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2014/09/15
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テーマ:たわごと(26815)
カテゴリ:カテゴリ未分類
ほんと、ひっさしぶりに修士時代のアドバイザーと連絡とりました。
最後に連絡とったのがPhD入る前だから・・・15年近く前のこと。
その後は私自身がもう激しく忙しくてそれどころではありませんでした。

なぜかというと、彼の今の教え子が私に「M○UでPhDをやろうかと考えているのですが
それならE先生(私の指導教官でもあった)がIzzy先生に話を聞けということでメールしました」とメールが入ってたから。
そこにE先生がCcされてたのですね。
ってことは「Izzy、返事書けよ」と無言のプレッシャー(笑)。

・・・書きましたよ。結構まじめに。
そしたら速攻その学生からではなく、先生からメールが来たうっしっし
そうだった、仕事のできる人間はレスも早いんだった・・・
で、あの人は当然仕事ができる人だった・・・雫

「Izzy、的確なアドバイスをJのためにありがとう。元気にしてるか?
そのうち学会あたりで会えるといいな。これからも連絡して来いよ」みたいなことが書いてた。
あぁ、もう逃げらんない

修士時代。それは私がボストンで遊びに遊びまくった2年間でした。
まぁ、よくあれほど毎週毎週パーティしてたもんだ(汗)。
それでも一応勉強はしてたわけで、それなりの成績を取ってたのですが
何を狂ったのか私は「PhDに行こう」と思い出し
この先生に相談しに行ったら、彼は私のGPAその他もろもろを見て
「お前、PhD行ったら楽しい事なんて何にもないぞ。
少し働いて来い。GPAは悪くはないが、トップスクールに行きたいのなら働いて来い」と言われたので
しばらく働いたというわけ。

あの時の先生のアドバイスは間違ってなかった。
PhD時代は楽しい事なんてなかった(爆)。
私の時間の使い方が悪かったのかな。
やらなきゃいけないことが多すぎたのと、やっぱり競争ってのが仲間内でもあったから
息つく暇もなかった。

でもなんで先生が私に学生をよこしてきたんだろ?
同じプログラム出てるんだから、先生でもちゃんとアドバイス出来ただろうに。
そりゃ私よか10何年か前に出てたわけだけど、それでもあのプログラムの根本は変わってないのに。
だいたい私にアドバイスをしたのは彼だ(爆)。

ふと考えました。
最近、特に先学期はろくなことがなかったし
ただもう精神的にSuck upされたというか・・・うちのアシスタントT君がよくいう
「It sucks up my soul」って感じでした。
私が大学教員、研究者になった本来の理由ってのを忘れかけるぐらい
余裕がなく、イライラしていた学期でした。
教員になって初めて自分の仕事が嫌になったぐらい。
「私は必死になって院生の面倒見ようとしてたのに、いったいこれは何だ?
いつから大学院生ってのは甘ったれで研究しないようになったんだ?」って失望していました。
今でも失望させてくれる学生ってのはいます。

で、自分がなんでこの仕事をやろうかと思ったかという根本的なものまで忘れかけていました。
でも、このアドバイサーとのやり取りとかの中で
本来のものがまた見えてきたような感じです。

研究者になるためのトレーニングというのは、PhDプログラムで受けました。
だけどこの先生は修士時代、私に研究の楽しさを見せてくれた人でした。
難しく複雑な概念をいとも簡単なように教えてくれ、
数字の持つ意味を教えてくれたのはこの人です。
だから私は最初からQuantitative Scholarになろうと思った。
学生時代数学大の苦手だったのに(笑)。
研究とはこういう風に組み立てていくのだというプロセスを見せてくれたのも彼でした。
そんな修士時代のことを思い出したわけです。

自由に研究できるという環境にいたいと思ったから大学で働くことにしたんだという
至極当たり前なことを再確認しました。
確かに教育というのも大きな職務ではありますが
私の基本、コアは「研究者」なのだって。
学部生の教育には別に失望してません。彼らはまだ若いし、私が少々厳しくてもやる学生はくらいついてくる。
ある意味素直だし。

院生教育に関しては、ビジネススクールやロースクールのようなプロフェッショナルスクール以外は研究の場なのだから
学生に研究させて何が悪い
それが嫌なら私を指導教官にしなきゃ済むことです。
というか、何か自分で追究したいものがなければ大学院に来てはいけない
残念ながら、日本では文系の大学院を出ると(修士ね)就職がかなりきつくなるから
覚悟をもって来るべきです。

うちのプログラムの修士の学生はここ2,3年残念ながらクオリティが下がりました。
それは内部的にいろいろ間違った決定があったからというのもありますが
大学院に本来来てはいけない学生まで受け入れたという部分があります。
そのあたりを、変えていかなくてはいけないと教員側は思っています。
だからこれからの入試は厳しくなるし、私自身は上が何を言おうともたくさん学生を取る気はもうありません。
そして、今いる学生もふるいにかけるつもりです。
やる気のある学生は面倒みますが、ない学生は簡単に卒業させてくれる指導教員に移るように示唆するか
最低限の時間と労力しか使わないことにすることになります。
だって他のことでいろいろ忙しいし、私はやっぱり研究してないとストレスたまるから。

クオリティの低い外国人留学生に付き合う時間はありません。
うちのどうしようもない留学生たち(なぜがアメリカ人が多い・・・)は
「日本は日本語できなくても生きていける」と碌に日本語の勉強もせず
そのまま就職活動に出て自爆している(苦笑)。
で、「日本は日本語できないと就職できない」と文句を言う。
当たり前だろ(爆)。
こんな甘ったれが多いのですよ、残念ながら。

だから私は自分のよくできるまじめな院生たちには
「2年しかないのだから、できるだけ日本語は勉強して
出来るだけ普通の日本人たちと付き合い、できれば日本の環境でインターンシップをやり
1年かけて自分が追究したい研究をやりなさい」と言っています。
院生ラウンジで他の留学生とうだうだ文句ばっかり言っているのでは
2年の間何の進展もない。
同じ2年なら、卒業するときに何か自分が胸を張って説明できる研究をやりなさい。
母国に帰って就職するにも、大学院を出たとなると必ず研究内容について話さなきゃいけない時が来る(就職活動で)から。
でないと何のために留学したのかわからないから。

そしてよくできる院生たちは自らインターンシップを取って来て
日本語環境に自分を置き
私にはっぱをかけられながら研究してるわけです。
その研究のレベルは正直言ってまだまだですけれど
初めてやるんだからそんなもんでしょう。
私の修士論文だって大した代物じゃなかった(笑)。
けど学会論文にはなった。
そしてその始まりってのが、私にとってはボストンでの2年間だったのです。
指導教官とのやり取りで、それを改めて思い出しました。

だけどまさか先生も私が大学教員になるとは思わなかったにちがいない(笑)。
なんせあのボストン時代はひたすら社交に明け暮れてたからね~。









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最終更新日  2014/09/15 11:17:35 AM
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