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未知との遭遇

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2024年01月08日
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カテゴリ:家族のこと
ご無沙汰してました。
なんと一年ぶりの更新になってしまい、
もう忘れられてしまったかも?ですが、
ほんとにご無沙汰してしまってごめんなさい。

実は、先月22日に父が亡くなりまして・・
25日にお通夜、26日に告別式を済ませました。

その後、年末年始でバタバタと過ぎて、
なんだか落ち着いたような、落ち着かないような毎日です。

このブログでも何度も書いてきましたが、父は腎臓病でした。
一年前に透析を勧められましたが、様々な事情で透析はやらずに自宅で過ごすことに決めました。
介護認定を受けて訪問看護をお願いしたので、
毎週金曜日に看護師さんが来てくださっていました。
この看護師さんに支えられて、私も介護(看護)をなんとか頑張れた感じです。

3月頃からは認知症が進んできて、
いろいろわけのわからないことを言ったり、
以前勤めていたお茶工場へ「仕事に行ってくる」と言って自転車で行ってしまったり、
他にもいろいろあって、けっこう振り回されました(^_^;)

昨夏の猛暑には耐えられないかも?と心配する中、
なんとか頑張ってくれましたが、
腎臓の機能は少しずつ悪化してきていて、
夏を過ぎた頃から身体のだるさ、しんどさを訴えるようになり、
食欲も落ちてきて、足に浮腫みが出始めてきました。

さすがに自転車で出掛けることはなくなったので、
“仕事”へも行かなくなりましたが、
それでもまだ家の周りを散歩したり、
食欲は落ちても晩酌はやめない姿に、まだ元気だなという印象でした。

10月になると、浮腫みがひどくなってきて、体重がどんどん増えていきました。
しんどさや食欲不振も進んでいたので、
10月の診察時に、看護師さんと個別にお話した時、
1月2日が88歳の誕生日なので、
みんなで米寿のお祝いをしようって言ってるんだけど、その頃まで大丈夫かしら?と聞いたら、
「う~ん、どうかなあ・・」とのお返事。

私的にはまだ大丈夫じゃないかと思っていたので、
この返事はちょっとショックでした。
11月下旬から、朝なかなか起きることができなくて、
息子の支度もあるので(ヘルパーさんが来る)
なんとしても8時までに起きて朝ごはんが食べられるように支度しておいてもらいたいので、
7時半頃から声をかけて起こすという毎日になりました。

一度、どうしても起きられずに困ってしまったことがあり、
見るに見かねたヘルパーさんが起こして着替えるのを手伝ってくれたことがあったんですが、
この行為が、ヘルパーの仕事以外のサービスになるとかで、ちょっとした問題になってしまったので、
もう迷惑をかけられない・・と私はプレッシャーを感じで
朝はほんとに神経を使うことになりました。
今でも思い出すを胃が痛くなります(+_+)

そして、12月9日にコーラスの演奏会がありました。
今年はマスクなしで第九を歌います。
父は6月からお世話になっていたデイサービスにお願いして、
私は演奏会に参加したのですが、
このあと、状態がさらに悪くなってきてしまい、
演奏会がもう少し遅かったら、たぶん出られなかったでしょう。
父が出させてくれたのかな?と思ったりします。

今度は膝下の浮腫みから、大きな水泡が出来始めてしまい、
皮膚科へも行かなくてはならず、
さすがに歩くのも困難になってきたので、病院内は車いすを使いました。
水泡が破れて皮膚が剥き出しになるので、感染を防ぐための手当てを毎日やることになりました。
お風呂にも入れません。

食欲もさらに落ちてきて
水泡が出来始めてからは晩酌もやらなくなりました。
それでも、何が食べたい?と聞くと、
鰻、とろろ汁、などとリクエストしてくれたので、
高い鰻を買ってきたり、長いもをすりおろして味噌汁で伸ばしてとろろ汁を作ったり。
うまいなあ(^-^)
と言いながら食べてくれた時は嬉しかったです。

でも、
風呂に入りたいなあ
お酒のんで、うまいもん食べれるようになりたいなあ
いつ治るだかなあ
と ぼやくのを聞くのはつらかった。

あの時、透析をやることにしたら、
こんなに苦しまなくて済んだのかな。
父は透析をやらないと決めたことも忘れているので、
今度病院へ行ったら、先生が透析をやれっていうかなあと言っていました。

12月18日(月)
とても具合が悪くて起きられないけど、
頼んでいたレンタルベッドが9時半に来るので、
なんとしてもそれまでに起きないといけなくて、
緊急に看護師さんに来てもらいました。
看護師さん曰く「今日診てもらいましょう」

