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ネガティブなエネルギーを受けないようにする!と決めて、参加した集まり。
結果的には、いつもよりずっと楽に過ごすことができたし、帰ってきてからもダメージを感じる度合いが、ぐっと少なかった。 これは自分にとっては、嬉しい出来事だった。 ところが、その数日後、いつもは平気だったまた別の集まりの時に、油断して何も意図せずにいたら、かなり大きなダメージをくらってしまうという事態になった。 本当にもう2度と行きたくないと思うくらいのダメージだったので、ひどく落ち込んだ。 わかりやすいネガティブはなかったのだけれど…そんなに甘いものではなかったのだな。 やっぱりいつ、どんな時も、意識をすることを忘れるなということなのだろうか…。 しばらく検証を続けていかなければならないと思った。 さて、今年の3月~5月、体調が急降下して、またもやひどい状況になっていたのだけれど。 そんな時、職場で思いもかけない疑いをかけられ、6/2に自分から辞めることになった。 一見、ひどい出来事のように感じたのだけれども。 仕事を辞めたことが良かったようで、そこからどんどん体調が上向きになってきた。 体調が落ちたのには、人からの影響が大きかったことがわかった。 自分がまったく思いもよらないことで恨まれていたのだった。 呪いや生霊は、本当にあると検証された出来事になった。 辞めてしばらくして、やっと、体調の低下から這い上がろうという気力が湧いてきた。 とりあえず、寝てばかりでろくに体を動かすことができなかったので、少しずつ運動をするところから始めようと思い立った。 こんな気持ちになれたことが、本当に久しぶりで、そんな自分が嬉しかった。 キッチンに大理石シートを貼って綺麗にしたり、汚くなっている窓の桟をペンキ塗り直したりと少しずつリフォームにも着手できるようになってきた。 何もできずにいて苦しかった私。 やっと光が見え始めた。 長かったなあ…。 何もできないということが、本当につらかった。(仕事には行っていたけれど、家事はほとんどできずで) 特に大きな病気でもないのに、体が重くて動けない自分を、受け入れられなくて苦しんだ。 巫病という認識ができたのと、その状態から抜け出せたのが、ほぼ同時だった。 必要な体験だったのだろうと今なら思える。 けれど、きついし、苦しいし、自己肯定感なくなるしで、かなりメンタルは落ちた。 でも、ここまでならなければ、ある意味、私は自分を過信してしまっていただろう。 「普通にできる、私はみんなと違わない、やればできるんだ」と思ってしまったと思う。 「普通でいよう、普通になりたい」私はずっとそう思って頑張ってきた。 そして、ある程度、周りから浮かないようにはできていた。 そんな生き方から外れるのは、私にとっては本当に怖いことだった。 そう考えると、不登校している子たちはすごいと思う。 大勢から外れた道を歩むのは、勇気がいる。 保証もない、孤独の道だ。 私自身も、そういう子どもを持って、不安でたまらなかった。 今も不安がないと言ったら嘘になる。 でも、何か意味があって、こうなっていると思う。 まだまだ私は苦しいけれど、それでも少しずつ、起きている出来事を受け入れられるようになってきている気がするから。 今まで苦しんできた長男は、やっと将来への希望を見出して、少しずつ上昇傾向だ。 それと入れ替わりに、今度は次男が、不登校と不調の真っ只中で、苦しい日々を送っている。 生きる希望を見つけてほしい。 楽しいと思えることを見つけてほしい。 命を燃やせる何かを見つけてほしい。 これは自分自身に対しても思うこと…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.07.03 14:10:17
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