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August 28, 2009
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カテゴリ:カトリック
麻薬のニュースが流れ、人間の弱さを考えさせられた。

押尾容疑者の事件は、「保護責任者遺棄死」で調べられているという。
死にそうな人を救急車も呼ばずに放置し、立ち去ったような場合の罪状らしい。
「刑法 第二編 罪 第三十章 遺棄の罪」で定められているようだ。

そのニュースの画面下部で、一行ニュースが流れていた。

母親パチンコ中に 11か月男児 車内で死亡。
以前にもありましたね。
パチンコ中に車内にて、乳児熱中症で死亡。
パチンコ中に車内にて、乳児一酸化炭素中毒死。

パチンコに限らず、寝ているからかわいそうと思って、
自宅ガレージ車内に放置した結果死んでしまった子供もいた。
議員である親がお出かけする間、部屋に放置され死にかけた乳児もいた。

どのケースも「放置」が問題である。
最初の動機はともかく、こまめに見に行くという気づかいが無い結果だ。

見通しの甘さも含めて、ひとは容易な道を選びがちである。
人間は弱い。ちょっとくらい。このくらい。大丈夫?
そういうズルズルした「放置」が、大変な事になってしまう。

先日、大掃除をしていて、思った。
「毎日、けっこう汚れるなぁ。行き届かないところには溜まっているな。」
魂も同じだ。
習慣的に掃除(祈り)をしているつもりでも、
目の届かないところには、ゴミが溜まっている。
定期的に大掃除(告解)したり、日々の掃除(祈り)の方法を見直したり、が必要だ。

今日は、聖アウグスチヌス司教教会博士(記念日)である。
アウグスチヌスは、独善的な母親から逃げ出して好きに暮らしたという印象がある。
気ままな生活をする弱さ、気性や意思の激しさ、強さ。
その基本性格が、今度は成聖の道へと全面的に活かされてゆく。
激しさは神への徹底的な探究に役立った。

ズルズルと「放置」せず、こまめに自分の生活を見直してゆけば、
聖人ほどの「大回心」は起こらずとも、
大きく踏み外してしまうこともないだろう。

大聖人こそ、むしろ、日々の小さな積み重ねを続けている。
忠実に日々の些事に従事してゆくことの、難しさ。
やっているつもりでも、実際はいつの間にか手を抜いている。
その手抜きが、いつの間にか取り返しのつかない状況に追い込む事もある。

聖アウグスチヌスは、私にとってかなり「遠い」聖人である。
よく、「今日の聖人に倣って、私たちも成聖の道を歩めるよう…」などと祈るが、
心情的に遠い聖人の場合、どうもピンと来ない。
ピンと来ない私を、捧げるしかないか?

静かな水の流れのように 今日のすべてを 委ねます。


以下は、聖アウグスチヌスについての教皇ベネディクト16世の、2008年1月と2月に行われた演説。

(一)

(二)



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回心





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Last updated  August 28, 2009 08:21:03 AM
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