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父の入院で母を病院まで送迎する機会が増えた。従兄弟の面会、雑談のなかで
我が家系の恐ろしい【因果応報】がみえた。 父の兄弟は8人、内現在生きているのは4人。長男、次男、次女、三女が亡き人。 父は4男で、若い頃に3男と共に地元を出て、会社勤め。 本家は代々村の長を(自治会長のような存在)つとめていた。 俗に言う「名士」だというのが、昔母から聞いた父の家系。 だが昨日の面会で、がらりと違っていた。 母は本当の話を私にはしていなかった。話す機会がなかったのだろう。 本家は「屋号」をもつ、名士であった。 父の父つまり、私からいうと「おじいちゃん」(生まれる前に死亡)の先代から 屋号をもつ名士。 しかし定職をもたず村の相談役、田んぼ、畑、山を少しづつ売りながら 生計をたてていた。 「おじいちゃん」の長男もまた同じように、定職につかず村の相談役 として生きていた。時代は昭和の半ばから終わりごろ。 長男の子どもたちが進学したくても出来ないぐらいの、生活であった。 しかし、田舎なので食べることはできた。 「おじいちゃん」の妻「おばあちゃん」と長男の妻の確執は 周りの誰もが目をおおうようなものだった。 長男の妻は、おばあちゃんに対して、口きたなくののしることが 多く、おばあちゃんは常に嫁に対して遠慮していた。 そのおばあちゃんが死亡。 長男の妻は、やがて自分の子どもも結婚し孫が生まれる。 長男の妻は昔、おばあちゃんにしていた通りのことを この嫁から仕打ちのごとくされ続けた。そして死亡。 そして今、この嫁はその仕打ちを、同じように受けている。 広い家に独りぽつんと取り残され、親戚の誰もが近寄ろうとは しない。 因果応報とはこのことだ、と。 お盆の墓参りにも、お墓には行くが、実家には行かない。 面会に来た従兄弟は、顔を曇らせる。 ブログランキングに登録しました。 あなたのワンクリックが欲しい ブログランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 19, 2007 12:33:56 PM
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