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カテゴリ:老いについて考えるコト
敬老の日の2日目になりますが、9月15日に老母に会いに出かけました。
90歳と7ヶ月。主治医からは、どこも悪くありません。100歳まで、大丈夫ですよ・・・ その主治医も、87歳とか・・・あと、10年ですかあ・・・ ありがとうございます・・・と頭を下げますが、その都度、自分の老いを考えます。 母が長生きすることは、喜ばしいことなのでしょうが、母の老後独り暮らしのキイパーソンである私は、5年ほど前にキイパーソンと名付けられた時に、加齢がストップするわけもなく、同じように歳が加わり、現在60歳。 これから10年後には、行政的にも、社会的にも真性老人になります。そういう意味での老いを考えてしまいます。 こういう話はキリがあってない。人の寿命は看破はできない。 ただ、望むことはできるので、 「どうぞ、母を彼岸に見送るまで、私が元気でいられますように!!」 ということになってしまいます。 そんな娘の心の中なぞ、全く考えもしないように、屈託無く元気でした。 ただ、ぶっつづけで、話しをしていると、3時間が限界のようで、毎回 「はい、わかりました。よく来てくれました。思ってもみなかったので、とても嬉しかったですよ。」 と、言い出します。 もうそろそろ帰れということなのだな、と帰り支度を始めます。 玄関まで送りに出てきて、お天気が良いと外まで。 頭を小刻みに振りながら、 「あああ、なんと言ったらいいのかねえ、来てくれるのは、嬉しいのに、この別れる時の気持ちは、たまらないねえ。」 「また、そんなことを・・・だったら、すぐに私の所にいらっしゃいって言っているでしょ。」 「そうは言ってもねえ、こちら流のお葬式をして、皆さんと、お別れしなくちゃねえ」 みなさんて・・・あなたが、仲良くしてきた方たちは、もう何人も存命していないじゃないですか・・・とこんなことは、口に出しては言いません。 が、こういうことが、わからなくなる、考えが及ばなくなる、認識できなくなる・・・これが認知症と名付けられた症状なのだろうと、解ってきました。 全体と個の関係が測れなくなる、思考のバランス感覚がなくなる・・・人間が人間であることの証である脳の動き、その脳がどのように破壊されていくのか・・・母は、私に見せてくれているのでしょうか。そう思うことで、敬老なんだわ、とひとりごちての往復でした。 20070918umi posted by (C)vmama 上の写真は、昨年の4月から母がお世話になっている自立型老人ホームの庭から、眼下の太平洋を写したものです。建物は国道から山に向かって少し登った丘の上に建っています。 食堂からの眺めは水平線が丸く眺望でき、夏涼しく、冬暖かなとても良い立地です。 この海岸では、サーフィン世界チャンピオン大会も開催されます。とても良いポイントがあるとかで、海には、真冬でも人が入っています。この日は波が全くなく、人の姿もまばらでしたが・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Sep 28, 2007 04:49:43 PM
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