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テーマ:心のままに独り言(8823)
カテゴリ:つぶやきたいの
いのちは儚い。
はらりと散って、ふわりと舞って、うたかたのごとく消えゆく。 「命は重い」ともうしますが そのイメージは、どこまでも軽やかで儚げなものでございます。 私は今朝、親友の絵の前に立ち。 叔母との別れを反芻しておりました。 あのしっかりと閉じられた瞼がつくる深い深い眉間の皺。 苦し紛れの「助けてください」という譫言。 荒い息づかい。 干からびた唇から覗く錆茶色の血に汚れた小さな歯。 私の手には… その壮絶な別れの現場に、場違いなほどの穏やかで柔らかな曙色が満ちておりました。 生命力溢れるまだ綻びかけのチューリップ。 「おばちゃん。チューリップだよ。チューリップきたよ。 おばちゃん。チューリップきれいだよ。」 阿呆のごとくに、そんな言葉が口をつき 叔母の前に一束のチューリップをぐぐっとつきだした私。 叔母はその数時間後にこの世を去りました。 まだ59歳。 枕もとには、明け方の空みたいに優しいピンクのチューリップ。 彼女はそれを見ることなく逝ってしまったのでした。 蕾のままのチューリップ。 壮絶ながら、あっけない終わりです。 死はいつもそう。 大騒ぎするわりにはあっけなく幕をとじるものです。 悲しい。 寂しい。 苦しい。 悔しい。 いろいろな感情がいっきに押し寄せても 命が消える瞬間というのは頭のどこがが冷静で コトリと密やかな音をたてて心の中になにかが落ち着きます。 人は死ぬ。 コトリという音とともに、感情をさておき本能がそれを理解するというのか。 無条件に「死んだ」ことを迎え入れる瞬間。 しかしそれでも無駄な知能を携えたヒトという生き物は弱く。 いつまでもあの壮絶な死にざまを反芻しては、後悔し、悲しみをぶりかえすものでございます。 特に、思いがけない死などというものは。 「ああしてやればよかったか。」 「あの医者にかからねば・・・」 「なぜあのときに・・・」 叔母の死は、わたし達家族全員にそれなりの傷となっていたように思います。 私もまた、未だに目を閉じれば叔母のあの苦しげな息づかいが聞こえてまいります。 もっと楽に逝かせてやることはならなかったのか。 叔母が死に際しているとき。 親友の日本画家・・・諸星美喜さんには、本当に力になってもらいました。 日春展の作品制作のさなか・・・彼女は私の話を聞くために時間を割いてくれたのでした。 そして・・・出来上がった作品。 【ひとひら】 「あなたのことを考えて描いたよ。」そう言ってくれた作品が・・・ やっと福岡に巡回してまいりました。 今朝、その絵の前に立ったとき。 改めて、叔母を思いました。 そして あたたかでさわやかなものに包まれて すべての想いや蟠りが、軽やかに浄化されるような。 そんな気持ちになれました。 なんともすぅっと肩から力が抜けていくような。 そんな優しい心持ち。 命は儚い。 はらりと散って、ふわりと舞って、うたかたのごとく消えゆく。 しかしなんとも美しい。 信仰もなく。 前世も、生まれ変わりも信じませぬ。 死んだら終わり、それだけだけれど。 生まれて消えていくシンプルで当たり前のそのサイクルが、とても美しく 慈しみ深いものであることを改めて感じさせてもらいました。 私は今朝、叔母とともにそこに居て。 死んだ叔母とともにその絵を見つめておりました。 その相変わらず優しげな画面の中。 明け方の東の空のピンク色。 暁の刻を過ぎたあの空の色。 あの日のチューリップが・・・花開き。 そして・・・その花弁がはらりと舞い落ち。 そしてふわりと舞い上がり。 かすかな泡沫の音とともに静かに視界からその姿を消しさるのを、私は見たのでした。 アリガトウサヨウナラ。 諸星さん。 改めて。 ありがとうございました。 ************************ 日春展 福岡大丸8Fにて6月10日(水)~15日(月) まで 諸星美喜さんは【ひとひら】で日春賞を受賞されました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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