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カテゴリ:そのまんま日記
16日(日)は、多智花杯争奪と言う一見競艇のような名前のバレーの試合に行ってきました。
戦前に、徳島県に多智花さんと言うバレーの名選手が居たそうで、アジア大会などでも活躍したそうです。やはり戦争の犠牲になり、その多智花選手を偲んでの大会で、今回で60回になる由緒ある大会らしいです。高校、大学、一般と色々なチームがごちゃまぜに出場するので、高校生などは良い刺激になるみたいです。 医学部のチームと、そのOBのチームも毎年出場していますが、OBの方は最近人集めに四苦八苦しております。事務局の僕があちこち連絡して手配するのですが、どうも最近の若い人は(出た!)バレーに対して醒めてしまっている人が多いみたいで、なかなか自分の都合をやりくりしてまで出場してくれません。 自分が若いOBだった頃は、大阪からこの試合の為に帰ってきたこともあるし、当直や日直に当たっていても出来る限り代わって貰ったりして都合をつけていました。 それは、もちろんバレーが好きで試合に出たかったと言うこともあるし、お世話をしてくれる人も大変だなと思っていたからです。 卒業1~2年目の若い子達にはそういう理由で結構断られて、結局集まったのは4名でした。 まあ連休の最中なので、家族行事を予定していた人も多いのでしょうが・・。 K君は若いOBで、普段の現役の練習にもよく行ってやっている人。前の晩当直ですが、9時までなので終われば大至急行きますと返事をくれていました。ところが仕事が長引いたみたいでなかなか現れず、前の試合がフルセットにもつれ込んだおかげでようやく間に合いほっとしました。 T君は僕より6つ下の学年。それでももう40歳過ぎちゃったんだよね。 学生の時の噂は、とんでもないヒドイ奴と言うことで、どんな奴だと思っていたけど、OBになってからは普通の人で、この多智花杯にもいつも頼み込んで出場してもらっています。 今年も、もう何年も走ったこともないし、当直明けだったのでフラフラで・・応援だけでもと言っていたのを(それでもちゃんと来てくれるところが嬉しい)出場して貰いました。183cmあるから居るだけでも違うんだよね。まあ、最後の方は腰を押さえて顔が真っ赤になって呻いていましたが(無事に家に帰り着いたのだろうか・・・) A君は同じ医局の後輩で、それでも僕の10年下・・。 彼も後輩の練習に参加している熱心な人。やっぱり好きなんだなあと思います。 奥さんもママさんバレーしていて家族にも結構理解があるみたいです。 まあ、我が家の場合も理解はある・・と言うか諦めているみたいですが。 現役時代と同じ美しい筋肉美を保っているのが立派です。 現役時代も何度か僕は監督として彼のプレーを見たことがあるけど、今の方が上手いんとちゃうかと思います。 現役2人に入って貰い、ベンチにも交代要員を2人入って貰って8人でスタート。 あ、チームの名前は「やぶからボーイズ」と言います。 やぶ医者の「やぶ」が入っていますが、後は「藪から棒」からダジャレで付けたような名前ですね。 開会式に出てみると、以前は男女各30チームぐらい出ていたこの大会も、今年は男子11チーム、女子に至っては4チームと少し淋しい感じがしました。 相手は阿波高校。 これがまあ可愛らしい。うちらの相手としてはここ以外に無いぞ、うちの為にとっておいてくれたのではないかと思うぐらいの素朴な高校生(要するに強くない)でした。 前に強い高校生と当たったときには、いきなりジャンプサーブで10点続けて取られた時もあったもんね。 試合は中盤まではお互いに拮抗した試合で、終盤うちが集中力が切れて離されると展開。 1セットが16-25,2セット目が19-25の0-2で負けましたが久しぶりにまともな試合が出来ました。まあ、普段全然練習してないチームなんだからこの程度だろうね。 T君なんか最後の方はボール見てなかったもんなあ。 まあ、私のような老体がもう2m43と言う国際試合と同じネットでやるのは無理と言うか論外ですな。ひたすら上に向かってアタックを打っておりました。 でも、学生時代はこのネットを高いなんて思って事が一度も無かったんだよな。 淋しいことです。 嬉しかったことは、現在徳島県のバレーボール協会の会長をしている、昔徳島商業の監督だった岩野先生がちゃんと私の事を覚えてくれていたみたいで、すれちがった瞬間に向こうから声をかけてくれて「おう、君まだ元気にやってるんか?やぶからも、これからも大会にでて盛り上げてくれよ」と言ってくれたこと。まあ、後半はリップサービスかも知れませんが、それでも自分の事を覚えてくれていたことは結構嬉しかったです。 高校~大学の頃は結構目立ってたんだよな、声でかいし、態度でかかったし・・。 今年はサブライズとして新しいユニフォームを新調していたのですがそれを大勢の後輩に着せられなかったことは残念でした。 来年こそ、若いOB中心に現役の人手を借りなくても良いチームを作って、私は監督として多智花杯に出場したいなあと思った1日でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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