カテゴリ:地球交響曲
「そういえば、世界中どこでも祭りがあるけど、祭りってなんのために行うんだろう?」
きっかけは風呂の中で湧いた↑の疑問でした。以下、自分の頭の中で思いついたことです。(長いので読み飛ばしちゃってかまわないっす。←じゃあ何で書いとるんや~! ^^;) (問)祭りって何のためにあるの? 「元気になるため?」(例、クリスマス=日の当たる時間が最も短かいので) 「単純にうれしいから?」(例、夏祭り=夏だからパーっといこう!) 「収穫を祝うため?収穫に対する感謝のため?」(例、秋祭りや謝肉祭など) いろいろとあるけど、太古からの祭りには「生かされていることへの感謝の気持ち」が底辺にあるんだろうな~。 特に収穫を祝う祭りなんかがそうだろうな。その年の天候に収穫を大きく左右されることが多かっただろうから、必然的に人間は自然に対して謙虚になるんだろう。 なので、人は自然によって生かされていることを当たり前のように意識するだろう。 そして、自然に(=自然に対して&ココロの中から自発的に)感謝の気持ちが生まれるんだろうな~。 ところで.....現代はどうなんだろう? いいや、そんなことはないだろうな?少なくても食べることに関しては、お金を出せばすぐに手に入る時代なんだから。 自然というよりは、人間自身が作ったモノ(例、農業機械による大量生産、食品工場での生産、そしてそれを消費する都市というシステム)によって生かされているような気がする。 でも、それら人間が作ったモノも自然(そして地球)があるからこそ存在できているんだ。自然から遠く離れて生きている人々(例、都市での生活者)にとっては、生かされている意識は少ないだろうな~。 「自然に生かされている」ということを常に意識できるようなしくみがあれば、地球環境を守っていこうという態度につながっていくのではないだろうか? そういえば、農産物には「トレーサビリティー」というのがあるな。確か「この食べ物はどこで取れてどこでどうやって加工されたか」みたいなことが分かるやつ。 確かにこういうしくみは便利かもしれない。商品に「優良農家の笑顔の写真」が貼ってあり「私が安全な食べ物を作りました」と書いてある。それはそれで大事なことだ。 しかし、今あるトレーサビリティーは「生産」「加工」の状況を知ることはできるけど。生産者や加工者の「生かされていることへの感謝の思い」までは伝えられないよな~。 例えば..... 「『せっかくの天の恵み、腐らせちゃあもったいない!ちゃんと干せば冬にはおいしい干し柿ができる』と言って、うちのお婆ちゃんは(老体に鞭打って)毎年たくさんの柿を剥いているんですよ。」 とか 「わが家は小規模農家なので、今年からは(大規模農家優先の)補助金も出ない。それでも、経営効率が悪くても、ここいら一帯は昔からの水田地帯。自分の家だけが耕作放棄しては、そこだけが荒地になってしまう。土地の荒廃は(農家の)精神の荒廃につながる。自分が生きているうちだけでも、耕作は続けていきたい !」 とか、ごくごく普通の農家でも農業に対する何らかの思いはあるはず。そいういう思いが、消費者に伝わればいいな、と思う。 なので、農産物のトレーサビリティーとしては「どこで」「なにが」とれたかよりも、「だれが」「どうやって(どういう思いで)」生産したか(または加工したか)がクローズアップされていると面白いのにな~。 そういう商品って.....「能書きばかりでウザい!」とか言われてしまいそうだけど。(^^;) うー、ひさびさに長い日記になってしまった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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