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カテゴリ:グレートピレニーズと暮らす
シュンタと一緒に暮らした5年8ヶ月には、いろいろなことがあり、思い出になっていくことと思います。
気を取り直して、シュンタの最後の日を記していくことにします。 このブログの最初の3.4回で、病気が判明してからのことを記してありますが、その続きになります。 喀血したのちも、そんなことがなかったようにシュンタの日常は変わりませんでした。 ブイとよく遊び、怒る元気もある。 よく食べる。よく眠る。走る。甘える。文字どうり快食・快眠・快便でした。 医師は「お宅は多頭飼いなのだから、シュンタ君を隔離してください。刺激を与えて、興奮して、大喀血をしたら命取りになりますから」と言いましたが、隔離することなど考えませんでした。 夢の中、それも、見たことのないような悪い夢の中にいるような居心地の悪い日々・・・ 4頭と暮らしながら、私がだした結論は 「できるだけ、可能な限り、いままでどうりの暮らしをしていこう!」 ということでした。 名医がいる。日本中から延命のための治療にやってくる有名な病院がある・・・ いろいろな情報を教えていただきましたが、延命できるかどうか定かでないのに、あれほど嫌がる病院へ連れて行く、それも複数の病院へ、など、私には考えられませんでした。 「必ず助かります。」「もとどうりにします。」と言われたら、どこにも出かけたかもしれません。出来ることならなんでもする 気になっていたかもしれません。 が、ほとんど絶対に助かりません、と宣告されているのと、同質の答えしかドクターからは返ってこないのです。 だったら、シュンタと不安や恐怖を分かち合い、できるだけ一緒にいて、今までと同じ暮らしをすることがシュンタを不安にさせないことに違いない と 決めました。 11月4日に喀血してから、11月27日までシュンタは それまでと全く変わらずに元気に過ごしました。 元気よく、ブイやエムと遊んでいるシュンタを見ていると、この子がもうすぐ死んでしまう、そんな思い病気にかかっている、ということが信じられませんでした。 夜にランで遊んでいるシュンタを見ていて、号泣したこともありました。月に向かって吠えているオオカミみたいだ と 自分で思いながら・・・泣くことしか出来ぬ無力を恥ながら・・・そしてシュンタにすべてを詫びながら・・・ 11月27日の夜、シュンタの異変に気づきました。顔つきが変わっている、目つきが特に変 不気味な顔に見えました。愛らしいシュンタの顔から苦しむ病人の顔へ。食欲も一気に減り、半食になりました。 29日、病院へ。 レントゲンの結果、11月4日に撮った時の 3倍に大きくなった真っ白な異物が写っていました。 「この白さは、前回もご説明しましたが、骨よりも硬くなった色です。石化したものということです。3週間でこんなに大きくなりましたねえ。」 血管を拡張する薬が増やされました。 シュンタは、それまではメロンパンを小さくカットしたものに、錠剤を埋め込んで、14,5個、食事の上にトッピングのようにおいたものを、すべて食べていました。 メロンパンはシュンタの好物のひとつでしたから・・・ その日から、シュンタは薬いりの食材を一切 口にしなくなりました。 私は元気なとき シュンタは薬が入っているのを承知で食べてくれていたのだと分かりました。 「もう欲しくないんだね。いらないんだね。」 嫌がるものを食べさせるなんてこと 私にはできませんでした。 それから1ヶ月弱、徐々に、そして確実にシュンタは弱っていきました。 12月に入ってからはドライフードを食べなくなり、缶詰やスープになり、12月10日過ぎるとその両も減りました。20日からはスープのみ、それも私の手のひらからしか飲まなくなりました。 大体、一日中伏せっていましたが、朝晩の食事の場所や、仕方、「お座り、待て」に至るまで、ランまでの短い散歩、ランの決まった場所での排泄、私のベッドでの眠り・・・すべて これまでの5年8ヶ月の暮らしと変化なく過ごしました。 もちろん、走らなくなり、歩幅が狭くなり、歩行がゆっくりになり、最後はよろついていましたが、 「さあ、シュンタ、ランに行くよ」 と言うと、立ち上がり、階段も自力で上り下りしました。今から思うと必死の力を振り絞っての行動だったのが分かります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
May 17, 2007 03:54:06 PM
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