悲嘆にくれても、
「足を切断しなければ、ならない」と診断を受け「死んだ方がましだ」と悲嘆にくれる人がいる。「いっそ死ねたらいいのに、死にたい」と念仏のように唱える。見守るしかできない。 80歳も過ぎて「まだこれ以上・・・、死ねたらな・・・」毎日毎日死にたいと。 どんなに悲嘆にくれても事態は変わらない。 今の私にはその人を見ていて「ああ、私と同じだ、幾度となく念仏を唱えて、唱えて、いつかは『白馬の王子様』が迎えに来てくれる、」と思うことで自分を誤魔化していた。 そうしなければ生きていけないガラスの心。 現実と向き合うことは、何年生きてもできるものではない。 いつも思う「弱い人間に生まれさせて、強く生きろという神を呪う。」