の子供 他には何も残さなかった 墓石ひとつ残さなかった 死んだ女の残したものは しおれた花と一人の子供 他には何も残さなかった 着物一枚残さなかった 死んだ子供の残したものは ねじれた足とかわいた涙 他には何も残さなかった 思い出一つ残さなかった 死んだ兵士の残したものは こわれた銃とゆがんだ地球 他には何も残さなかった 平和ひとつ残せなかった 死んだ彼らの残したものは 生きてる私 生きてるあなた 他には誰も残っていない 他には誰も残っていない 作詞 谷川俊太郎 作曲 武満徹 誰にも知られずに なにも残さずに死んでいった人もいる。 だけど、それを知ってほしくて うたを作った人がいる。 そしてそのうたを歌う人がいる。 うたを聞いた人の心には きっと何かが残っていく。 耳を澄ませて遠い声を聞くことができる人。 それを形にすることができる人。 人に伝えるために、それを表現する人。 創作者と表現者、そして観客。 その思いがシンクロするとき、 それは無上の喜びだ! やっぱり舞台って・・・ステキ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年01月16日 10時14分37秒
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