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BS8 土曜日昼12時 関口宏のもう一度近現代史を見続けています。
それと今年の大河ドラマ晴天をつけを見ています。 明日は80年前大東亜戦争を始めた日になります。 なぜ開戦に至ったのか? 私なりに想像することは、明治維新に原因があります。 江戸幕府の問題点は「身分制度」でした。大名の子は大名に、農民の子は農民になる。 どんなに優れていても身分を超えることはほぼ許されません。不満は蓄積されていきます。 そこへ黒船が開港を迫ります。彼らの大砲は日本の比ではありません。 しかも何か月もの航海ができる技術と武力を持っています。話を聞くと蒸気機関をもって技術も優れていることを知ります。 日本は遅れていると焦ります。徳川の時代を終わらせて新しい時代を切り開かなければならないと焦ります。 同時に欧米列強が東南アジアで行っている植民地政策に日本も組み込まれてしまうという危機感。 武力を持たなければ、日本は植民地支配されるぞという危機感でした。 そこで明治維新がなされて「富国強兵」という達成目標のない御旗が掲げられます。 闇雲に日本は遅れている、野蛮な国だと自らを責めます。一等国にならねばならないとも言います。 しかし一等国として目標にしたのは、イギリス、オランダ、アメリカなどでした。 彼らは何をしていたのでしょうか? 技術は素晴らしいものがありました。製造、医療、社会制度など見習うものがありましたが、彼らがアフリカ、東南アジアにもたらしたものは、搾取と人殺しでした。 他国の一部を自国の領土にして搾取する。逆らえば殺す。 同じことを日本人は同じ東南アジアの国々に行いました。武力を持てばそれを誇示したくなるのは、当然のことです。我が国は、わが軍は強いぞということを見せつけることが軍人の使命だったのです。 しかしここで考えなければならないことがあります。当時戦争は多くの国で行われていました。それは致し方ないかもしれません。しかし始めた戦争の終わり方、終わらせ方を考えずに開戦してはしけなかったのです。 かの有名な「山本五十六氏」は、当時の総理に「半年か一年は暴れて見せましょう。しかしそれまでに」 なにが言いたかったのか。近衛氏はわかっていました。が実行できませんでした。 日本は遅れている三等国だったのでしょうか? 技術的にはそうかもしれません。しかし当時の日本の指導者たちは日本の独特の文化を、全く理解はしていなかった。歌舞伎、じょるり、落語、など日本の素晴らしい精神文化を・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 7, 2021 08:00:50 PM
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