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ハイチそこは軍事政権であり洪水の地であり、地震の地でありコレラなど感染症発症の地。
シスター須藤が関わっている病院も例外なく地震で倒壊した。その復興計画には、大きな矛盾が生じている。そこを改善しようと保健省へ出向くが担当者には会えない。影響力のある日本大使館で話をするが、積極的に介入すると日本が資金援助をしなければならなくなり、その予算は組めない。ある程度曖昧な内容でとどめるしかない。そして感染症の権威者である当地の所長に介入を依頼するが、彼もそこまでは出来ない。 東奔西走とはまさにこのことだ。大きな病院を立ててしまうと維持運営は出来ない。その前に何とか計画を縮小させなければならない。総選挙は、頓挫している。だれが責任者になるのかわからない。病院建設はいつになるのか。 その間も入院患者はいる。治療・ケアーにあたり職員も被災者だからそのこともある。何をどうすれば。 日本ならば、結核はほとんど忘れられた病気であり、すでに克服されている。でも当地はそこに向かって前進どころか後退している。 まるであの頃の私がそこにいた。このままでは、患者に対して責任が取れない。なんとか方向を変えなければならない、しかし変わらないジレンマ。 今はどうだろう。ジレンマなんてない。日々決められたことを決められた通りに行うだけ。なんでこうなんだろう?いくら考えても解らない。あの頃は何かにせきたてられていた。早く、早く。結果何を求めていたのか。自分の気持ちの問題? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 24, 2011 08:39:40 AM
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