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カテゴリ:グレートピレニーズと暮らす
12月23日(土)朝から良いお天気でした。久しぶりの連休でしたので、外仕事をしていました。ママはもっぱら裏庭で花壇の整理、クヌギの落ち葉掃き、等、たくさんの仕事がありました。
その朝シュンタは、朝のランからハウスへ帰ると言いませんでした。ランのデッキの床に伏せって、首をあげ 気持ちよさそうに陽を浴びていました。 「パパ、ママ二人とも外にいるからシュンタも外にいたいんだね。」 と言いながら、1時間毎に、「どう?もうオウチに帰る?!」と迎えに行っても帰ろうとしません。そのまま、午後になり、2時半。大きなパパの声。 「オーイ、シュンタが帰るって言ってるゾー」 「ハーイ、連れてきてくださ~い。」 「オーイ、ウチには帰らんと言っとるゾー」 「そんなこと・・・その身体でどこへ出かけるというのよ・・・」 二人のところに行きましたら、確かにハウスと逆方向の車庫の方を向いて立っています。 「はい、シュンタ、オウチに帰ろうね。ブイチャン待ってるよ。」 と首輪を持つと、嫌だと言うのです。 「えっ、どこへ行きたいの?」 「苦しいから病院へ連れて行けってことかな?」 「まさか、病院じゃないよ。きっとトリマーさんにお別れを言いにいきたいんだよ。」 ドアを開けると、自分でいつも座る座席の足元のフロアに乗り込み、伏せをし、私たちを見上げました。ブイとシュンタがシャンプーに出かけたり、たまにお泊まりをするペットサロンのトリマーさんたちは、シュンタが心を許した数少ない人たちです。オーナーさんはじめ、スタッフのお姉さんたちにとても可愛がっていただいていました。車で5分ほでの距離。 到着後、オーナーさんに、「シュンタがお顔を見たいって言っています。見てやってください。」とお願いし、車まで来ていただきました。オーナーさんから、口のまわり、眼の周りを拭いてもらい、鼻水を拭いてもらい、 「シュンちゃん、まだキレイだからね。次のシャンプーでまた会おうね。」 と、声をかけてもらいました。シュンタは、首を持ち上げて、終始、オーナーさんの眼を見ているようでした。 帰り道、「ソフトクリームならやわらかいから、たべれるかもしれない」というパパの提案で、コンビニに寄りました。 シュンタには初めてのお店でしたので、首を伸ばし、めずらしそうにキョロキョロ眺め、パパを待っていました。 ウチに帰り着いたのは、出かけてから、20分後。 「さあ、オウチだよ。お部屋でブイチャン達とソフトを食べようね。」 声をかけても立ち上がろうとしません。車から降りようとしません。パパが車から降ろして立たせましたが、ヨロヨロしています。 「よし、ダッコしていってやるぞ」 前足と後ろ脚の間に両手をかけ、胸の位置まで抱き上げてハウス入り口のある裏にはまで運びました。シュンタたちのハウス入り口の前、芝生の上におろしましたが、シュンタは立つことができませんでした。スローモーションのように芝生に倒れていくシュンタを抱きとめ、芝の上に寝かせました。呼吸が止まっています。瞳が上を向いていて、光がありません。 「アーッ」パパが悲鳴をあげました。「抱いたから、胸を圧迫してしまったんだあ~」 二人とも、涙がボロボロこぼれていました。シュンタ~!シュンタ~!シュンタ~! 「違うよ、パパに抱かれて死にたかったんだよ~シュンタはうれしかったんだよ~」 私も泣き叫んでいました。身体をなで、胸に手をあて、ミミをあて、鼓動をさぐりました。打ってはとまり、また打ち、と数回繰り返し、呼吸も鼓動も止まりました。 午後3時。冬の陽が暖かく注ぐ、ビクトリアとよく遊んだ大好きな芝の上で、シュンタは天使になりました。 車に乗りたいと自力で車まで歩き、自力で後部フロアに乗ってから25分後、シュンタはパパに抱かれ呼吸を止め、私に抱かれ鼓動を止めました。 なんて子なんだろうと思いました。忙しい、忙しいといつも言っている私たちに合わせるように、休日にすべてが終えられるように逝ってしまうなんて・・・もっと、ワガママ言ってほしかった、もっとしてあげられることがなかったのか・・・ その夜は、キレイに拭いたシュンタをいつものように私のベッドに寝かせ、エムも一緒に3人で眠りました。いつもと変わっていたことは、だんだんシュンタが冷たくなり、硬くなっていくことだけ。おやすみなさいの鼻チュッ!は私からだけでした。 親である私たちは、どれほど涙を流したことか!! 命あるもの、必ず死がある。 こんなこと分かっていますが、死がなんであり、命がなんであるのか・・・誰にもなにも話せませんでした。なにか口にしようものなら言葉と一緒に涙がふき出てくる・・・ 暮れも正月もなく過ごしました。 ただ、5年8ヶ月、一日も離れることなく一緒にいたビクトリアの落ち込みが心配でしたので、残った3頭と変わらぬ暮らしをしていかなければならない、という強い思いがあり、どうにか日を過ごしていくことが出来たのだと思います。 ずいぶん長くなってしまいましたが、今日このように、まとめてシュンタが天使になったことを、お話することができましたこと、感謝しています。 まだまだ、シュンタへの思いは変わらずあり、3頭が遊んでいる、食事をしている、パパと一緒にお風呂に入っている・・・そんなとき、なぜ、ここに、シュンタがいないのだろう、と思ったりしています。 あの夜中に鼻先へ、チュッをしてくれたオズオズシュンタの愛を私は決して忘れません。 「ママ、大丈夫だよ、ママ達とボク、ちゃんとにコミュニケーションとれていたよ。」 シュンタは弱りだしてから、このことだけを伝えたくて、必死で歩いてくれ、一度の粗相もなく、ワガママも言わず、最後まで、本当に、死の直前まで意識的にいつもと同じように暮らすということをがんばってくれたのだと思っています。シュンタの心意気を気高く感じてしまう私は、ただ、センチメンタルになっているだけかもしれません。 私は生きものには、心というものが確実にあるのだと思います。 そしてその心に触れることのできる歓びに勝る歓びはない。 こんなことを、あらためて シュンタから教えてもらいました。 5年と8ヶ月、短い共生でしたが、シュンタに出会えて本当に良かった!幸せでした。 人間の仏式の49日のあと、庭の貝塚イブキの下にシュンタのお墓を作りました。毎朝、毎晩お線香をあげ、お参りしています。 合掌 今朝のお参り後の写真です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
May 18, 2007 05:43:51 PM
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