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2011/05/03
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製作活動を開始したいのですが、まだ環境が整っていないので、震災時の体験を・・・

3・11、東日本大震災から早いものでもう少しで2ヶ月が経とうとしています。
私は宮城県に住んでいますが内陸なので被害と言ったら、屋根瓦が落ちたり、家は多少?結構?壊れてしまいましたが、家族とも怪我も無く無事でした。
震災直後は電気・水・ガス等のライフラインが止まり、日頃の便利さ・有難味を痛感させられました。宮城県は特にとは言い難いですが、地震が多い地域なの地震に対して慣れてしまっている所が有ると感じます。ちょっと位の地震では「あ~震度3位かな?」とか「今度は随分揺れたけど、震度5位だな!」って感じで以外に落着いています。
それに私は30年位前の宮城県沖地震も経験していますので、本当に大きい地震とは知っているつもりでいました。
しかし、今回の東日本大震災は凄かった・・・震度も凄かったですが、揺れている時間の長さには恐怖を感じました。過去に経験した宮城県沖地震の時は縦揺れの直下型でしたが、今回の横揺れはともかく大きさと揺れている時間は別物でした。

震災直後一日目は、ライフラインの停止により、明かりはロウソクだけで、暖は無いので防寒の為に外着のように重ね着のまま布団に包まりながら、唯一の情報源となるラジオに耳を傾け、これまで経験の無い頻繁に起こる強い余震に警戒しながら、過去に経験した震災時の思い話をしながら、ロウソクの明かり一つの暗い部屋で寒さに耐えていた。そんな中で、唯一和める出来事がありました。近所に住む姪っ子達3人も家に非難していたのですが、一番幼い姪っ子がロウソクの明かりを見て、「今日は誰のハッピーバースデー?」と言った時はラジオから入る悲惨な情報を一瞬でしたが忘れ、家族で笑う事がありました。そんな状況の中、する事無い私は、地震から8時間位経った夜十時頃、外の状況が気になりちょっとした情報収集のつもりで、車で辺りを見に行く事にしました。

街灯も家の明かりもすべて消え、信号もついていない真っ暗な異様な感じの住宅地と街。
そんな所を車を走らせながら辺りを見る。私以外に走っている車はほとんどいません。
家に入れないのか?暖を取る為か?駐車場の車の中で過ごす人々。
真っ暗な街は夜の山の中を走っているような不思議な感じでした。
そんな時、コンビニはどうなっているか?とふと思い駐車場に入ると車は結構止まっている。
辺りを見渡すと十数人の若者がたむろしている?もしかして?まさか?営業しているの?と思って入り口に近づくといつものコンビニのガラス扉の前に車が止めてある。まるでバリケードのように・・・車の中をよく見ると、見慣れた店長と店員の2人が車に乗っている。
その車からちょっと離れた駐車場には若者達のたむろしている姿・・・
明かりも無い真っ暗な住宅地のコンビニ、電気が止まっているのはもちろんの事、防犯装置も通報も困難な事は直ぐ思いつくと、ちょっと恐くなってしまった。当然このような状況で営業は出来ないのは分かっているつもりでしたが、普通に食料や必要な物を求めての集まってきている人達なのか?まさかアメリカのように?と変な考えを頭によぎりながら、直ぐにそこを後にした。通りすがりに見えるコンビは何処も同じ様な感じだった。
その後、野次馬根性でもう少し走るか?考えたが、頻繁に起こる強い余震の心配もあり、ガソリンも今後どうなるか分からないので、すぐ帰宅し、眠れない寒い一夜を明かした。

そして2日目、母は寒さと疲労からか、体調を崩し微熱があるようだ。
母は見た目には通常の生活を送れるように見えるのだが、難病を抱えているので特定の病院の検診と調薬しか出来ない。震災によってのこれから増えるであろう患者や怪我人の事、翌日は日曜日という事を考え、早く病院にいく事を勧め、連れていく事になった。
外は既にうす暗くなり始めた夕方、そんな中懸命に電気工事をしている人達をあちらこちらで目にした。頭が上がらない思いで関心しながら、病院に向かった。

そして病院に着き、辺りを見渡すと建物の破損は多少あるようだったが、さすがは病院、電気は使えるようだ。入り口で渡された用紙に目を通すと通常の診察場所ではなく緊急用に怪我や病気の容体によって区分けられていた。とりあえず軽度の診察場所で見てもらう事になった。
そこは通常なら待合室場所で使われる広いフロアに間仕切りした寒い所だった。こんな時だから仕方が無いと思いながら、母の診察を待った。
主事医で無いと調薬の指示が難しいので心配したが、診察した先生も理解したのか?点滴で様子を見る事にになり安心した。点滴が40分程掛かるという事でする事もなく待っている間に、母と同じ様に病気を抱えた人々が結構入ってくるのが見える。病気に年齢は関係無い、老人、若い人、幼い子供など様々・・・
そんな中、一人の男性が入ってきて看護士とのやり取りする会話が聞こえてくる。
病気名は忘れてしまったが、決められた薬を定期的に飲まないと大変らしい。暗い表情の付き添いの女子中学生と男子高校生位の子供が2人。男性の年齢は50代位?病院に来るといつも感じる事だが、家と同じ様な境遇の人達は世の中多い事を痛感する。
私が座っている長椅子のちょっと前で男性と看護士が会話のやり取りをしている。
その男性は宮城県内で被災の酷い三陸の志津川から来たらしい。
私も幼い時、志津川に住んでいた事があるのでどんな町かは知っている。なので何気に耳が傾いてしまう。男性の家は津波にされてしまい何もかも失ったと語っていた。
その話し方、態度は同情を誘うように辛そうにではなく普通に冗談を言うような口調で震災時の事、自分の病気の事、通院していた病院もダメにになった事等あっけらかんと話していた。でもその男性は笑う事はなかった。そんな男性の気丈さというか既に前を見るしか無いという強さを目の当りにした私は複雑な思いが湧き出していた・・・

そうこうして、母親の点滴も終了し、帰宅に向かう。車の中ではあの男性の話は出たが、皆、口が重かった・・・そして所々街灯も信号も点いていない暗闇の道路を車を走らせ、家まであと数キロという地域まで来るといつの間にか街灯がついていて明るい場所がある。
「あれ?もうここまで電気きている?それじゃ家も今日電気使えるかも?」とちょっと興奮気味の声で会話が飛ぶ。しかし、家の近所まで来ると相変わらずの真っ暗で、電気がきていない。ちょっとガッカリしながら家に入り、病院での出来事や電気のつき始めた地域等、外で見た事の話を家族としていた。帰宅から20~30分位だろうか諦め切れず淡い希望で、外に出て見るといつの間にか近所の街灯がついている。喜び慌てて、家のブレーカーを上げると眩しい位の明るさ(ちょっと大げさ?)が部屋を照らした。思わず私からも家族達からも歓声が上がった。暗くなり始めた寒い夕方、病院に向かう途中で目にした懸命に電気工事をしていた方達に感謝の気持ちでいっぱいになった。

そんな事がありながら、電気はありがたい事に震災から2日目の夜には使えるようになり、明かりと暖、情報(テレビ)の問題は無くなった。
後残りのライフラインは、水とガスだが経験上、電気程早くない事は覚悟していたが・・・
続きは、またの機会に・・・





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Last updated  2011/05/04 12:29:01 PM
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