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テーマ:たわごと(26869)
カテゴリ:カテゴリ未分類
そーよ、本来こっちをブログにさっさとアップしたかったんだ(笑)。
3月末の忙しい中、久しぶりに自分の専門の広告学会に行ってきました。あ、シカゴですけど。 この学会は私が博士課程に入ってから初めて発表した学会で、 規模もそう大きくなく知り合いも多くホームのような学会なんですが、ここ4年ほどご無沙汰してました。 やっぱり日本に戻るとわざわざ日本から行くのが億劫に感じられてたってのもあります。 ですが、行ってよかった。 いや、まじめに毎年行くべきだ。 なんせみんなが「参加者リストにIzzyの名前が出てたからいつ来るか待ってたの~!」だの 「も~、なんでいきなり日本帰るのよ~」だの 前の職場の同僚たちには「戻ってこないのか」と聞かれ(いや、それはあり得ないだろ(苦笑)) 色々驚かれましたが、まず最初に自分の指導教員に5年ぶりぐらいで会った時、 私の中の緊張感がぶちぎれました・・・ 「教員生活10何年のうち、一番しんどかった1年が終わりました。昨日卒業させてきました」と彼女の前で言ったときに、涙が止まらなかった。 彼女は私のこの1年のいざこざを知っていましたから。 まるで親の前で泣く子供だと思いましたが、止められなかった。 「よくやったわね。誰にでもそういう問題児、一生忘れられない学生っているのよ。私ももちろんいるわよ。だけど、出て行ってしまえばもう関係ない。自分のやるべきことをやったのだから、これ以上は自分を責めないでいい」と諭されました。 一体私は何を間違えたのだろう、今までアメリカ時代にこんなことはなかったのに、 なんで立て続けにアメリカ人学生に不快にさせられるのだろう?と何度も自問してましたが、 ここで涙を出した分、スーッと何かが引いていきました。 そしてもっと嬉しかったのが、自分のジョージア時代の学生たちが 私を会場で見つけて一目散に「Dr. Izzy~! やっと来たんですね!」と何人も駆けつけてきてくれたことです。 言っときますが、みんなほとんど今では立派な大学教員です。 私の過去のアシスタント達もいました。中には学会のベストペーパー賞を取る元学生もいました。もう、みんなが誇らしかった。 私がジョージアを去ってから5年ぐらいになるのに、いまだにこうやって慕ってくれるってだけでもうれしいけど、 みんなが立派に社会人になってるのを見てもっと嬉しくなりました。 私、別に今までは間違ってなかったんじゃないって。 ただし、こっちに帰ってきて現実に戻ると残念ながらあまりに学生の質が違いすぎてそれはそれでpost conference depressionみたいになってるんですが・・・ 大概学会に行くとハイになるのですが、この時も実は飛行機乗る前日卒業式で毒気に当てられほとんど寝られず、 飛行機の中で学生の学会論文を書き直し(もうあれは手直しとは言わない)、 よってまったく寝ず。 到着したら朝方でそのまま学会に行ったら当然寝る暇なく、ホテルの部屋に戻れたのは夜中の12時でした・・・ 3日間ず~っと人に会い、レセプションだディナーだに出、ひたすら喋り捲っていました。 だってみんな久しぶりだったんだもん・・・もちろん新しい友達もできました。 面白かったのが美術館でのレセプションで再会したジョージアの院生。 「僕のこと覚えてます?」といわれ、全く覚えてなかった・・・ どうやら私がジョージアでの最後の年、院生オリエンテーションで彼の自己紹介を聞き(彼も私も修士がボストンだった)、 解散になったときものすごい勢いで彼のところに行き、 「あなたもBUなの!?アタシもよ~!何年に出た??どの先生知ってる??」と問い立てたらしい。 で、忘れられなかったと。 本人記憶にございませんが、自分の性格上それぐらいのことはやらかしていてもちっともおかしくないので、再度自己紹介して話が弾んだのでした。 だけど今回いろんな人としばらくぶりに話をし、途中学会を抜け先輩とシカゴの街中でご飯をしたり、 忙しくしているうちにある程度の傷は癒されたような気がする。いや、その時はそう思った・・・戻ってきてからまたうっとうしいのに大学で出くわすまでは。 でも、気分的にはもう「あれは宇宙人だ。人間ではない」と思っています。 私がこの学会で会ったような院生たちが普通なんであって、 うちのプログラムの特定のアメリカ人院生たちは院生でもなんでもない。 アメリカ社会で生きていけない気の毒な生き物なんだと思う様になりました。 だって、私が久しぶりに目にしたまともな院生たちはまず覇気も知性も違ったし、matureでした。いや、うちのアメリカ人院生たちよ。日本での就職はもちろん、 アメリカに戻っても仕事はそう簡単に見つからないよ。こんなのと競わなきゃいけないんだから。逃げで日本に来てしまったその決断を後悔しないことを祈るわ・・・ 何が一番面白かったって、やっぱり一緒に学生時代を過ごした先輩、後輩たちとの毒舌トークでした。 裏事情もなんでもあり。テニュア審査における地獄だの、そりゃもういろいろ聞かされたさ。 うちの女性陣はとにかく毒舌なのがそろってて(含:私)もうみんな集まるとえらいことになる(笑)。 毒舌というか、ドライユーモアというか・・・アメリカでは受けるんですよ、これ。 で、このままで日本に帰ってきて授業やったら怖い人になっちゃったのが私なんですけどね。 でも久々に自分のドライユーモアが完全に通じる環境に戻ったのでしゃべるしゃべる。 アンタどんだけしゃべんねん?というぐらい起きてる間ず~っとしゃべってました。 反動で日本に戻ってから無口ですけど・・・ 正直言って、「なんで私はこの環境を捨てて日本に帰ったのか?」と自問しなかったとは言いません。 やっぱり研究という面でアメリカのほうが恵まれていて刺激になるというのは (自分が慣れてるせいもあるけど)あると思う。 今更後悔しても仕方ないし、してもないんですけれど、あちらのほうが研究はしやすい。 年取ってまでいたい環境かといわれればそうではないと思うんですけど・・・ 私の今いる環境に刺激があまりないってことなのかもしれない。 そういう意味では久しぶりにアメリカの学会に出て面白いと思った。刺激になった。 ただ、日本の大学ってのは知られてませんからね。 私、この学会だと知り合い多いし、前の職場とかのこともあって嫌な思いとかしなかったけど、 「それどこの大学?」って聞かれることもあります。 そういうこと私に言った人いますけど、私の友人や先生たち、知り合いが 「Izzyはもともとミシガンとジョージアだから」と私の代わりに説明しておいてくれました。 無料PRありがとう(笑)。アメリカで働いたことは無駄じゃなかったんだな、と思ったりして。 私は今の自分のポジションでいいんですが、自分の学生たちを思い出したとき 「こりゃ彼らはアメリカ戻ったら就職大変だ」と考えました。 誰もうちの大学なんて知らないからそんなとこの修士号持ってても「何それ」なんだよね。 業界人と話してると特にそう思った。 新卒としてジョブマーケットに出る際はやっぱり成績表と、どの大学院出てるか 向こうはチェックするし。 こりゃ、日本にいても就職無理じゃアメリカ帰ってもアウトだな、と思ったり。 でも2年だらだら遊んでた本人たちが悪いわけだからいいか(笑)。 でも私は就活に学会に行ったわけではないので、楽しんで帰ってきました。 強行軍でしたけど、行ってよかった。 お買い物する時間なかったけど、行ってよかった(笑)。 来年もまた行こうっと。だってホームグラウンドですから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015/04/04 07:15:38 PM
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