食物連鎖2
毎週水曜日に往診に行くお豆腐やさんに、豆腐や油揚げ、そしてオカラを貰う。例の如くそのオカラでオーソドックスな炒め煮を作った。珍しく配偶者が建設的に(冷蔵庫にある食材を使うと言う意味)、その炒め煮を使ってオカラハンバーグを作った。なかなかの物である。素のオカラと違って味が付いてるし具も入ってるし、扱いやすく食べやすいようだった。で、そのハンバーグがかなり残っていたので、今日はもらい物のトマトでトマトソースを作って煮込みハンバーグにした。畑で取れたばかりの大振りのトマトは、酸味が強いし、スライスで食べるには繊細さがない。こういうのは火を通すに限るのだ。微塵切りのタマネギ(バーミックス使用)をオリーブ油とバターで炒めて(もちろんニンニクも入れる)、同じく微塵切りにしたブナシメジ(もちろんマッシュルームでも可)を入れて炒め、その上から下ろし金を使ってトマトをすり下ろす。もちろん湯むきしたトマトを微塵切りにして入れても良いけど、そんな面倒な事をしなくてもお鍋の上でゴシゴシおろしちゃえば良いのだ。塩胡椒して、コンソメの素も少し入れ、ケチャップ、醤油なんぞ加えて味を整える。 息子が、土日とテニスの試合に行く。配偶者が土曜の夜と日曜の昼間は勉強会に行くので、僕は仕事。試合を見に行ってやれない(土曜の午後に行こうと思うけど)。多分よその家は、両親爺婆まで総出で行くんだろうな。可哀想だけど仕方ない。ま、本人は結構気楽にしてるけどね。土曜日は、弁当が要ると言うので今夜の間に主菜を仕込む。と、言ってもいつも書くとおり、我が家のお弁当メニューはワンパターン。鶏の照り焼き(時に筑前煮)、ソーセージ、茹でブロッコリ、卵焼き、ミニトマト、おにぎりなのだ。毎日の弁当じゃなくて、たまにだから同じメニューでも許して貰おう。先日の日記では、電子レンジを使う照り焼きを紹介したけど、今日はフライパン。ま、大して替わらない。フライパンにごま油を敷いて鶏もも肉の両面に色を付け、照り焼きのタレ(醤油、ミリン、酒、砂糖を同じぐらいの割合で混ぜ、片栗粉を少々)を振りかけて両面返しながら蓋をして蒸し焼きに。そして火が通れば蓋を開けて汁気がなくなるまで焼き付ける。電子レンジに比べて焦げ目が付きやすいので良いかも。まあ、網焼きで焼くのが一番美味しいのだろうけどね。で、続きはまだある。この照り焼きをお皿に移したあとのフライパンを洗わずに、そのままさっき作ったトマトソースを入れる。隠し味に照り焼きの甘い味が加わると言うわけ。僕ら大人はトマトソースの酸味が好きだけど、子供達はちょっと甘い味が入った方が美味しいようだ。このソースの中にハンバーグを入れて蓋をして煮込めば、冷蔵庫で固くなったハンバーグもふんわりと・・。今日も食材を使い回せた。バンザイ!さてはて・・。のんきな日記を書いているけど、海の向こうではまたもや恐ろしく、悲しく腹の立つ事件が起こっている。ニューヨークには知り合いが居なかったけど、ロンドンにはちゃとさんが居たので、その分身近にニュースを感じた。思考停止に陥ってはいけないと思いつつも、なかなか言葉が出ない。う~ん、わからん。チェチェンの人たちが、ロシアに対して行うテロならおぼろげに立場は分かる。許す許せないは別として、何とか理解出来そうな気がする。パレスチナがイスラエルに対して行うテロも同じである。それは彼らの命や生活に関わる問題だからである。翻って、このニューヨークやロンドンのテロの場合はどうなんだろう?そんな命や生活に差し迫った問題のように思えない。ある宗教、文化、教義の団体が、その団体に属さない人たちを脅かしている。非常にイデオロギーの要素の強いテロだと思う。こういうのは本当にテロなのか?第3次世界大戦の前触れのような気がしてならない。テロは許せない、殲滅してしまえと言うのは簡単だけど。殲滅できるのか?それはきっと無理だろうそもそも、ビンラディンだって、まだ捕まえてもないじゃないか。ザルカウィイもまだ生きているし、国際テロ組織の大物は誰も捕まっていない。例え捕まえ、テロ集団を一旦は殲滅したように見えても、また雨後の竹の子のように出てくるに違いない。憎しみの怒りの連鎖は続くのだ。じゃあテロはどうやれば無くなるのか?世界的にテロ組織を孤立させるしかないのじゃないか。敵からも(本来彼らを物質的精神的に支援するはずの)味方からも。敵味方が無くなれば、彼らの政治的アイデンティティも無くなってしまうんじゃないか?どうすれば良いのか、具体的にはわからないけど。軍備では解決しないような気がする。遠い道のりではありそうだけど。それしか無いような気がする。