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2006年11月24日
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テーマ:海外生活(7773)

こんにちは。

日本はもうだいぶ、寒くなりました??

楽天にも書いたように、土曜、日曜と、
コンスタンサという日本人が入植している、山の中の盆地の街に行ってきました。

ご存知のように、ドミニカは移民問題で訴訟が起こりました。

この間、入植50周年の式典が終わったばかりです。

私は、日本人入植者の方とお会いすることもなかったので、
私もこのことについての知識は、あまりありませんし、
移民問題について、あまり関心もありませんでした。


土曜の午後に着いて、
夕飯のバーベキューと翌日のお昼のカレーを
コンスタンサのご父兄の方々と作ったのですが、
ここで、コンスタンサのおばあちゃんたち(60歳~70歳くらい)の方々が、
よく動いてくださるのね。
大きなお鍋で、ごはんを炊いたり...
「私はここに50年いるんだよ、ご飯くらい炊かなくてどうすんの!!! 
私くらいしか、こんな大きなお鍋で炊けないでしょ!」ってね。
おばあちゃんいわく、普段は炊飯器しか使わないんだそうだけど(笑)
 
自然と、
おばあちゃんたちと、
私はお話しするようになったんだけど、
このおばあちゃんたちがすごかった。

なんにもない中から作って暮らしてきたから、
なんでも作ってる!!!

お豆腐。
それも、大豆をつくり、
海水から、
にがりを作り、
失敗しては、また方法を考え。
吹きこぼれるのを防ぐ方法を習いに行く。

油揚はこのお豆腐を揚げて、作る。
「油を入れたお鍋は二つ用意するのよ。
低温のと高温のと。
すると、ふっくら揚がるのよね。
そうそう、自分で作ったがんもどきもおいしいよ!」


それに、ブラジルから苗木を持ってきての
梅干つくり。

材料は全部、自分の土地で作っての、福神漬け。
味付けはしょうゆ、蜂蜜、ラム酒。

たくわん。

味噌はもちろん、自分たちで作る。
味噌漬けはその味噌を使って。

・・・・あっけに取られました。
私はまだまだ、修行が足りん!!!!
納豆、こんにゃくで、わいわい言ってるなんて、まだまだだ!

そして、お鍋をいっしょに洗いながら、50年を語ってくれるのよ。
私が一番仲良しになったおかあさんは福島県出身。

昭和32年、16歳の時に、あふりか丸という貨客船で、
親に連れられてドミニカに入植。
それからは苦労の連続だったんだって。

「考えてみればさ、自分には苦労に思えても、
きっともっと辛い人もいたんだろうね。
でも、自分にはわかんないやね。」
とニコニコ、今は笑って話してくれました。
22歳の時に、ご主人(広島出身)と結婚。
姑もうるさかったそうよ。
ご主人は、結核をわずらったりして、身体が弱かったので、
おばちゃんは、とにかく、がんばって働いたそうです。
「いくら良い土地、広い土地をもらったって、
農業は身体が動かなかったら、なんにもならない」。
それから、がんばってがんばって暮らしてきた。

一番辛かったのは、ドミニカの生活が辛い、と
自分を連れてきたご両親が日本に帰ってしまったこと。
おばちゃんは結婚してたから、親といっしょに帰るわけにも行かなかったらしい。
それからは、親も頼れない。
いろんな物を作るにも、教えてくれる人がいない、という中をがんばってきた。

佐藤さんという、この入植者の中では成功した家族も福島出身で、
佐藤さんのおばちゃんは、また、梅干から漬物、何でも、
自分で作ってるスゴイ人。
この人にも助けられた、と。

おかあさんは、訴訟にも関係したから、訴訟組と言われて、
日系人の中にもいろいろわだかまりがあるらしい。
ここの日本人社会、狭い。

「いろんなことを言う人がいるのよねぇ」と言うのは、どこでも同じよね。
とにかく、その話は、やはり凄いものでした。

「戦後の復興の最中の昭和32年にドミニカに来たから、
ここまで来られたんだよね。
今の日本から来たんだったら、まず無理ね。
ドミニカは経済もまだ、悪いし、
ずっと戦後みたいなとこだけどね・・・」

確かにそうかもしれません。

「でもねぇ、この間の50周年で、私は一区切りついた、と思ってるのよ。
今までのは、ここでおしまい。
これからは、次の40年に向かって生きないとね。
あたしゃ、100歳まで生きるよ!

と言うおばちゃん。
まだまだ、日系の1世、入植してきた親の世代もお元気なんだそうです。

おばちゃんは、今、お子さんと暮らしてるそうですが、
「あんた、ドミニカには、日本みたいに年金がないんだよ。
少なくても私たちにはない。貯金もないじゃない、
今まで、必死に働いてるけどね。子供に養ってもらうのは、気詰まりだよ。
それが、私の悩みかな」 

日本の年寄りは恵まれてると言います。

「でもねぇ、50年もここにいるといいこともあるもんだね。
50年で初めて、
こうやって私の話をじっくりと聞いてくれる日本人が来てくれたじゃない!
私はうれしいのよ!」
おばちゃん、涙ぐみながら話してくれます。

ワタシが最初って、どういうこと??

