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カテゴリ:自分らしい生き方
13日父の手術
朝から5番目の手術。休みを指定していた。 午前中は長女の中学校卒業式。 終わって昼ごはんを食べて、すぐに病院へ。 14時まだ3番目の方が入室していない。 母「何時ごろになるか聞いてみようか?」 私「病棟の看護師さんでも判っていないだよ。 オペ室の看護師さんだって、判らないと思うよ」 そう昔オペ室管理職をしていたころ、病棟から 「○○さんは何時ごろになりますか?」と問い合わせが結構あった。 でも読めなかった。もう終わる!と医師たちから言われ、その時間を 告げても、なかなか終わらずに病棟師長から「あやふやな時間はいわないで!」 と叱られた。でもね、オペを見ていたらそろそろ終わりそうだし 前投薬もある、ある程度効果を期待して投与するためには、 今の時間から投与しないと・・・そう思って指示をだしたのだけれど オペは、長引くし・・・ストレスの渦中だった。 16時、17時時間だけが過ぎていく。 父「手術室に入ったら、おばあちゃん(母)から電話させるから 帰れ」と。 私と妻はそうした。 19時40分に母から電話があった。 21時過ぎに病院へ 22時過ぎに病室に帰ってきた。 エレベーターが開くとナースの声 「○○さん(父)、動かないで!!危ないよ」 主治医「動いたらいかんよ。危ない、じっとして」 ?? 全身麻酔から醒めたところでの帰室。 「どなたか一晩泊まってください。」とナース 母「こんなに動いて・・・看護婦さん、しばっといてくださいよ」 ナース「そんなことできません!」 私「あっ。そうか、泊まります」 明日は早出だけれど、仕方ない。 父の両腕をしっかりと握って、ベッドに抑え付ける。 「おしっこ、おしっこ・・・」 「管がはいっとるから、していいよ」「力を抜いて・・」 しばらくは、抑え付ける。そうしていると自然と力を抜いてきて おとなしくなった。 主治医から廊下でオペ内容の説明を受ける。 ヒ骨(下腿の骨の一本、ケイ骨とヒ骨)のこの部分が折れていた ので、プレートとねじで固定しました。 術前の説明どおりの手術を実施しました。経過はおそらく入院前に 説明したとおりです。 病室で父を抑えながら、(順調だった)と一安心。 母と妻は姉夫婦が送ってくれた。 そのまま病室で父とすごす。ときどき看護師さんがバイタル測定に来られる。 23時、0時、2時・・うとうとしながらも時々父をみると 起き上がろうとする 「うんこ・・うんこ、トイレに行く」 ナースコールを押して便器を持ってきてもらう。 でもでない。 そのまま朝までぐっすりと眠った、父 5時過ぎに看護師さんに一言断って出る。 6時過ぎに母が病室へ 私は一旦帰宅、朝ごはんを食べて出勤 勤め先の病棟で、早帰りを希望ししぶしぶOK 午後13時30分帰宅し病院へ 父は、普段と変わりなく「おっ、早いな」 「・・・・・」 朝、血糖が低かったぐらいで、そのほかは順調、点滴もなし。 食事は10割摂取。 一旦帰宅し、寝る。 夕方母を迎えに、病院へ。 78歳、高齢者の入院はやはりなにがあるかわからない。 入院後数日の勤務は、急に変更ができるような勤務にしていただいていた 師長さんに感謝!! 病棟ナースにも感謝!! ホワイトディーのチョコは13日に病院近くで購入済。 今日渡した。 ほっとした今。日記も書けた。妻の心使いも感謝。彼女はここ数日 風邪で咳がひどかったにも関わらず、いろいろ心を砕いてくれた。 そして今、お気に入りの日記さんを読み、医療について 心を砕いておられる方々がいることがうれしい。 ブログランキングに登録しました。 あなたのワンクリックが欲しい ブログランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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