カテゴリ:カテゴリ未分類
自分は巫病なのだと認識したことで、心は少し軽くはなった。
巫病と同様に感じていたことに、自分はエンパスではないかというものもあった。 これは、同じものを指しているのかどうかは私にはわからない。 でも、似通っている部分はたくさんあるように思う。 以前、エンパスのスイッチをオンオフするためにはどうしたら良いかという本を買ったことがあった。 その時は、読み始めても何かピンとこなかったし、できるはずもないというようにしか感じられずに、最初の方を少し読んだだけで放置してしまった。 私にはまだ読むのは早かったし、内容も複雑すぎたのだと思う。 昨日、電子書籍で「エンパス能力を人生に活用するための3つの方法」という本を読んだ。 これはすごく簡潔に書かれていて、短かったのですぐに読めたし、私にもすぐに理解できた。 この本は、「エンパスだとしても、自分にとっていらないと感じたエネルギーは、すぐに変換できる力を持っているということに気づきなさい」という内容。 今まで、人の多い場所に行くと、様々なエネルギーを吸ってしまって疲れ果て、逃げるしか選択肢を持たなかった私にとっては、とてもエンパワーされる内容だった。 何度でも読み返して、自分の中に落とし込みたいと思った。 まだ試していないから、本当にできるのかどうかはわからないけれど。 やってみなければ!と強く思っている。 このことは、本当に今まで苦しんできたことだったから…。 絶対にマスターしたい。 実践はまだできていないけれど、いらないエネルギーを変換できるという思想は、すでに私に力を与えてくれているように感じる。 今までは、こんな自分を諦めていたし、無力感も感じていた。 本では「力を失ったエンパス」と表現されていたけれど、まさに私はそうだった。 エネルギーに乗っ取られ、自分ではどうすることもできずにいた。 「力を得たエンパス」になると、いらないエネルギーを変換して、愛に変えることができるらしい。 私は今まで、エンパスであることを肯定的にとらえたことはなかったように思う。 「あなたは敏感ではあるが、脆くはない」 この言葉が、すごく自分に響いた。 何かの場に行くと、ほとんどの場合、入りたくないと瞬間的に思うようなものばかりだった。 もともと幼い頃は、どちらかというと外交的な性格だった私。 でも、いつの間にか、自分の気配を消し、なるべく関わらないようにしようとして内向的になってしまっていた。 時と場合によっては、外交的にもなれる自分を感じてはいたけれど、なるべくそういう面を出さないようにしていたと思う。 今までは、それを意識的にやったことはなかったけれど…。 きっと、ちゃんとやってみれば、できることなのかもしれない。 次からは、意識してその場のエネルギーを取捨選択してみようと思っている。 どうだろう。うまくできるのだろうか。 とりあえず、明日、気の進まない集まりがあるので…そこで実践を試みてみるつもり。 イメージングとしては、自分が炎になる。 すべてのネガティブエネルギーを炎で燃やして愛に変換するというイメージで。 うまくいくといいな…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.07.03 12:30:44
コメント(0) | コメントを書く |
|