「このコンスタンサに来る日本人は、移民の関係の団体の人か、大使館の人か、
大使館の医療訪問団の人か、訴訟問題を取材に来るマスコミの人くらいだよ。
あんたたちみたいな普通の日本人が交流に来るなんて、初めて。
みんな、喜んでるんだよ~。
私も、こんな話を聞いてもらったのは、初めてね。
50年がんばってるといいこともあるもんだ。


・・・これだけでも、今回の旅行の意義はあったようなものですね。
思わず、おばちゃんたちの肩を揉む、おとんとワタシ。

このおばちゃんは、すごく、懐が深い。
だって、自分の子供を育てた他に、ドミニカ人の養女も育ててるんだよ~。
18歳なんだけど。
3歳8ヶ月の時から育てているそうです。
お勉強がよくできて、奨学金で大学に行ける、っておばちゃんはとてもうれしそうでした。
金髪のドミニカ人の女の子なんだけど、
彼女が作る「きんぴらごぼう」はとてもおいしいそうです。


きママさん。
なんだか、私、ど~~~んと来ました。
ショック、とかじゃなくて、深い歴史に触れたような感じです。
もっともっと、おばちゃんに話が聞きたいと思いました。
また、お豆腐の作り方、教えてもらいにコンスタンサに行く約束はしてるんですが。
さぁ、いつ行けるだろう。
みんな、こちらの友人は、
「まむにあさん、ウルルン滞在記みたいに、
ホームステイして、習うんでしょ?」
「で、最後は抱き合って、涙の別れ?」って言うんだけどね。

さっき、書いた、佐藤さんのお宅はかなり成功した農家として、
ドミニカ入植者を調べると、まず名前が挙がってくるようなお宅。
息子さんが、ものすごくがんばってる。
予定にイチゴ狩りがあって、山の中のイチゴ畑まで、
この佐藤さんの車に乗せてもらいました。
佐藤さん(息子さん 昨日の写真の方)がおっしゃるには、
「僕ら、どこへ行っても、外国人なんですよ。
ドミニカ国内だと、日本人って言われる。
だけど、研修で日本に1年いたけど、
日本国内では、ドミニカの人なんですよ。
ブラジルでも勉強したけれど、ブラジルの日本人とも区別される。
これは、なんとも言えないことです」

すごく長くなりました。
ブログでちゃらけて書くには、事が大きすぎて、大変。
とりあえず、自分の中で、ゆっくり整理をつけたいと思っています。
ただ、おばちゃんからもらった物は、とても大きい。
今までの私が聞いたこともなかった話です。

とりあえず、きママさんに聞いてもらいたいことなのでした。
こういう方たちとお話しできただけでも、
ドミニカに来た価値はあると思います。

このおばちゃんたちの話は大事にします。

とりあえず、いただいた白菜で、漬物つくり。
おばちゃんにいただいた米ぬかで、ぬか漬のぬか床つくり。
おばちゃんにまたまたいただいた、秘伝の粉を使っての
お豆腐作り再トライ。

いろんな方に出会えるのはうれしいことですね。

では、風邪などお召しになりませんように。
またね。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 これは、コンスタンサから帰ってきて

おばちゃんたちの話が、自分の中であんまり衝撃が大きかったので、

友人のきママさんに書いたメールです。

ここ、ドミニカ共和国にお住まいの日本人の皆さんも読んでくださってるこのブログ。

このおばちゃんたちの話をここに書くのは、いろいろあるかなぁ・・・と考えもしたのですが、

私の中だけにこの話をしまっておくのはもったいないと、

やはり書くことにしました。

50年の重さは、本当にずっしりと胸にしみました。

本当に出会えて、うれしかった。

 

今度、コンスタンサに行ったら、

お豆腐作りを教えてくれて、

それから、まだまだお元気な93歳になるおばあちゃん世代の方にも

会わせてくださるそうです。

食べたいごぼうも、コンスタンサにはあるそう。

「来なくちゃ、やんないよ」って言われちゃった。

絶対、また、コンスタンサに行かなきゃ!!!

 

「コンスタンサに行ったよ~」って

ドミニカ人に話すと、

みんな必ず、

「コンスタンサの日本人が、ドミニカに野菜を広めてくれたんだ。

日本人が来る前まで、ドミニカ人は野菜を食べる習慣がなかったんだよ」

と言います。

本当に、おばあちゃん、おばちゃんたちは偉いんですね。

 


今日も読んでくださって、Gracias!!! ハート


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Last updated  2006年11月25日 02時24分34秒
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