|
テーマ:介護・看護・喪失(5321)
カテゴリ:カテゴリ未分類
報恩講に行ってきました
浄土真宗 親鸞聖人が流罪にされて800年の記念年です 罪人の記念ってどうよ と思うのですがこれも式典 お経のあと どこかの偉いお坊さんが約90分途中休憩をいれながら説法をされました あぐらをかいたり、正座をしたり とにかく辛かった いまはもうひたすら 眠い 心に残った言葉 1、本尊がない 多くの方は、仏壇の前で手を合わせる、静かに過ごすのが礼儀としています そこには本尊がある 本尊は人を越えた存在 だから喧嘩をしていてもいがみあっていても本尊の前では静かにする そうすることで実は心を穏やかにしている 穏やかになると今の喧嘩、いがみあい、を冷静に見つめることができる 少しほんの少しそういう時間を持つことが大事 通常仏壇が本尊ですが、仏壇がない家が増えている 2、自灯明 御釈迦様が亡くなるとき、弟子が「これからどうやって私たちは生きていけばいいのでしょうか」と問うた 御釈迦様は「自灯明」と言われた 自らが明かりを発信する存在になれ 人からこう言われた、ああも言われた、だからこうするのではなく、自ら考えられる人になれ たとえば選挙の時、この人に一票入れてくださいと号令を発することがある それははたして正しいのだろうか 偉いといわれている人の言われるがまま行動することは人としてその生き方はどうなんだろうか サリン事件とはそういうことを問うているのではないでしょうか 3、もうひとつ 仲間を作るな これはまた次の機会に書きます 疲れました お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 15, 2007 08:37:16 PM
コメント(0) | コメントを書く |