|
カテゴリ:豊田勇造さん
はあ、忙しかったですなあ。
いつもなら、ライブの当日の夜中にシコシコとアップしたりするのに、今年は前日の学校の秋祭りの疲れが残っていたのか、とてもとても・・ 翌日はお祭りの打ち上げ、今日は新しく買ったiMacのシステムクリーンインストールとバックアップデータの復旧作業。 やっと一息ついた感じです。 さて、今年の勇造ライブは・・。 絶好のお天気のもと、あたりが夕闇に染まる午後6時開演でした。 配偶者が書いた看板に、投光器のライトを当てる。 勇造さんの部屋には、ミドリの書いたポスターが。 会場に入ると、受付でケストナーさんの焼き菓子をもらい、会場入り口付近で飲み物をもらう。 今年は3種類のエビスビール(通常エビスと、限定版2種)を用意していたのに、ビールを注文した人が誰も居なかった。残念。 会場と扉なしの隣の部屋では、すでに休み時間の間の販売の準備が。 こんな風に今年のライブも始まった。 前半のセットリスト 1 歌いながら夜を往け 2 背中 3 走れアルマジロ 4 夢で会いたい 5 チャオプラヤ河に抱かれて 6 花の都ペシャワール 最初の2曲は我が家のライブでよく使う。僕の好きなパターンだ。 1曲目ってやっぱり勇造さんの自己紹介を兼ねたような歌、「ギターが友達」や「海の始まり」そしてこの歌がいいなと思う。 子供たちの好きな走れアルマジロを間に挟んで両親を歌った歌。 最近、走れアルマジロを歌うとき、歌詞がオリジナルのアルバムのやつとは、微妙に違うと言うか、1番2番3番の歌詞がごっちゃになっている時が多い。それはわざとなのか、単に歌詞をど忘れしているのか勇造さんに確かめるのを忘れたけど。不思議と前後してもちゃんと歌詞として生きているから不思議だ。 1部と2部の間の休憩時間。 いつもなら上に上がって休んではるのに、ずっと下の売り場に陣取って買ってくれた人にサインをしている。 いつもは全部終わった後でサイン会やるのにね。CDどんどん売れる。本は売り切れた。 昔一人でやっていた頃は、これが忙しかったけれど、最近はスタッフが居るので任せて僕はのんびりとビデオのテープを入れ替えたりしている。 今年のライブは昨年より10人ぐらい少なかったかな。 やっぱり3連休の真ん中だから、みんないろいろと都合があるみたいだ。 でも、京都から来た人がいた。 この方、コトもあろうに勇造さんを初めて聞いた見たのが6月6日で、いきなりそれじゃあ刺激が強すぎるだろうと思うけど。実際強く勇造ウイルスに感染してしまい。結局昨日高松、今日徳島と勇造さんのおっかけをするハメになってしまった。いやあ、楽しそうだったね。 翌日に自分の町でライブがあるのに、前日の徳島まで来てくれた人もいたし。 ライブの案内を持って行った読売新聞の支局長さんは、昔から勇造さんを知っているみたいで、忙しい仕事の合間に顔を見せてくれた。 パンクを直しに行った近くの自転車屋のオバサマが、おもしろそうだとライブに来てくれたし、高校生や大学生ぐらいの子供を連れて来てる親子連れもいた。こういうのはうれしいねえ。 歌の合間、ちょっと上気した表情。 2部は新曲の「メコンリバーブルーズ」から始まった。 スタッフのF君のリクエストで、「マンゴーシャワー」を。 そして新曲の「住所録」。 今年初めてスタッフになった若いMRさんは、この曲が良かったって言っていたなあ。 毎年来てくれるTさんは写真の専門家で、いつもライブの時に前年のライブの写真をくれる。 ところが、今年は翌日に今年のライブの写真を持ってきてくれた。 いつもは会場の後ろから撮るのに、今年は姪御さんを連れていた事もあって、最前列の端っこから撮影していた。 見入ってしまって写真があまり撮れなかったそうだ。 でも、いろいろレンズも変えるので、こんな全体像が見える写真も撮れる。 「老いてこそロック」挟んで、いよいよライブも佳境だ。 久しぶりに徳島で聞く「ジェフベック」。 初めて来た人が、この曲を聴いて、目が点になるのを眺めるのが好きなんだよね。 勇造さんが「こんな格好をして立ってた~~」のところで勢い余って隣の椅子の上に倒れ込みそうになる。 こんなの珍しいでしょう。 そして大文字の大合唱。円山音楽堂みたいに、60回リフレインを歌うのかと思ってしまった。 さて、アンコールの1曲目は「センシミーナ」。 静かに深く、大きなため息が出る。勇造さんの口笛がしみるなあ。 そしてラストは円山と同じ。 「海の始まり」の轟音バージョン。 どこまでも力強くギターを弾く。 ライブの後、勇造さんが立っていたあたりに砕け散ったピックが落ちていた。 一生の宝物になったよ、これ。 和やかに打ち上げは深夜まで続く。 今年のライブの後でやっと気づいたことがある。 いつもCDを買って思うけど、どんなCDでも実際のライブとは違う。 円山のライブ盤だって、実際のライブとは違うし、今日のライブの方がCDよりもすごいと思う。 勇造さんってレコーディングが下手なのか?それともプロデュースが悪いのか?なんて不遜な事を考えていた。 違うのだ。 音楽が凄すぎて、単なる媒体の中になんぞ収まり切らないのだ。 歌詞やメロディーは収まっても、あの熱い思いやライブの臨場感は決して1枚の電子媒体に納める事ができない。 それぐらい凄いのだ。 歌と実際の人生の間にギャップがない。 生きている事そのものが歌。 僕がいつも思うことを、今年初めて来た人が言っていた。 ちゃんと届いたんだね。 こういう事があると嬉しい。 いつもライブが終わると虚脱状態。 虚脱と言おうか、満腹状態でほかのモノが欲しくなくなる。 ほかの音楽を聴いたり、自分でカラオケで歌ったりすることが出来なくなるんだよね。 それで十分って感じ。 こんな思いになるのは勇造さんのライブだけだ。 先日行った、別のベテランさんのライブも良かったけどね。 でも、やっぱり勇造さんとはライブの時の熱さとか重さが違う。 ピックだけじゃなくて、命を削って歌っている感じだもん、勇造さんは。 こちらもそれだけのモノを貰って体と心が反応しているのだ。 さて、我が家のライブも来年は10周年になる。 早くも来年に夢は飛んでいる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[豊田勇造さん] カテゴリの最新記事
|
|