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テーマ:22世紀の医療(12)
カテゴリ:22世紀の医療
いのちの法廷 伊豆百合子著日本評論社発行 より抜粋
医者たるものが、なぜ病院と担当医を訴えなければならないというところに追い込まれたのだろうか。原告の久野病院長、恒子副院長(妻)は福岡県で個人病院を営んでいる。夫妻の3女は'92年視野狭窄をきっかけに脳腫瘍を発見され脳外科手術を受けたが、術後脳梗塞を生じ、一ヵ月後に亡くなられた。17歳。近藤誠 巻頭言 本文より抜粋 しかし医師側に求められていたのはそんなレッテル貼りではなく、脳梗塞を起こした不幸を、お互いの不幸として共に悲しみ、そして懸命に乗り越えていこうという人間的な誠実さではなかったか。実際、患者や家族の求めるものはそれしかない。・・・・・・・ 手術の失敗による脳梗塞、脳浮腫、気管切開の遅れ、挿管チューブの取替えミス、MRSA感染、そして組織の病理検査がなされていない、カルテ改ざん、(カルテに穴があいている)、 医療にミスはある。しかし、医師たちが誠実であったなら、必ずしも裁判にはならない。患者に対して不誠実さが見えた時、患者は怒る。嘘をつかれた時、隠された時に、患者は裁判を起こすのである。(ダニエル・マッキール医師 ワシントン大学病理学) 臨床の現場にいると「この医者へただなーとか、これは失敗かな?」という場面に遭遇する。治療方針がぼやけていることもある、患者から、家族から、クレームがある。そういう場合ナースは医師(管理側)と家族の間にたって右往左往してしまう。しかしうまく行かなかった不幸を共に悲しみ、お互いに建設的に話し合える真摯な態度を持てるように、努力したいと思う。 これは自分に対する戒め。 最近特に、モチベーションダウンを感じて怖い。色々原因はあるがそれは個人の言い訳なのだと自分に言いきかせようとしている。こういう本を読むと少しは維持できるのではないだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 31, 2006 04:12:29 PM
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