主治医が月金しかいないので、
25日(月)の診察予約日まで一週間、とても私が家で看る自信がなく、
18日を逃すと金曜日まで診察してもらえないので、
看護師さんが電話してくれて、その日の午前中に病院へ行くことになりました。

以前、病院で言われたんですが、
大変だったら入院してくれていいからね。
でも、入院したらたぶんもう家には帰れない・・と。

なので、緊急に病院へ行くということは、入院してそのままになるということ。

わかってはいたけど、まだいけるんじゃないか、
まだ大丈夫じゃないかと、私は父の生命力に期待していました。

でも車いすに乗って待っている間も、しんどそうにうつむいて眠っている父を見て、
つらくて切なくて・・
後ろから抱きしめたくなりました。

レントゲンを撮る時、レントゲン技師の男性が、
浮腫んで痛む足を無理やり動かして立たせようとしているのを見て、
私は思わず「痛いからそっとやってください!足が痛いから車いすに乗ってるのに!もうっムカッ
と涙声で訴えてしまいました。

その後、やはり入院することになり、
だるさや吐き気などを緩和するために微量のモルヒネを使うので、
効き目には個人差があって調整しながらだけど、
意識混濁することもあるとのこと。

父は、入院する意味を治るためと思っているけど
そうではなく、病院側の説明は、
痛みを取り除いて、楽に逝くのを見守るしかない・・とのこと。

今って残酷なことを普通に告知するんですね。
もちろん本人には言ってないけど・・

透析をやらなければこういう結末になることを、
どうするか決める時にはまだ元気だったので、まったく想像がつかなかったから、
透析しなくてもなんとかなりそう・・と、父も思ったんでしょう。
私だってわからなかったもの。

入院して2日くらいは特に連絡もなく、
もしかしたら、このまま症状が落ち着いて退院出来たりするのかも?
なんて、まだこの時は思ったりしていたくらいです。

父がいない家の中は、なんだかとても静かでした。
(耳が遠くていつも大音量でテレビを見ていたので)

父の入院で、息子のことも心配になります。
いつも一緒にご飯を食べるおじいちゃんがいないとなると、
混乱してしまわないか、とても気になっていましたが、
居ないなりに普通に穏やかに過ごせていました。

12月21日(木)
午後に病院から電話・・
普段面会は出来ないんだけど、
意識混濁が見られるため、主治医から許可が出たので、
明日の面会時間に会わせたい人があれば会わせてやってくださいと。

ビックリでした。
え、もう?
さっき、ひと足早い誕生日プレゼントにと、病院で使えるような上着(羽織るものがあるといいと聞いたので)を買ってきて持っていこうと思っていたところなのに・・

伯母に電話をして、明日の午後1時に面会に行こうと連絡した後、
また病院から電話。
末期の腎臓病の終末期特有の症状(手のけいれんなど)が出始めたらしく
こうなると時間の問題です、夜中に逝ってしまうと会えなくなるので
出来れば今すぐに来て下さいと・・

すぐに支度して、伯母を迎えに行き、病院へ向かいました。

夫はすぐに娘たちに電話してくれて、
できればすぐに帰ってきてほしいと伝えてくれました。
その声が涙で詰まっているのが聞こえて、
あの夫でも泣くんだ・・とビックリしました。

病院に着くと、父は時々目を開けながらも、ほとんど意識がなくて、
ビクッビクッとけいれんしながら、荒い呼吸をしていました。
それでも大きな声で呼べば、はっと目を開いて、何か言いたそうに口を動かしています。

月曜日に入院した時は、まだ普通に話もできていたのに、
わずかな時間にこんな姿になってしまって・・

娘たちをLINE電話をつないで、
みんなで声を掛けておじいちゃんを励ましました。
娘たちの声に反応して、大きく目を見開いた時は、
孫のこと大好きなんだろうなと^^

面会時間が限られているので、
夜中に急変しないことを祈って病院をあとにしました。

翌朝、次女がお婿さんと一緒に千葉から帰省してくれました。
4時起きで始発に乗って来てくれたようです。
もうほんとに嬉しかった。
私は一人っ子なので、頼れるきょうだいもいないし、
こんな時どうしたらいいんだろうと不安でしたが、
今回は娘たちが本当によく動いてくれて助かりました。

午前中にみんなで面会に行き、昨夜より弱っているのがわかります。
反応も薄くなっていました。
お婿さん、礼服を持ってない(作ってない)というので、
その足で紳士服のお店に行き、いろいろ購入してお昼ご飯を食べていると
また病院から電話。
もうかなり危険な状態とのこと。

