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カテゴリ:老いについて考えるコト
お盆に実家に帰りました。お墓参りがメインの目的です。 日本中のお墓で、お線香が灯ったのですから、お盆にお墓参りなど当たり前のことですが・・ 父が14年前に亡くなってからのお墓参りは、ほとんど、私が一人でお参りをしています。 母が一人暮らしを始めてから、先祖代々の家も仏壇も墓も母がまもっているのですが、 お盆は、なぜか墓参りをしなくなりました。 「私は毎月、2回はお参りしているから、お盆はいかない」 というのが、理由でした。 「あ、そう」 ってことで、私が一人でするようになり、今年が14回め。 宗派により、または 地方により、お盆の風習は異なりますが、私の実家は、お盆の間の、3日間、夜に提灯を下げてお墓に出かけます。町中の人々が、大抵は、家族連れで、それぞれのお墓に出かけるのです。 私は、7歳の時に東京より今の実家のある町に引っ越し、小学校、中学校、高校と、12年間過ごしました。子どものころは、お墓参りを欠かさずしていたわけですが、3日間、提灯を持って、お墓に出かけることになんの不思議も感じていませんでした。 子どもには、お盆とお祭りの違いがどの程度あったか・・・ 一日め。 お迎え。家の庭で、迎え火を焚き、提灯に灯を付けずにでかけ、お墓参りをしてから、提灯に灯をともし、ご先祖様を、家にお連れする・・・できるだけ、早めの夕方にお迎えに行くのだよ、と祖母から教えられていました。 二日め。 中日。この日は家にご先祖さまは居ることになっているので、お墓に出かける時から、提灯の灯はともしていき、お墓でも、灯はそのまま、帰り道も灯を付けたまま。 往復、提灯のろうそくは灯したまま。 三日め。 お見送り。できるだけ、遅くに、庭先で 送り火を焚き、提灯の灯を付けて、お墓に出かけ、お参りののち、お墓でろうそくの灯を消す。 帰路は、灯りのついていない提灯を下げて帰る。 ですから、小さな田舎町は、夕方から夜の始まりまで、どこに行っても、提灯をぶらさげた人々でいっぱいになっていました。 小さいころ、私は日本中の人々が同じコトをしているのだろうと思っていたと思います。 宗派による違いなど、もとより 子どもにわかろうはずもなく、お経は自分たちの寺であがるお経だけだと思っていたはずです。 私が祖母に合わせて、唱えていたのは、「南無妙法蓮華経」でした。日蓮上人が誕生し、修行をした地方ですので、町の大半が日蓮宗でした。(同じお経を唱える、いくつかの新興宗教がありますが・・・) 今、私は、昨年末に天使になったシュンタのお墓では、「南無阿弥陀仏」を唱えています。 結婚した相手の家が 浄土真宗 で、「南無阿弥陀仏」だからです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Aug 21, 2007 08:23:58 PM
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