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カテゴリ:成果主義
曽野綾子著 社長の顔が見たい を読んでいる。
抜粋 「公正な評価」という言葉も安心して読めない。公正な評価ということは、ほとんど宿命的に不可能なものである。だからあらゆる人たちがあらゆる趣味をもって、違う様式の生活を楽しむ。 以前管理職をしていた時「公正な評価」をするよう再三伝達があった。それに悩んでいた。今流行りの「人事考課」であり、「機能評価」である。 どうしても「偏り」というか、「一方的な」「「嫌いな人は、いい面も悪く」みえてしまう。どうやって、公正にするのか、? 本当に毎晩悩んでいた。眠れない夜も・・・できるわけないことを、やらされていたのだから。 多くの企業で、病院で、流行っているが、人間性を壊してまでしなければならないことなのか?と今となっては断言できる。土台出来ないことをやろうとすることに無理がある。無理をすれば道理がひっこむ。 時間はこうやって解決してくれる。 「中高年のよさは、大体あと何年生きればいい、という推測が可能になったことで、もちろんその間に大病をするとか、地震に遭うとか、自立が不可能になるとか、予想外の運命の出現は大いにあり得ることなのだが、それでもなお、推測の範囲はずいぶん縮められて来たのである。だからもっと年寄りはお金遣いが自由で巧者にならなければならないと思うのである。 一番悲しいのは、結構な資産があるのにタクシー代一つ払うのを惜しんで、忙しい知人や親せきの若者に車で送り迎えさせて嫌がられているような勘の悪い年寄りを見ることである。 ・・・・しかし、「適当」ということは一種の至芸である。なかなか思い通りにならないのだが、それも人生と思うこともできるようになった。」 生き方、死に方、いつまでも生きているわけにはいかない、という事実を定年を迎えた方々は、少しは想像してほしい。病気になった・・・すぐに医者へ行く・・・その前に、自分はどうすしたいのか。せっかく悪性腫瘍であの世へ行ける手はずを神さまか仏さまが用意してくださっているのに、無下に断って治療という道を選択したら、・・・ 医者は、悪性腫瘍を減少させることが主な目的であり「あなたの人生」なんか、医者とは何ら関係ないんですよ。・・・わかる!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 17, 2008 02:52:56 PM
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