一旦帰宅して、息子のショートステイをしばらくお願いすることを手配して、
薬などを準備して通所施設に届けて、
鉢植えのバラを大急ぎで剪定しながら、庭の隅に押しやって、
みんなで病院へ行きました。
もう命の灯は消えそうでしたが、ずっといるわけにもいかなので、
泣きながら帰宅。

夕飯どうする?
作ってる余裕はないので、レトルトカレーでも買って帰ろうか。
そして、温めようとしていたらまた電話!
もう、今度こそ危険なので、すぐに!と。

あわてて駆けつけましたが、
残念ながら間に合わず、父は息を引き取っていました。

それから、支度ができるまで待ちながら
お寺や葬儀屋さん、親戚などあちこち連絡して、
娘たちはすぐに帰って家の中を片付ける係。

その後、悲しむより、あれこれやることが多く、
なんだか不思議な時間が流れて行きました。

お通夜の時、ご近所の奥さん(私より少し年下)が、
泣いている私に「メイプルさん、お父さんが大好きだったんですね」と言いました。

父と一緒に過ごしていた毎日は、
ストレスも多く、思うようにならないことばかりで、
いつも私はイライラしていたし、
ああウザい!大嫌い!って思っていました。
なので、こういうことになっても私は泣けないんじゃないか、
なんて薄情な娘なんだろうと思っていたんです。

なのに、大好きだったように見えるのか?

うん、本当は大好きだったのかもしれない。
理想の父親の姿と、現実とのギャップにイライラしていたんでしょうね。
イライラして怒ってばかりでごめんね。

後悔しないように、特に最後の一ヶ月は私も薄情ではなくとてもやさしくて良い娘でした。
無理に良い娘を演じなくても、自然にそうできたのは不思議でした。
頑張ったつもりだったけど、今は後悔ばかり・・
もっと私がやれることがあったんじゃないか?
もっと頑張れたんじゃないか?
入院なんかさせないで、家でもっと看れたんじゃないか?

でも、あの入院する2~3日前からの状態を思うと、
もうこれが限界だったんだろうな。
ここまで家で頑張れて、父も私もよくやった!と思うのです。

そして、皆さん口をそろえて、
お父さん幸せだったね、自分の娘に最後まで看てもらえて。
メイプルさんもよく頑張ったねと言います。

父は幸せだったんだろうか?
最後の方は私のこともわからないような感じの時もあったし、
私がこうして毎日家に一緒にいて世話をしていること、
当たり前に思っていて、他の誰かに面倒見てもらうこともなかったから、
これが幸せなことだなんて比べられないわけだし。

そしていつも、
私に感謝するとか、そんな言葉は一切なく
ただ、自分が思うように動けないことをぼやいて、
自分が情けないとしょんぼりしていた。
それまで元気だった分、動けない辛さはとてもよくわかるけど。

父が亡くなってから、部屋を片付けていたら、
古い写真がたくさん、ほんとにものすごくたくさん出てきました。
町内会や同級生、会社の同僚などと一緒に旅行へ行った時のもの。

こんなにあちこち旅行へもいけて、
毎日好きなことして暮らしていたのにね。
やっぱり晩年が充実してないと、自分は不幸だったと思うのかなあ?

私なんて、息子のことに加えて父のこともあって、
あんまり出掛けることも出来ずにこの歳になっちゃったのに、
それでも好きなことを見つけてその中で充分楽しんでるから、
きっと死ぬ時は幸せだったと思えるんじゃないかな。
どれだけ自分が満足できるか。

なんか、亡くなった日から 今2週間ちょっと、
いまだに亡くなったのが信じられない感じですが、
そんなことをいろいろ考えてながら手を合わせる毎日です・・

それでも、介護施設に入所することもなく、
あちこち徘徊して迷惑をかけることもなく、
それだけでもよかったなと思ったりします。

明日から、私もぼちぼち平常運転ができそうです。
まだやることはいっぱいあるけど、
少しずつ片付けながら、2月4日に予定している納骨まで父と過ごそうと思います。

長くなってしまいました。
読んでくださってありがとうございます。
一応、記録も兼ねて、自分の気持ちを整理したくて書いてみました。

おじいちゃん、いろいろやらかして、ここでのネタにさせてもらったけど(笑)
皆さんに可愛がってもらって、ありがとうございましたm(_ _ )m





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最終更新日  2024年01月08日 21時57分16秒
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