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北海道へと旅立った私ですが、
今回そこで思わぬ旅立ちを手助けすることとなってしまいました。 私が実家に到着して3日後のこと。 同居していた91歳の祖父が天国にいる祖母の下に旅立ってしまいました。 北海道の遅い春が来たら92歳になるところでした。 あまりの微妙なタイミングで私がいることに親戚の人々はみーんな驚いていましたが、 一番驚いたのは当の本人である私なのだよ。 だって、あまりにも突然のことで出発前には予想し得えなかったからね。 我が家はただでさえてんてこ舞いだった上に母まで具合が悪くなってしまったため 「よく見極めてもう大丈夫だと思ったら帰っておいで」という夫の言葉に甘えて私はしばらく残っていたという訳です。 *** 祖父が脳梗塞で病院に運ばれたのは私たちが帯広でグースカ寝ている頃のことでした。 私がそのことを知ったのは実家に到着してからのこと。 その後、トントンと階段を下りるように容態が悪化し、 山梨にいる叔母(母の妹)の到着を待って逝ってしまったのでした。 わずか3日くらいの出来事でした。 私は祖父のこの逝き方に舌を巻いてしまいましたよ。 祖父は以前からPPK(ピンピンコロリ)を目指してはいたものの、 やはり突然逝ってはみんなとお別れもできないし、 いろいろと大変なので3日くらい時間をかけたのではないかと。 お陰でみんな心の準備もできて、 大勢の人が来ると予想されるので家を片付けたり喪服の準備まで万端にできたのですから。 さすがはPPKを目指していただけの事はあるよ。 倒れたその日だっていつものように過ごし、 いつものように父と晩酌して御飯もおいしく食べて、 母に手伝ってもらいながらも入浴して床に就いたのですから。 なかなかこんな風にはいきません。 しかし、祖父は常日頃から 「皆に迷惑をかけるから冬には逝きたくない」ということを言っていたのですが、 病院に運ばれたのがなんとまぁ、猛吹雪の晩よ。救急車がやっとこさ入れる状態だったとさ。 とにかくその頃は大変な大雪続きで、突然の病院からの呼び出しの際にもまずは雪をどうにかしないとすぐに車を出せない状態。そのことも手伝って一大事がもうその何十倍にもになって忘れられないような大珍事となってしまったのでした。 山梨から叔母がやって来た時などは雪のため、その飛行機は降りられなかったら東京まで引き返すというギリギリの状態。その前後の便にいたっては欠航という。 祖父が家に帰ってきたその日の午後からまた雪がモコモコと降り始めたのですが、 静かに降る雪はよく積もります。 家の窓から。 翌日。 松の木なんかこんなになっちゃってるし、 鳥の餌台はかまくらになってしまいました。(小さい写真は昨年の冬のもの) 折からの大雪で雪かきマシーンと化してた私の兄。 人が集まるために車を置く場所も確保しなくてはならないし、 何といってもお棺に入った祖父がちゃんと出ていけるようにしなければなりません。 非常事態なのでもうフル回転していました。 実家の玄関から道路へのアプローチ。 祖父が倒れてから葬儀が終わるまで雪に翻弄された1週間でした。 今思い出してもおかしいくらいの雪でした。雪がなかったら笑い話にはならなかったろうなぁ。 *** 妙なタイミングでのこのこ帰った私ですが、本来ならもっと早く1月頃に帰る予定でいたのに、たまたま夫の仕事のタイミングが合わずにずるずるとこんな中途半端な時期になってしまったのでした。 なかなか仕事の都合がつかなかった夫ですが、今回は一人で行けというようなことにならなかったのも不思議。お陰で二人で顔を見せることができました。 多分祖父に呼ばれたのでしょうね。呼ばれたものだと信じて疑わない私はもう目いっぱい手伝ってきましたよ。当事者の家族というのはしばらくの間本当に目が回るほど忙しいので、裏方の助っ人としては最適だったろうよ。 あと、 私の両親はまだ健在で今までこのような経験をしたことのなかった私ですが、順番でいくと次は私が親を送る番。そんなときに慌てないようにこういう場を見せて経験させておこうという祖父の配慮だったのかもしれません。(今までは駆けつけた時にはすでにアレンジされているお葬式しか出たことがありませんでしたから) どうやら不思議な力は他にも働いていたようです。 2月の初めにかつて机を並べて働いていた同僚が突然祖父を訪ねてきたのだとか。 その方は弔辞を読んで下さったのですが、ある日突然今会わなければいけないような気がして祖父に会いに行ったのだそうです。最近特に衰えの激しくなった祖父は疲れるから滅多に人に会う気にはならなかったのですが、突撃訪問されては仕方がない。しかし、久々の再会に話が弾んで弾んでそれは楽しい時間を過ごしたのだとか。最近では人を見送る時は玄関で失礼してた祖父ですが、その時は珍しく外に出て見えなくなるまで車を見送っていたのだそうです。 もしかしたら人間は、 人生を終える前に計り知れないパワーを出して物事を動かしているのかもしれません。 *** 6人も曾孫のいるお年頃ですから、 祖父の旅立はどちらかというとおめでたいものの部類に入るものでしょう。 祖父が一旦家に帰ってきた日、長いお付き合いのあるお坊さんがお経を上げにきてくれたのですが、 お経の真っ最中に別の部屋に閉じ込めておいた犬が脱走してきて仲間に入れろとばかりに人の間から顔を出すではありませんか。もうその姿がおかしくてみんな肩が揺れていました。 仮通夜では両親と叔母と私の3人で祖父の前で一杯やりながら「今だから言える話」などして大笑いをして過ごしましたが、本当にみんなよく笑いました。緊迫した状態から開放されたというのもあるでしょうが、思い出話をして笑えるのは大往生ならではのものでしょう。 祖父は大正生まれにしては大きい方で、お棺の長さがギリギリでした。 大きい上に頑丈な人で、普通だったら焼いてしまったら砕けてしまう頭蓋骨が標本の如くきれいに残っており、おまけに「歯もいっぱいある方だったんですね~」と焼き場のおじさんが感心していましたね。私も母も平均以上に骨密度が高いのですが、「ここからきていたか」とその時納得したよ。 しかも骨の重いこと。骨壷にある程度入れたら係のおじさんが砕いて詰めていくのですが、 骨が多すぎておじさんが一生懸命粉砕して粉砕してもなかなか入っていかなくておじさん焦っていましたね。 明るくていいお葬式でした。 *** 祖父が倒れる3日ほど前のこと、除雪車が我が家の桜の木をひっかけてしまったようで幹が裂けるように倒されてしまうという出来事がありました。その桜の木は喜寿に祖父が植えたもの。 木が枯れたり、そのような尋常ではない状態になるのはただ事ではないと母は何か嫌な予感がしたそうで、とりあえず応急処置をしたものの結局はその予感が当たることとなってしまいました。 しかし、残った枝を花瓶に差しておいたところ、 日に日に蕾が綻んで二七日(ふたなのか)を過ぎる頃には花まで咲き始めたではありませんか。 祖父は桜の遅い北海道で多分最も早い桜となったのでした。 *** さて、 東京に戻ってきた私は早々に熱を出して寝込んでしまいましたとさ。 次回はまた珍道中の続きです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.03.19 17:25:58
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