東京の我が母が亡くなりました。
享年76歳。
お茶の水のJ病院で、パーキンソン病との診断を下されて、
入院していたのですが、とうとう金曜日の午後3時半なくなりました。
自慢の孫に看取られました。
私は、連休で、間に合いませんでした。
飛行機も、本州に行くバス(四国はこの島から出ないといけませんから。)も連休初日ということで、いっぱい。
妹はよく面倒を見てくれました。
私も9月、10月と数回、東京に行って、母の意識のあるうちに話はできました。
そぉなのよね。私は、今回は、あんまり何にもできていません。
母は私が行くと、しっかりして、おまけに大好きな孫もついてくるもんだから、余計しっかりして、意識も戻っちゃって。という方が多かったの。
私も年寄りを見てるからよくわかる。
年寄りって、いつも面倒見てくれるヒトには、ホント、愛想が悪い。
母もそうでした。妹に、わがままが出ていました。
そりゃないよね。
とてもとてもプライドの高い母でした。
東京生まれの東京育ち、
OLをずっとやっていて、とにかく仕事が大好きなヒトでした。
それも、パソコン関係。昔のキーパンチャーです。
東京のまんまん中の病院で、最後まで面倒見てもらえて、私も妹も一安心。田舎はだいっきらいな母でした。
(で、なんで、ムスメの私が超田舎に嫁に行くのがOKなんだか、訳わからないけれど)
チチは、平成2年に亡くなっておりますので、ようやっと、チチが呼んでくれたかとも思います。
まぁ、曾孫は見られなかったけれど、亡くなったチチには、おみやげ話がいっぱいあることでしょう。
まず、T大、合格発表にも来てくれた。
長男のT大アメフト部ウォリアーズの試合は、体調が許す限りは見に行って、
応援団の団長に、「はい、おばあちゃんもごいっしょに」と応援合戦にも加わらせていただいておりました。(ショートカットでダウンコートを着て、結構、おしゃれなばぁでしたから、有名でした!)
B大祭も見に行ってたしねぇ。
ブルーインパルスも見た。
と、いうことで、私としては、まぁ、できないながらも、親孝行はしたか。してないか、というビミョーなところです。
お天気のよい小春日和の日に、
お花がいっぱいの中で見送りました。
母の遺影を見ながら、
次世代につなげることの大切さをひしひしと感じました。
今は、気も張っていて、
あまり泣ける気分じゃありません。
しっかりしていないと、気丈な母に後ろからひっぱたかれちゃいそうな気分ですわ
・・・で、
昨日より疲れが出たのか、発熱です。
のんびりしている、昨日今日です。
まぁ、じわじわと元の生活に戻りたいと思います。