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カテゴリ:自分らしい生き方
数日前の日記「らせん」「ひと筋の光」・・・の続き 「昔は良かった、」と愚痴のような、懐かしむような響きがありますが、本当にそうでしょうか? 現代(いま)を生きていると、次の瞬間、交通事故に合う、地震で倒れた家に押し潰される、・・・など不幸を心配しますが、昔は既に終わったことなので、あの辛い毎日が「頑張った時代だ」と誇らしげによみがえります。 しかし、その時も今も同じように心配していたのです。 辛く、長いトンネルを歩いているようで光が見えない、 いつこの苦しみから解き放たれるのか? そればかり考え、世界中の不幸を背負った「キリスト」のような心境になっていたのです。 鈴木光司氏はその著書「現代を生きる」で書いています。 『昔は現代(今)の心配(交通事故、地震)がないので、良かった時代と思っています。 昔に戻ることはできない。前を向いて「未来」を信じて生きていくしかないのです。』 しかし、そうは思えない、未来を信じることが出来ない時が確かにあります。 いつ終わるのか、いつまで続くのか?と思い嘆きながら、下を向いて、心がスサミながらも それでも生きて行く。 「神様あなたは『私がつらい時苦しい時、いつもそばにいる』といわれましたね。 でもあなたはいません。私の足跡しか砂浜には残っていません」 「その足跡が私の足跡だよ」 これはある日、夜勤をしていてふっと目に留まった一冊の雑誌からの抜粋です。 なぜかこの言葉が、数年を経て今も心に残っています。 『先輩たち』?読み過ごしてしまう言葉『先輩たち』とはだれの事か、 通常神父が言う『先輩たち』とは、 自分よりも高齢の先輩神父を差すのだが、 ここでいうのは「ホームレス者」のことであった。 なぜ「ホームレス者」が先輩なのか? 読み進むうちにホームレスの中に「神」の存在が見え隠れする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 12, 2007 10:02:39 PM
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