腹にどす黒いかたまり
いつもの、松本清張「黒い福音」を読んでいる。前半は、聖職者であるべき神父が密入国をし、教会自体も黒い組織とのつながりが経ち切れずずるずるとその支配下にあった。やがて愛人を密輸の手先にするよう強要されついに、殺害してしまう。 読んでいて腹にどす黒いものがたまっていくのがわかる。 云いようのない不安。まさにこれだ 自分の不正というか弱さを握られて、そこからずるずると相手の言いなりになってしまうような。でも実際そういうことはない。 でもあの頃、20歳のころの私は、上司に「何かあったら俺に言ってくれ」と私を庇うような言葉をかけられていたが、実際あの頃上司自身も苦しんでる姿を見るととても言えなかった。だから自分の判断で行動してしまっていた。そこに「私の弱さ」がある。それが今回も出るのではないかという不安がある。 「黒い福音」の前半は、次第に黒い闇組織に引きずり込まれてしまう、神父が描かれている。20台の若い男の性を押し殺せない、普通の人。神父であり続けようとし、男としての性の捌け口が見つからない苦しさ。少しぐらいの逸脱は、誰もが見逃してくれるが、自分だけは見逃してはくれない。 中国のことわざに「天知、地知、彼知、我知」というのがある。お互いここだけの事にしましょうという内密の約束を打ち明けられた彼の人は前記の言葉を言ってそれを拒んだ。 大事なのは、人にばれないことではない。大事なのは、自分が知っているということだ。嘘をつく。誰にもばれない。よかった。ではない。本当は既にばれているのだ。自分に。 自分の心に嘘をついた、ごまかした時そこに傷が残る。その傷が「トラウマ」「黒い福音」の後半は刑事が次第に犯人を追い詰めていく。その時の心は晴々としている。悪を倒すとか正義だとかではなく、疾しさがない。 この疾しさがない。なんともすがすがしい生き方だ。