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カテゴリ:自分らしい生き方
収容所(ラーゲリー)から来た遺書 辺見じゅん 著
第二次世界大戦後満州にいた日本軍は一方的に不可侵条約を破棄して進行したソ連軍にほとんど抵抗もできず捕虜となりソ連に連行された。過酷な労働で次々と亡くなっていく中、希望を捨てるなと一人の日本人がいた。 ラーゲリ〈収容所から来た遺書〉 [ 辺見 じゅん ] 収容所は独立採算制である。労働者として日本人を働かせその対価を監視するソ連兵が受け取る。 1945年捕虜となり収容所へ収監されいつ帰還できるかだれも知らされない。実は帰還の予定はなかった。次々と栄養失調で倒れても倒れても働かされていく。 1951年(昭和26年)ソ連との国交はなく捕虜を返還せよと国際舞台で初めて・・・ 1953年国連総会にてドイツ、イタリア、日本は30万人の捕虜を帰還させろと・・・ (実際は60万人以上といわれている) 1954年鳩山内閣において日ソ交渉が始まり1956年(昭和31年)12月・・・・ いつ帰還できるか希望の灯は消えかかりそうになっていた。しかし山本氏はそんな日本人に希望の灯を絶やさなかった。 ラーゲリ〈収容所から来た遺書〉 [ 辺見 じゅん ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 6, 2023 07:37:31 PM
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