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テレビ番組「泣きながら生きていく」を見ました。文化大革命で「下放政策」のため、学生たちは農村へ送られそこで毎日10時間の労働を10年強いられた。その後復帰したが「学ぶ」ことができなかった学生たちは都会に戻っても働く場所がなく、生きていくのが困難な状況であった。
主人公はそこで一枚の広告を目にする。「日本語学校・・・日本で学びませんか」このまま中国で生きていくには将来がない、と悲嘆していた主人公は親戚などに借金して日本へ行く事を決意。妻・子どもとの別れ。日本の北海道にその学校は設立されていたが、働きながら学べはしなかった。やむなく北海道を離れ東京へでる。 その時点で「不法滞在」となってしまう。3つの仕事を掛け持ちしながら稼いだお金を妻に送る。子どもはやがて高校を卒業し、アメリカで医学生となる。その時日本に来て6年が過ぎていた。一度も妻・子どもと会っていない。子どもはアメリカへ出発するとき、東京経由に乗る。日本でのトランジット24時間を利用し父と再会。 子どもがアメリカの医学生となり妻は、再三アメリカ行きのビザを申請するが却下。12回目にして許可がでた。もちろん東京経由、トランジットを最大限に活用し72時間を夫と共に過ごす。実に10数年ぶりの再会。お互い顔を見合わせて言葉にならない。実は妻には一抹の不安を抱いていた。夫は東京で別の女性と生活しているのではないだろうか?自分は捨てられているのでは・・・ しかし、東京での夫の暮らしをみてそれはなかった。やがてアメリカで医学生の子どもは医師免許を取得し医師となる。夫は自分の役割を終えたことを見届け、中国へ帰る。永い、ながい15年が終わった。 見ていてなんども、なんども涙が流れてしまう。子どもがトランジットで日本に来て、やがて成田から飛び立つとき、成田空港までは行けない。そこまで行くと「身分証明書」を見せなければならず「不法滞在」がばれてしまう。一駅手前で降りなければならない。その別れのとき、お互い顔をみない。電車はドアを閉め走り出す。その一瞬手を振る。あとは泣きながら生きていく。 妻とのそれも同じ。 15年という年月は永い。「目的」がしっかりしているので生きていけた。番組を見ながら「目的かー」とため息をつく。思えば以前の職場でガムシャラに生きていけたのは、目的があったから。 苦しい時、つらい時でも下を見ながらそれでも毎日勤務していたのは、目的があったから。 しかしある日、目的は消えた。 次の目的が見つかるまで、ゆっくりと生きていこう。まだ46歳。これからだ。そうそう、最近気になっていることがある。少し前からいわれている事だけど「病院では『安全第一』が一番大事」といわれている。JR西日本で事故が発生した後、盛んにいわれていたけれど 「安全第一」は本当に大事なことなの? 「安全第一」は誰の安全を守ること? 企業・病院にとって「安全第一」は至上命題なの? もっと大事なことがあるように思うんだけど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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